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May 24, 2005
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カテゴリ:社会


昨今話題の「暴走するインターネット」。
イラク人質3人組、拉致家族会へのバッシング。
「折鶴オフ」「マトリックスオフ」…
現代日本は、「日常の祝祭化」を駆動原理とし始めているのではないか?

ここでとりあげられた、現代社会論の射程は広い。
今の20~30代の男性は、相手女性の親の年収をこえられる見こみはほとんどない。団塊の雇用を守るため、若者の賃金がおさえられ、若年失業率は1割におよぶ。かえる地元もない。これまでのように会社にも甘えられない。親も経済支援以外には何もしてやれない、「たかりあい」の構図。そのうえ、リスクの転嫁が自己責任の名の下におこなわれる。ハイ・テンションな自己啓発と、見つからない「やりたいこと」のハザマで、躁鬱をくりかえし、分断された自己を生きる若者たち。

その分断は、ミシェル・フーコー流の「身体」をターゲットにするのとは異なった、「データベース」の個人情報へのアクセスによって私人同士が監視しあえる、「監視社会」の到来が可能にしているという。激しい社会的流動性によって要請された、個人とデータベースの「相互審問」。そこでは「監視国家」よりさらに激しい、「高リスク」集団の排除も、“市民の側”から欲望されはじめている。民主主義か、それともその危機か? とまれ、データベースと個人との往復運動によって、「私は私」と自足する自己が生まれ、「感性」が前面にでてくる社会が出現。コミュニケーションも、「共依存」ではなく、「ネタ」で「つながりうる」ことに重点がおかれている、とします。

「反省から再帰」へ。
「共同性」をもとめ、日常化する「再帰的カーニヴァル」。

そこでは個人は、「脱社会化」=社会化されておらず、「知られた私」を統合する主体=確固たるアイデンティティをもちません。「反省的な自己」はそこにはない。統合する明確なものがなく、際限ない自己回転(目的化)=「再帰性」を特徴とする、「再帰的自己」へ。

ここに筆者は、「合理化」「脱魔術化」の前期近代から、「再魔術化」しつつある後期近代への、駆動原理そのものの転換を見出します。消費社会も、差異の「反省的審級」=マスメディアの衰えとともに、「差異消費」から「ネタ消費」へ転換しはじめている、という。暴走するインターネットは、その一端にすぎない。「カーニヴァル化」とパラノイア的な「データベース」への問い合わせのハザマで、強迫衝動により様式化された行為=「嗜癖」を自己にむかわせて、現代人は生き続けなければならない。データベースは、自画像にも世界像にも、統一した視座を与えてくれないのだ。

そのため人間は、自己と世界を否定して、社会を変革しようとした、ヘーゲル的な存在をやめて、世界を甘受して「宿命」をうけいれる、「動物化」(コジェーヴ)した存在に退いていく…革命から宿命へ。それこそがこの現代社会では、適合的だから…


軽薄な帯の宣伝に、騙されてはいけない。

この本では、ギデンズ、ラッシュ、そしてつい最近刊行されたばかりの北田暁大『嗤う日本の「ナショナリズム」』(NHKブックス)までとりあげられ、目くばせもいき届いています。1990年代以降、いよいよポストモダンとさえ言えなくなってきた現代社会。さまざまな理論をまとめ、見透しをよくしてくれる、意外な好著になっているのです。

とはいえ、オリジナル性はあまり感じられないのも事実でしょう。

躁鬱のスイッチは、前近代の「ハレとケ」のスイッチとどう違うのでしょう?
「私は私」としてすませてしまう再帰的自己でさえ、周囲という「審級」は「反省」的に働いているのではないでしょうか? そもそも確固たるアイデンティティなんてあったか? データベースと大文字の他者ってどう違う? …… 

「データベース」と「カーニヴァル」という単語によって、イメージこそ横溢しているものの、どうみても東浩紀『「動物化」するポストモダン』から借用している感じがぬぐえません(なにせ、あとがきで「網状言論」の話が出てくる)。感性の前景化によるバッシングは、スラヴォイ・ジジェクにも出てきましたし、すくなくとも「はじめに」を設けて、周辺の現代社会理論に関する研究状況を整理すべきだったのではないでしょうか。

まあ、これを読んだ人は、章末の注釈から周辺書を狩猟すればいいのでしょう。
たしかに役に立ちます。というわけで、こんな感じ↓

評価 ★★★☆
価格: ¥735 (税込)

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Last updated  Sep 24, 2005 05:11:19 AM
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