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テーマ:社会関係の書籍のレビュー(95)
カテゴリ:政治
大メディアによる自民優勢、小泉圧勝の大合唱の中で、 大詰めをむかえた、2005年、総選挙。 一言でいえば、この選挙の争点とは、 「政権交替、YESか?NOか?」しかありません。 後のすべての判断軸は、イカサマ、虚構といって構いません。 ●1 政策に騙されるな!! 郵政民営化、YESか、NOか!! 年金改革、子育て充実を!! たしかな野党が必要です… … これら選択肢は、あらゆる意味でイカサマでしかありません。 これを読む皆さんは、絶対、騙されてはいけません。 なぜなら、2大政党制下の進む現状では、2つの政党はつねに「得票最大化」「中道化」戦略を採用することになるからです。そのため、2大政党の提示する政策は、固有の支持層と政策との間に、多くのねじれをともないながら、対立する論点においては、つねに多数派の意見を選択してゆくことになりやすい。 たとえば、年金一元化。 与謝野政調会長は否定しません。 また、郵政民営化も、岡田代表も否定することはない。 なぜなら多数派は、年金改革賛成であり、郵政民営化賛成だからです。 それは、社民党、共産党などによって、「民主も自民も同じようなもの」などの批判をうける原因になりやすい。また、岩波『世界』においても、古川隆久のように、「第二の保守合同」などの、珍妙な政論を生みおとします。同じものは2つもいらない、と。しかし、これは誹謗中傷の類でしかありません。得票最大化のため、両党がギリギリまで徹底的に「中道化」させてゆく努力。そのため、両党の政策はなかなか違いが見えません。そして、誰しもを十全には満足させられないかもしれない。そのかわり不満足度は、最小になることに疑いの余地はないのです。共産党の政策が実現されたら、共産党支持者は大満足でしょうが、圧倒的多数がすさまじい不満足をかかえるでしょう。 そのため、自民・民主どちらに一票を入れようと、遅かれ早かれ、必ず多数派の政策にそって実現されるのです。小泉首相は、なかなか靖国を参拝できないし、岡田は郵政民営化を進めざるを得ない。民主党に一票入れるべきと焦るのは、無年金で放り出される恐れが間近にせまる人で十分です。また、小泉の改革に応援したい一心から、一票を入れる必要なんて、まったくありません。 それは、「政策に騙されている」ことなのです。 ●2 人物に騙されるな!! これもまた同様でしょう。 ジャーナリズムとしての機能を完全に喪失しているマスメディア。 直接面識のある政治家なら、そんな心配をする必要はありません。あなたに有能を演じているだけなのかもしれませんが、その演技力もその政治家の能力のひとつ。むしろ騙されてあげるべきでしょう。しかし、その政治家と直接の面識がないなら、話はまったく別です。メディアに映しだされる政治家像は、とくに与党関係者を中心として、そのほとんどの情報が、受けとり手である消費者を意図的にコントロールするために発信されたものにすぎません。それは、インターネットでも同じこと。言うまでもなく、政治家の発信する情報と、政治家はまったく別です。 さらに、この政党を支持したくないけど、人物に惚れこんで一票を入れよう…という人もいますが、まったくのナンセンスです。二大政党制においては、基本的に、その政党に与えられている選択肢は極めて乏しい。特定の人物が、政党をかえることなどできません。政治家の影響力、という問題以前に、政党にはフリーハンドの余地など与えられていないのです。 「小泉純一郎は、自民党を変えた!」というのは、デタラメです。 たんに、「得票最大化」「中道化」戦略を行使しているにすぎません。 鳩山代表のとき、民主党は「構造改革」をとなえ、今では保守系議員も相当多いようにみえます。これも「得票最大化」「中道化」戦略の行使の結果にすぎません。 そんな中で、その政党のカラーとは違った、または、「得票最大化」「中道化」にそぐわない政策を、あなたの好きな政治家に期待して一票を投じても、まったくムダなこと。たんに、あなたとその政治家が「中道」ではない、というだけです。実現する見込みは、あなたが世間をかえてゆかないかぎり、まったくありえません。 人物などに騙されてはならないのです。 ●3 おのれの良心・信条に騙されるな!! これが、最大のポイントかもしれません。 