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書評日記  パペッティア通信

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May 27, 2005
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すごすぎます、高屋先生。
ずっとファンでした。しかし、まさか、これほどとは…。

少し勘がよい人なら、誰でも気づきます。
「フルーツバスケット」には、「父」がどこにもいない。
大文字の他者、象徴秩序の担い手の不在。
いても、なんと影の薄い…

主人公は本田透。
とても優しい、女子高生です。
草摩一族。十二支にそれぞれ1名、12人います。
異性(男なら女)に抱きつかれると、その干支に変身してしまいます。
「猫憑き+神様」もいて、主人公格は14名です。
「十二支+猫」は、神様に逆らえません。

かれら14名には、なにか特別な「絆」=「呪い」があるらしい。
それをめぐる学園ドラマ。恋愛もの。おまけに、ヘタな絵です。
どうして、こんな作品が熱心に読まれ、アニメにまでなってしまうのか。
リアリズムに毒されたものには、理解できますまい。

しかし、これが無茶苦茶凄い。
さまざまな過去の傷をかかえ、生きていく登場人物。
伝えたいのに伝えることができない。
そんな、悲鳴のような思いをつづって、深く内面への沈潜をつづけてゆくのです。
あまりにも濃密な、ドロドロした二者関係が、丁寧にえがかれてゆく。

病気からの復帰後、高屋先生に訪れた「神に愛された」かのような全盛期。
一読者として、その瞬間に立ちあえる、無上の幸せを噛みしめたものです。
作品のつむぎだされる、そのひとときを作者とともに楽しめる。
なんという贅沢な瞬間でしょう。

ずっと思っていたのです。

本田透は、傷つきあう二人をむすびつけては、「消えてしまう」癒しの「媒介者」
貨幣・法として機能する、大文字の他者=「父」のような存在。
「排除」されたシニフィアンとして、象徴界に回帰してくるもの。
二人の間でつむがれた、あまりにも不安定な関係をいったん断ちきり、
それから安定化させてゆく、そんな存在ではないか、と。

慊人さんは、透君を憎んでいます。
それは、たとえば、津田雅美『彼氏彼女の事情』では、
情けない男3名に平安が訪れるために、
「母」が排除されることが必要だったように。
「聖性」と「穢れ」を一身にまとい、「排除」されることで出現する、
そんな「玉座」をめぐって争う物語だからではないのか、と。

それなのに。

慊人さんが「女性」とは…
すでに紅野は、十二支の「絆」、いや「呪い」から解放されていたとは…
慊人は、紫呉をうばい、自分を「男」として育てた母をにくんでいたとは…
紫呉が、その慊人さんを抱いてしまうとは…

わたしには、もうこの作品がどうなってゆくのか分からない。
それがなぜだか、とてもうれしい。

十二支の「絆」
それは、象徴=言語によって去勢される前の、イマジネールの喩えなのか。
それとも、不可能な「物」=現実界の喩えなのか。

人との差異を「絆」に見出し、ヒステリックに執着する、慊人。
それは、「絆」を失うことを恐れつづけた、ひよわな女の子の姿でした。
十二支をしばっていた「内なる声」=「絆」「呪い」から解放されたはずの紅野。
「絆」が失われたときの、涙を流しながらの言葉が忘れられない。

「……もう 飛べない…」

紅野は、慊人の欠如を埋めることで、
自分の「欠如」を埋める途をえらんでしまう。
そして悦びとともに、慊人にとらわれてしまう。
慊人も、紫呉の欠如をうめることで、己の欠如をうめてしまうのだろうか。

ふとおもう。

欺瞞は、どこにあったのだろう。
むろん、「呪い」の側ではない。われわれ人間の「現実」の側にある。
言語に住まわれてしまい、「現実」から遮蔽されてしまった人間。
人はもはや、言語を通してしか接触することができない。

絆は「呪い」ではない。
やはり、言語をこえてふれあえる、「何ものか」の喩えだ。それを失うのは、「成長」でもなんでもない。失えば、もはや、言語で構造化された現実に、われわれとおなじように囚われるしかない。

自己の欲望を相手に投影すること。
決して交わることのない、誤認によってつくられる「愛」
相手の欠如をうめることが、みずからの欠如を埋めることになる「愛」

ただ、わたしたちは知っている。
相手の欠如を埋めることで、自らの欠如を埋める。
そのような「欺瞞」は、ここフルバでは、許されることはない。
欺瞞は罰せられてしまう。楽羅の「つじつまあわせ」の恋のように。
それは、悲しい話だった。しかし、確かな救いでもあった。

ドロドロの物語のはずなのに。
そして、とても悲しい物語のはずなのに。
それでいて不思議と、居心地のいい、
爽やかな世界。

その秘密は、お互いがお互いにむけて、「欠如」を埋めあうことにある。
囚われていた人は、やがて欠如をうめてくれる人にめぐりあい、
その人の欠如をうめてあげられる、そんな存在になれるはずだ。

二十名以上の複雑きわまる「欠如」の連立方程式が、解かれてゆくにちがいない。
この先、どれほどの壮大なカタルシスと感動がまちうけているのだろう。
評者には想像もつかない。
まちどおしい。

紫呉の、紅野の、慊人の、棟さんもまた、
結び目は、紐解かれてゆくのだろう。
相手の欠如を埋めてあげることで、自足する欺瞞は、放逐されるはずだ。
静かな日々は、やがて、かならず、訪れる。

しかし、絆を失ったことを知ったとき、
涙を流した紅野のように、
その「救済」が、なんだかとても悲しいことのように思えるのは、
なぜだろう。

それは、「欠如」を埋めあうこともまた、「囚われ」の一形態だからだろうか。
それとも、フルバが終わってしまうためだろうか。


評価 ★★★★☆
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Last updated  Jun 4, 2005 06:48:55 PM
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