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書評日記  パペッティア通信

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Nov 21, 2005
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カテゴリ:歴史


世界最初の国民国家同士の総力戦だった、日露戦争。
今では、第0次世界大戦という学者もいるくらい、それは激烈な戦いでした。

そこでは、8万名ものロシア人捕虜を暖かく迎えた、日本の紳士的な対応だけに注目が集まっていました。ところが、実は2000名もの日本人捕虜が発生していたのです。

どちらも、西洋に比べると遅れた野蛮な国家であることを自覚するもの同士の戦い。それは、お互いに奇妙なまでの「文明」的な振る舞いを強いることにつながりました。本書は、日露戦争を「捕虜待遇」という裏面史から描きあげた、たいへん面白い作品に仕上がっています。

なによりも、「シベリア抑留」で大量の日本人捕虜を殺したソ連や、膨大なBC級戦犯と戦陣訓による大量自決者を生んだ、昭和ファシズム期の日本とはまったく捕虜の扱いが違うのです。

もともとロシアは、軍縮と戦時国際法整備にとても熱心だったらしい。かの国の音頭で、捕虜待遇を定めた南北戦争時のリーバー・コードを敷衍して、欧州最初の成文戦時国際法規を定めたブラッセル宣言が出されています(発効せず)。またロシアは、1899年ハーグ万国平和会議でも、ペテルスブルク大学マルテンス教授などを中心にして、国際人道法制定の取組に尽力していた。そのため、対外戦争においても、人道的対応を実践していたという。

そこで、ロシアの広大さを見せつけ、ロシアを侮らせないためにも、帝国の中心がある欧州に捕虜収容施設を!ということで、モスクワ北西、ノブゴロド近くのメドヴェージ村に、捕虜収容所が建設されたという。待遇は良好。将校クラスには、外出も認められ、捕虜が撮影した写真さえ現存しているという。日本人捕虜も、意気消沈することなく、さかんに改善待遇を要求して、外国大使館に働きかけさえおこなっていた。明治政府も、捕虜になった将兵・軍属を公表していたし、捕虜になることを認め、帰還した捕虜将兵を咎めることがなかった。旅順港閉塞作戦は、捕虜になることを前提に起案されたものであったらしい。

また、悲願の条約改正や有利な講和にもちこむため、明治政府も「文明国」と見られるように、細心の注意をはらっていたという。正教徒・カトリック・イスラム・ユダヤ教と多彩な民族構成をしていたロシア人捕虜。将校クラスでは、料亭から洋食をとる者やコックを雇う者、野山で昆虫採集していた者がいたというから、驚く他はない。

むろん、捕虜と収容所の間では、さまざまなイザコザが生じています。それでも、ロシア人みたさの見物客が殺到したり、捕虜と地元民が水泳大会をひらいて交流をする話などには、暖かいものを感じさせてくれます。また、辺境へ逃亡した農民で編成されるコサック騎兵隊に捕虜にされたものの、勇敢な戦いぶりに免じて釈放された話。満州やシベリアではどうにもならないが、欧州部のロシアに着けばなんとかなる、と励ましたロシア人将校の話。反ロシア気運が高まる日本で、一部の日本人は、ロシア人捕虜に慰問金を送る運動をするなど、感動的な一幕もあったという。細かい話がさわやかな彩りを加えていて喜ばしい。

また国際人道法には、将校に関しては「宣誓解放」というものがあって、抑留国に対して再び武器を取らないとする旨、「誓約」することによって、本国に送還される慣習があったという。この西欧の伝統は、フランス革命期に失われたものの、1864年ジュネーヴ条約で確認され、日露戦争では何千名もの捕虜が、「宣誓解放」されているらしい。かの軍事史家半藤一利が、この宣誓解放のことをまったく知らず、「乃木の大度量」と讃えていた話も紹介されていて、思わず笑みがこぼれてしまいます。

とはいえ、日露戦争における日本の紳士的な戦闘ぶりは、イギリスによって誇張されたものというシニカルな見方も、やはり事実の一端であるらしい。日本人捕虜は、他の国と違って脱走者がいなかった。脱走しても生きて帰れる場所がない。故郷の冷たい待遇。日清戦争期では、すでに捕虜=恥辱とする概念が強かったものの、公式なものとなることはなかった。明治の論壇では、捕虜になることをめぐって、生きて帰って「再戦」することこそ報国という考え方も一部にはあったものの、昭和期になると完全に消えてしまう。公式の厚遇ぶりの裏には、日清戦争におきた「旅順大虐殺」の体質を連綿と引きついでいて、日露戦争でも捕虜イジメを自慢する風潮、トラブルなどを随所で引き起こし、やがてサハリンでの虐殺につながってゆくという。

とはいえ、他者からの目を異様に気にしていた当時の日本の姿は、戦後の日本社会とも通じていて、なにやらたいへん微笑ましいものがあります。日本は、視線を気にして卑屈になるか、その反動で傲慢になるかの、どちらか両極端しかないような気が。なにもかも「相対化」されてしまう日本では、「他者の視線」がないかぎり、手前勝手に暴走するだけなのかもしれないな、と考えさせられる著作になっています。個人的には、こうした「世間」という感覚は好きになれないのですけど。

日露戦争だけではなく、日本社会も考えさせてくれる、そんなお薦めの作品になっているといえるでしょう。



評価 ★★★☆
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Last updated  Dec 22, 2005 07:00:41 PM
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