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カテゴリ:歴史
![]() 宝塚って、もっとも興行的成功をおさめている「歌劇場」なんだ! あまりにもあたりまえな、ショッキングなこの事実。すっかり失念していた評者は、むさぼるように読んでしまった。「宝塚」に腰がひけてしまう人には、必見ではないでしょうか。 1913年唱歌隊として出発。宝塚音楽学校を卒業した未婚女性による演劇。「清く 正しく 美しく」。現在、歌劇場は「花・雪・月・星・宙」5組400人の団員をかぞえ、舞台スタッフや営業などをふくめると、関係者は900名におよぶ。民営で地方に立地。本拠地では、1日2回公演のときでも、11時と15時開演で夜の部がない。年間観客動員数は260万人。どんなスターにも、マネージャーやスタイリストはつかない。メイク・カツラからアクセサリーまで、完全なセルフ・プロデュース。精進する彼女たちに憧れ、羨望、庇護意識をかきたてられる、熱烈な女性ファンの存在。現実の男性からの差異化に宿る、鍛えあげられた「男役10年」の美とエロス。近代の異性愛主義に囲われず、しかし「異性愛」を歌いあげるタカラジェンヌたち…。 こうした特異性は、1920年代4000名収容の大劇場の建設による、それまでの舞台芸術からの「切断」が発端らしい。それまでの劇場は、歌舞伎、新劇、オペラ、ジャズ、バレエ、ミュージカルが混在し、40年代頃までジャンル間の横断はさかんにおこなわれていたという。大劇場をうめるため採用された、スペクタクルを観客に提供する「レヴュー」路線。モダニズムの尖兵でありながら、ノスタルジアを売る「健全な娯楽」宝塚。 こうした宝塚の誕生には、小林一三阪急・東宝グループ総帥の存在が欠かせない。イギリス型田園都市とはことなった、職住分離の田園都市構想。帰る場所をもたない新中間層にささげられた郊外的ユートピア。宝塚大劇場は、かれらをターゲットに和洋折衷の「国民劇」上演舞台としてつくられます。ここで、「芸を売り、身を売る」それまでの女優像からの「切断」のため、かつてないセクシュアリティとして創造・駆使された、「生徒」「学校」というイメージ戦略。 そのうえレヴューは、輸入元のフランスではすでに廃れつつあったらしい。それにもかかわらず、フランスで「新オペレッタ」といわれた、アメリカナイズされたレヴュー=「ミュージカル」を古色に焼き直した形で輸入したのだという。帰る場所をもたない人々にむけて「ふるさと」を歌いあげる宝塚。1930年代「男役」の誕生と、戦時下の統制によってすすんでいく「女性の聖域」化という現象。戦時下における協力の両義性。戦後GHQの検閲…。時代の先端「モダニズム」であったはずなのに、いつのまにか、取りかこむ情勢が変化。やがて「周縁」的なものになっていく。宝塚があらゆる意味で「周縁」へと位置づけられていった過程が、ここでは詳細に説明されています。 と簡潔にまとめてみたものの、実に大変でした。記述が錯綜し、何度も同じことが繰り返され、かなり理解しにくい。章立ては、宝塚の現況、歴史、ジェンダー、システムの順になっています。これをみても分かるように、せめてもう少し何とかならなかったのかな、と感じました。宝塚の歴史としても、宝塚のイデオロギー分析としても、「フェミニズムと宝塚」としても、ファンブックとしても、いずれも中途半端さがぬぐえません。うまく総合させられれば、話はまったく別なんですけど。また、気にくわない宝塚に関する諸言説や、フェミニズム的アプローチなどに、いちいち論駁しているのも、なんだかなあ。その内容を知らない読者には、いささか散漫に感じられますし、批判も紋きり型すぎて食傷します。 たぶんこうした中途半端さは、講談社選書メチエ『宝塚 消費社会のスペクタクル』で書ききった、ということもあるのでしょう。興味をもたれた方は、そちらも参照ください。 評価 ★★★☆ 価格: ¥777 (税込) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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