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書評日記  パペッティア通信

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Sep 6, 2005
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カテゴリ:歴史


 
本日、紹介するのは、題名とはちがい、日露戦争そのものを取りあつかった本ではありません。日露戦争へ流れこんだもの。そして日露戦争から流れ出したもの。そんな、<連鎖関係>を博捜・追跡して、<日露戦争の世紀>を摘出してパラダイムの再考をせまる、実に意欲的な本でもあるのです。

簡略にまとめておきましょう。

● 東アジア「朝貢」「冊封」体制の頂点に立った明治天皇

日本の自国民中心主義は、「朝貢」「冊封」体制の淵源、「華夷思想」ではなく、「神国」「皇国」概念となってあらわれたという。それは、幕末の平田篤胤、水戸学に高められて、国家神道や国体論につながっていきます。高名な大津事件(ニコライ皇太子殺傷事件)と司法権独立問題は、不平等条約を改め「主権国家」体系に入るためには、文明国標準の法典編纂・司法制度の確立が欠かせない、国権論がバックにあったらしい。日清両国の≪朝鮮≫をめぐる衝突には、「冊封」体制か、「主権国家」体系か、の争いが内包されていた。ところが、1910年韓国併合証書には、東アジア「冊封」体制の頂点に、清朝皇帝にかわって明治天皇がつくことを示す文言があったという。

● 日清・日露戦争における、日本の変質

シベリア鉄道の衝撃は、イギリス・東アジアに衝撃を与え、山県有朋の「利益線」としての朝鮮半島領有論の連鎖を生み、日露戦争後はその「利益線」がつぎつぎと範囲の拡張がおこなわれてゆく。日清戦争後、東アジアの「反英ブロック」、仏露独による三国干渉も、当事国は軍事衝突まで想定していなかった。なお、日英同盟誕生以前には、日英独三国同盟構想があったものの、「満州」の適用除外をめぐって決裂したという話も紹介されていて面白い。支那「保全」から支那「分割」へ、方針をかえる日本。遼東半島の租借権をえるため、清に中立宣言をさせる工作をおこない、平然と違約。日露戦争後には、エジプトをモデルにした韓国経営を立案して、韓国保護国化のために植民地交換承認をおこなうとい。

● アジアの民族主義との決裂

知の結節環であった、明治日本。「大和魂」は、梁啓超を介して、「中国魂」「大韓魂」なる思想を連鎖的に生みおとしてゆく。「ロシアのスパイ」として斬首される中国人を、お祭り騒ぎで見物する中国人を見て、医学から文学へ転向した、魯迅。北清事変後、満洲駐留のロシア軍撤兵運動は、拒俄義勇軍を生み、軍国民教育会、華興会、光復会の革命運動へとつながった。そんな日本留学生たちも、日本の変質とともに、抗日運動の側に立つか、日本統治を支える側に立つかをせまられることになった

● 黄禍論、武士道、「アメリカの世紀」

日露戦争は、モンロー主義からの脱却、「アメリカの世紀」の開闢であり、日米対決の始まりであったという。そこへもたらされた「黄禍論」は、本場もさることながら、むしろアメリカ・豪州などにおいて、白豪主義、排日立法を生む。その動きは、対抗言論としての「黄福論」・「黄金人種論」を生み、日露戦争時には、さまざまなメディア戦略を駆使することを日本にせまらせた。そのひとつ、1899年、新渡戸稲造の『武士道』(英文)は、欧米向に大きな効果をあげただけではなく、1908年の日本語訳出版を機に、「日本人の日本人観」すら規定していく。黄禍論を否定するため、アジアとつながりをたち、やがてアジアの公敵になっていった日本。日露戦争後の日本の変質は、アジアの希望・模範たる地位を失わせ、アジアの独立・革命の震源地は、中国へと移っていくという展望も面白い。

● 社会主義の世紀

1901年、社会民主党は、2日後には禁止。日露戦争後、準戦時体制下の言論統制・治安維持によって、無政府主義・社会主義は窒息してしまう。大正デモクラシーは、キリスト教的人道主義と社会主義の思潮をバックにしていた運動というのも示唆にとむ。1905年、第一次ロシア立憲革命は、日露戦争以上に体制変革への夢をかきたて、ロシア社会主義者の夢は、ヘンリー・ジョージの土地単一課税論、宮崎滔天の兄、民蔵の「土地復権同士会」の<土地均享運動>などの影響をからめながら、中国同盟会の「平均地権」、三民主義の「民生主義」へと連鎖してゆく。


むろん、この書は多くの先行研究に依拠していて、何か斬新な視点を提起したものでも、あらたな史実を掘り起こしたものでもありません。その辺、大いに不満ではあります。日露戦争は、自衛戦争だったのか、帝国主義国間の戦争だったのか。そんな、手垢がついた都合のよい視角に止まらない姿勢が、なかなか意外な<連鎖関係>の摘出をもたらしていて、飽きることがない。お勧めできるのはそのためです。

花電車は、遼陽会戦勝利記念に運行されたのが最初。坂本竜馬伝説は、日露戦争に始まる。日露戦争時の弾薬補給不足から、日本の「精神主義」がはじまる。ユダヤ人へのポグロムは、全ユダヤ人口の1/3が住んでいたロシアで激しかった。「アムール河の流血や」、「聞け 万国の労働者」、「歩兵の本領」、「労働歌」は、みなメロディが一緒 …… などさまざまなトリビアがとてもうれしい。

なにより「戦争の世紀」は「非戦論の世紀」でもあったという指摘が冴えています。

石光真清『曠野の花』で問いかけられる「勝てるのか?」。
現地で諜報工作に従事する者の疑心暗鬼と、主戦論に覆われた銃後の落差。その熱狂の中でおこなわれた、キリスト教人道主義者トルストイと日本の社会主義者の平和主義論争や、第二インターナショナル六回大会、片山潜とプレハノフが「戦争反対」で握手する模様は、感動的ですらあります。なにより、日本国憲法批判は、日露戦争時の≪「非戦論」批判≫において出尽くしている、という指摘も鋭い。1894年「暴清庸懲」、1904年「暴露庸懲」、1930年代「暴支庸懲」……。今もなお、北朝鮮や韓国、中国などに向けられてしばしば噴出する「庸懲論」の系譜は、定期的に反復されている ことが発見できて、たいへん面白い。

「言辞としては陳腐」だが、「実行としては新鮮」なる≪非戦≫
それを「迂闊」なまでに守るか否かを問いかけ、締めくくられる本書。

戦後60年、日露戦争100周年にあたる、2005年。
<日露戦争の世紀>とは何だったのか。
そこから脱却した地点に、我々は何をみるのか。

それを静かに問いかけて終る本書は、総選挙、一票を考えるために、読まれるにふさわしい一品になっています。

評価 ★★★☆
価格: ¥819 (税込)

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Last updated  Sep 30, 2005 11:00:06 PM
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