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テーマ:社会関係の書籍のレビュー(95)
カテゴリ:哲学・思想・文学・科学
戦争のあと、訪れる和解という発想。 人はいう。 過去を痛切に認識して、未来を建設しよう、と。 人はなぜ、半世紀前の苦痛の記憶をいつまでも忘れないことで、平和の強化がもたらされると思えるのか。いったい、この一見矛盾した言説・思想は、どのように出現したのか。 ● 戦後和解は、「講和=忘却」が破綻した所にあらわれた、 歴史的現象であること。 ● その和解のためには、加害と被害をめぐる善悪の「線引き」と、正義・ 不正義の「バランス」がもとめられていること。 ● 現在、中国とドイツは、被害と加害、立場こそ違えども、 今や戦後平和構築パターンとなった「和解」の精神に、もっとも忠実な 国家であること。 切れ味はおや?っとおもわせる鋭さである。 一読をお薦めしたい本のひとつです。 古代社会では、戦後=復讐であったらしい。キリスト教世界では、正戦論と騎士道で無差別殺戮を制限するとともに、講和の際には、戦争の悲惨さを神の御前で認め合い、「妥協」のため被害を忘却することがおこなわれていた。ところが19世紀、社会の世俗化、民主化、ナショナリズムの発達、国際法の形成の流れの中で、講和とともに敵をゆるし、悪行を忘却できなくなったという。それは、第二次大戦後、ニュルンベルク・東京裁判の、勝者が敗者の悪行を裁き、敗者を再教育するスタイルとなって完成する。 ただ、ここで忘れてはならないのは、無罪・有罪の「線引き」をおこなうことによって、有罪人を殉難者にすることなく、憎悪に身をゆだねがちな戦勝国民と無罪の敗戦国民との間で和解を促すため、裁判が存在することだという。その意味で1978年、靖国神社へのA級戦犯合祀は、日本側による致命的な≪「戦後和解」の否定≫に他ならない。 こうした「過去を直視しない日本」は、原爆(無差別爆撃)や植民地支配が裁かれなかった東京裁判のもつ二流性と、日米和解のみが「冷戦」によって進んだため、もたらされたものらしい。原爆は、反ユダヤ主義を監視するイスラエルと同じ、核保有国を監視する立場にたたせたためという指摘も、うなずかされるものがあるでしょう。 「線引き」と「バランス」ゆえに高く評価されたドイツ。 それと正反対だった日本。 そのため、米国以外との「戦後和解」は、まったく進まなかったという。オランダ・カナダ・イギリス・豪州軍兵士への捕虜虐待は、欧米でステロタイプの反日世論をつくりだして、1980年代まで執拗な日本批判が繰りかえされた。とくにイギリスでは、捕虜たちの激しい日本批判は、アジア戦線で戦った兵士たちのおかれていた社会的位置とも、かかわりがあるらしい。これが変貌するのは、1990年代になってからのこと。両国間の民間交流こそ、その流れをかえ、1998年の橋本謝罪を受け入れさせる前提をつくったという指摘も面白い。 戦後平和構築のパターンとして普及した「戦後和解」の思想の精緻な追跡。1995年、村山談話は、東京裁判で裁かれなかった植民地支配の加害性をみとめる、画期的なものであったこと。戦争を煽るとともに監視もする、ジャーナリズムのもつ「両義性」を指摘。ほかにも、高名なドイツの莫大な賠償措置は、ナショナル・アンデンティティと密接にからんでいたこともさることながら、ドイツ統一まで国家間賠償をおこなえなかったためなど、随所に小技も効いていて、とてもおもしろい。 いささか難点をいえば、中国政府と一般大衆の関係、中国の姿勢変化(本当にあったのか?)などについて、平板な分析にとどまっている点でしょうか。その平板さは、分かったような気になって、書いているだけではないかという疑念をいだかせかねない。とくに、「バランス」と「線引き」、「和解」など、主体によって内容を異にする曖昧なシニフィアンで、戦後平和構築のパターンを切り取るのは、結局、何も言っていないことと同じではないか、所詮和解とは≪誤認≫でしかないのではないか、という疑念がぬぐえない。 とはいえ、1990年代から2005年にかけて、イギリスと日本でおこなわれた「和解」の実践は ――― 過去の戦争によって引き裂かれた者たちが、未来の平和と共生を誓う ――― 感動的ですらある。ナショナリズムにもとづいた記憶ゆえに、今も「線引き」と「バランス」による戦後和解(東京裁判と死刑なしのBC級戦犯裁判)の忠実な信奉者として、靖国神社参拝に過敏に反発せざるをえない、中国。 中国との和解には、どのような展望があるのか。 困難を認識しながらも、その暗闇にさしこむ、一条の光。 それが何であるかは、 ぜひ、手にとって読むことで、確認してもらいたい。 評価 ★★★☆ 価格: ¥777 (税込) 人気ランキング順位 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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