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カテゴリ:音楽・文化
![]() (承前) ● 「時代を超えた独の偉大な音楽VS軽薄な仏伊の流行音楽」の図式確立 ● 上記のどちらも、「労働する市民を感動させる」音楽では同じロマン派 公共空間に自作をアピールする作曲家たち。そこでは、音楽を公正に判断する「批評」という営為が欠かせない。また19世紀、音楽学校が成立するようになると、徒弟間で作曲を学ぶ形式は廃れ、専攻別に分かれて器楽演奏を学ぶようになる。過去の優れたレパートリーを学ぶには、「名作」が必要。かくて18世紀、現代音楽が上演されていた演奏会は、19世紀ロマン派以降、「過去の不滅の傑作」を上演する演奏会に変容して、「不滅の音楽を書かねばならない」という強烈な歴史意識が現れるようになる。19世紀、近代市民社会の成立。巨大オーケストラによるハッタリと物量作戦、演奏技術開発、観衆のマス化、スター演奏家の出現。 その果てに、19世紀「音楽の首都」パリでは、宮廷社交文化を引きついで上流ブルジョアを受容者とする、グランド・オペラとサロン音楽が大流行する。ロッシーニやマイヤベーヤなど、外人に占められたフランス音楽界。普仏戦争の敗北後、フランス人作曲家たちの印象派音楽が、小泉首相の好きなワグナー、サロン音楽、場末音楽、エキゾチズムの影響を受けつつ、「古典に帰る」を旗印にして誕生する。 ところがドイツでは、概念を欠いた純粋な響きであるが故に、器楽曲(交響曲・弦楽四重奏など)を究極の詩(芸術)と見たロマン派詩人を介して、音楽とは宗教的敬虔で接すべきもの、擬似宗教的な性格をもつものになる。深さや内面性を重視して、器楽音楽を崇拝して音楽を「傾聴」する文化は、ここに由来するという。その「神なき時代」の宗教音楽は、グスタフ・マーラーで頂点に達する。「調性」(シェーンベルク)「拍子感」(ストラビンスキー)などの破壊をもって、クラシック音楽は自己崩壊する。 ● ロマン派的な「実験」「過去の名曲演奏」「広く受け入れられる曲作り」 の「3位一体」が分裂してしまった20世紀 第一次世界大戦で、ロマン派は作曲のみならず演奏においても完全に終焉して、「新即物主義」「新古典主義」にとってかわられる。音響素材開拓の絶望から「歴史の進歩」「オリジナリティ崇拝」というロマン派的音楽観を否定して、「パロディ」(新古典主義)を作る動き。その一方では、断固として「歴史の進歩」と「未曾有の音響」を求めることを止めない「十二音技法」が登場してくる。「何の規則もない所に、独創性は存在しない」以上、いずれもクラシック音楽崩壊後の「型」を再建・回復するための回答という共通性があるという。20世紀後半以降の3つの音楽の潮流、前衛音楽、巨匠によるクラシック名演、ポピュラー音楽は、いずれも19世紀のロマン派音楽の遺産の上にある。ポピュラー音楽も、旋律構造・和音・楽器・「市民に感動を与える」点では、ロマン派の後継者、クラシックと地続きにすぎないらしい。 いかがでしたでしょうか。 なによりも、音楽史という素材でありながら、ここまで西洋の政治・経済・文化・思想全般に目配せする離れ業には、驚くほかはありません。サロンで弦楽四重奏曲を楽しむ姿。それは、『のだめカンタービレ』で「貴族?」呼ばわりされるような御伽噺ではなく、18-19世紀の中産階級の普通の嗜みでもあったのです。そういった中産階級の生活が、写真などをふんだんに交えながら語られる。なんという楽しさか。音楽でこそ、文学作品の最も深い<言葉を超えた理念>に肉薄できる! そのロマン主義芸術運動は、標題音楽・交響詩へとつながり、また音楽はシニフィエもシニフィアンもない絶対的なものとする絶対音楽の理念を生む。それは、フォルマリスムの先駆けにもなるというのも、「ふむふむ」感が漂っていてすばらしい。いたるところまで目配せが効いています。 ただ、すこし残念なのが近代部分。おおむね『オペラの運命』(中公新書)で言い尽くされていて、あまり新鮮な感じがしない。音楽家としてはともかく、批評家としては素晴らしい吉松隆などを読んでいると、あまり斬新さが感じられない。できれば参考文献では、アドルノ以外も、目配せしておいた方がよかったのではないだろうか。 さらに、20世紀後半では、「実験」「過去の名曲演奏」「広く受け入れられる曲作り」が一体となったものに、ジャズをあげて評価する部分は、ジャズ~クラシックファンである私がみても、ちょっといただけない。まるでジャズが前衛とポピュラーのミックスであるからこそ、評価されているみたいじゃない(たしかにそんな時代もあった)。しかも、その際出てくるのが、マイルス・デイビスの関係者ばっかりである上、1960年代後半には、前衛とポピュラーの分化がおきているといわれても…。ジャズ固有の前衛さ、モードについての検討がなされていないので、いささか軽薄に移ってしまう。エレクトリック・ジャズ全盛だった、1970年代はどうなるんだろう?そもそもプログレッシブ・ロックなんかは関係ないの?う~ん微妙。 ![]() そんな疑問点などをすこしばかり感じるものの、そんなもの些細なものにすぎません。リヒャルト・シュトラウス「ばらの騎士」をクラシック音楽への「決別」として描いた、この人の『「バラの騎士」の夢』(春秋社 1997年)と並んで、すばらしい作品に仕上がっています。 ぜひ、お楽しみください。 評価 ★★★★☆ 価格: ¥819 (税込) ![]() お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
Nov 30, 2005 02:22:40 PM
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