われわれは、「良心や信条」などの囁きに耳を貸してはならないのです。 だいたい、良心や信条をわめきたてる人、 あなたの周りに、普段いないと思いませんか? 尾崎豊ファンだと名のる人に限って、ウザクありませんか? というか、そんな布教活動地味たことをする人、 あなたにとって気色悪いでしょう。 それが、選挙のときだけ、なぜ許されるのでしょうか? 不思議ではありませんか? そもそも、「良心や信条」というのは、思考停止なのです。 人間は、生きていくかぎり、「世界の複雑性」に直面します。そのとき、何らかの手段によって、「世界の複雑性」を減少させないと、計算量の問題、情報コストに直面して、まともに生活さえおくれません。まさにそのとき、宗教や、イデオロギーや、権威などがあなたに忍び込む。そして、世界を構造化させて複雑さを回避して、あなたは安定した思考を実現することができるのです。 「良心や信条」とは、あなたへの甘いささやきです。 イデオロギーをテコに集票したい政党の思うツボになっているのです。 あなたの判断停止をいいことに、それをエサにして騙される奴を、各政党は物色しているのです。 わたしは「国益」を重視します!!! 「国益」を重視する政党を選びます!!という人を例に考えてみましょう。 そもそも、「国」とは何でしょう? もっとも、普通の意味では、政府機構をさしますが、その最大の構成員は「労働組合」に組織された公務員です。寡聞にして、官公労の利益を重視します!!という、自称「国益」重視論者に、だれ一人として、お目にかかったことはないでしょう。つまり「国」とは、肝心な政府機構の構成員の外におかれた、具体的に形容することのできない、「何か」なのです。それは、「伝統」「文化」「土地」「天皇」…論者によって指す内容はマチマチであり、あるいは国民のことをさすかもしれません。まったく、意味不明なシニフィアン(記号)、それが「国」なのです。 これは、他のすべてについても言えることです。 「益」とは何でしょう。何が「益」なんでしょう。 これらが組み合わさった「国益」とは、客観的に計測可能なのでしょうか。 まったくもって、 「国益」というシニフィアンによって喚起される、無限のシニフィエ、無限の想像力をテコに、受け手である国民の「都合のよい」妄想を喚起させて、集票しようとする薄汚い試みこそ、「良心や信条に従って投票する」ということなのです。それは、なにも「国益」だけに限りません。甘いささやきによって投票をせまる行為は、、「平和」「護憲」「改憲」だって同じことなのです。「良心や信条」など、あなたが大切にしているもの、あなたにとって崇高なものに、判断を譲り渡してはならないのです。 だからこそ、最初にかいた争点が重要になります。 「政権交替、YESか?NOか?」 「良心や信条」などに従った投票行動など、「私の好きなミュージシャン」を聞かされることと同質の、ウザイだけの勘違いでしかありません。いつから、投票行動が、自分の「良心や信条」をしめす行為になったのか。 政策や人物、良心・信条などによって「選ばねばならない」という一般通念。それは、政治が国民一人一人とは異なった論理と領域でおこなわれているという事実を隠蔽して、「市民の政治参加」というフィクションを延命させるイデオロギーにすぎないのです。 われわれは、騙されてはならない。われわれは、つねに「政治」過程から、永遠に「疎外」されている。参加できると考えること自体、フェイクにすぎない。あなたの投票行動は、どの政党に政権を握らせるか以上の意味をもたない。だからこそ争点は、「政権交替、YESか?NOか?」だけでしかない。他のすべての選択肢は、虚構でしかないのです。 きたるべき9月11日の総選挙。 今後4年間、政治を担わせるにたる政治勢力は、自公か、民主か。 政策や人物、良心・信条…判断の妨げになる過剰な情報を捨象して、 われわれは、来るべき政権をえらぶ投票行動にせまれれているのです。 大事な一票。 戦略的に行使することが求められているといえるでしょう。 ←このブログを応援してくれる方は、クリックして頂ければ幸いです お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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