書評日記  パペッティア通信

2007/05/16(水)14:40

★ 阿部重夫 『イラク建国 「不可能な国家」の原点』中公新書

歴史(47)

また日本人が、呪われた大地イラクで犠牲になろうとしています。 イラクとは、そもそもどんな国なのか。 2004年3月、1年前に出たこの書は、明らかにしてくれます。 サダム・フセインは、最初の悪ではなく、最後の悪でもないことを。 女性、ガートルード・ロージアン・ベルの、ロマンが生んだ国であることを。 ヴィクトリア朝の女性の不幸を体現した才媛、ベル。 第一次大戦のとき、アラビアのローレンスとともに、情報収集工作に従事して、 戦後中東世界の再分割とイラクの占領行政に関与します。 その物語は、たいへん面白い。 ユーラシアをめぐる、英露のグレート・ゲーム。新参国ドイツは、第一次大戦、イスラム教徒にイギリスへの蜂起・聖戦を教唆します。ドイツに鉄道建設の費用をもたせながら、国有化を画策するトルコ。ヴァッスムスなどの暗躍に代表される、ドイツのアフガン・イラン・インド工作。押収されるドイツの暗号帳。奇奇怪怪な、アラブを舞台とした外交ゲームです。 大英帝国も、アラブ局とインド省の対立をかかえてバラバラです。その橋渡しするのがベル。「アラブの反乱」の鍵を握る、イブン・サウードと、メッカのハーシム家。その工作に、かのローレンスとともに従事した彼女。アラブの反乱は成功しました。ところが、その英国はサイクス=ピコ協定、フセイン=マクマホン書簡、バルフォア宣言の3枚舌外交。ベルサイユ講和会議は、利権再分割の場となり、メソポタミアを蹂躙。人造国家イラクをどう統治すればいいのか? 仏がシリアから追い出したハーシム家。ファイサルにイラクをあてがい、彼の兄にヨルダンをあてがいます。国境を線引きしたのが、ベルでした。アルメニア人虐殺に手をかしたクルド人とシーア派にはさまれ、最初から浮いた王制。「不可能な国家」の出発点は、総選挙をへて移行政権が誕生しても、その未来に暗影を投げかけている…… いささか、不思議な読了感がただよいます。 ジャーナリストらしい軽やかさと、重厚さの同居とでもいいましょうか。 たとえば、シーア派の聖地、イラクのナジャフの解説。 「最後の審判」の復活をまつ遺骸たちと、聖廟・マドラッサの群れ。略奪を生業とする遊牧民の改宗と、インドからの寄進によって支えられていた、「沸騰するシーア」の象徴。この街は、国外と死後の世界に開かれた水路と形容されます。「死者の都」は、不可能性の根源となって、部族社会をささえて、国家形成を制約してきたといいます。こうした、やや感傷的な理解と叙述が散見するものの、現代イラクをつくりだした冷酷な国際政治の理解を忘れません。ベルの仇敵フィルビーが、サウジ石油利権で英国にしっぺがえしを食らわせ、石油カルテル、レッドラインに風穴をあけたこと。クルド独立をめざすバルザーニとサダム・フセインの戦い。こうして、つぎつぎとイラクにまつわる小咄がかさねられていきます。まことに興味がつきません。 おもわず、名著!と叫びたくなりそうです。 しかし、別の疑念がもたげてくるのです。 これは、伝記小説にすぎないのではないか? と。 イラク、「不可能な国家」。 この書では、「父性」支配=「部族制社会」=イスラムと、国民国家が対置されています。イブン・サウード、サダム・フセインなどを生んだこの原理。たしかに、アラビア半島にとどまらず、シリア~トルコ~イラン社会を理解するためにも、地域を拡張させて使われるべきキーワードでしょう。 ただ、アメリカ占領行政の無知さをなげこうとも、どれほどその支配に対する手厳しい批判になっていようとも、その背景にながれる濃厚なオリエンタリズムは、やはり看過できません。「不可能」性を「部族社会=イスラム」の軸に帰因させる図式では、「不可能」性ゆえに「部族社会=イスラム」の軸が再生産され、「不可能」性をおぎなっていく、フィードバックの機制が見失われています。 なぜ「不可能」なのに、それでも国家が存続しているのか? こんな素朴な疑問にどのようにこたえるのでしょう。そもそも近代化こそが、社会の亀裂を深めさせ、その亀裂を「部族社会=イスラム」で覆いつくし、その軸を再生させたのではなかったか? 国民国家とイスラムは、共犯関係にあるのではないのか? イスラム原理主義の台頭のように。 かつてのレバノンがなぜ安定をみたのか。 イラク=中東の安定化とは、部族・宗教と国民国家の関係を再考させてくれる、 またとない素材なのかもしれません。 評価 ★★★ 価格: ¥882 (税込) 人気blogランキング

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