書評日記  パペッティア通信

2006/01/01(日)23:07

★ アメリカン・デモクラシー万歳! ジョン・フォード監督 『リバティ・バランスを射った男』 パラマウント社 1962年

サブカル・小説・映画(43)

日本の「保守派」の連中を見ていると、しばしばうんざりさせられてしまう。 「日の丸・君が代」の押しつけ。 ジェンダーの押しつけ。 こうした、他者の政治的信条への「介入的」な姿勢は、まだ許そう。 保守思想とは、そういうものだからだ。 ところが、政治的信条に加え、経済分野においても「介入的」で、自由を認めようとしない奴が多い。それは、たんに「権威主義者」「全体主義者」の類にすぎない。見たところ、ほとんどの自称保守は、「権威主義者」「全体主義者」か、かぎりなく「権威主義」に近い「リベラル」ばかりである。国家にすがりつく自称保守。この形容矛盾をみるたびごとに、あまりの情けなさに泣き出したくなってしまう。 そんなとき、「精神の平衡」を保つため見るのが、アメリカ・ハリウッドの『西部劇』なんである。 『西部劇』はいい。コミュニティがある。家族がある。敬虔な男たちがいる。友情がある。なによりも、はちきれんばかりの自由がそこにはある… 本日ご紹介するのは、10月、廉価版「DVD」として販売されたばかりの、往年のジョン・フォード監督の名作中の名作、『リバティ・バランスを射った男』である。 ある日、上院議員ランス・スタッダード(ジェイムス・スチュワート)は、シンボーンなる駅に降り立つ。大統領候補ともいわれる男が、何故、こんなひなびた町に来たのか。それは、忘れられた西部の男、トム・ドニファン(ジョン・ウェイン)の葬式に立ち会うためだという。まさか。納得しない新聞記者たち。そこで語られる、鉄道開通前の「西部の物語」… ランスは、西部へ目指してやってきた、若手弁護士。 ところが、その途中、西部の荒くれ男、リバティ・バランスたちに襲われ、金品を巻きあげられたばかりか、瀕死の重傷を負ってしまう。かれは、牧場主にして名ガンマン、トム・ドニフォンに助けられ、彼と恋仲であった、ハリー嬢の家に連れてこられ、彼女の献身的な介抱をうけることになる。やがて、傷がいえたランスは、彼女の両親(スウェーデン系移民)が経営する食堂で皿洗いを手伝うとともに、自分を襲ったリバティ・バランスに「法の裁き」を食らわせることを誓う。ところが、トム・ドニフォンには笑われるだけだ。「西部では銃だ」と。リバティ・バランス相手では、シンボーンの保安官もおびえるだけ。まったく手が出せない。歯ぎしりするランス。その硬骨で生真面目な人間性を理解して、次第にランスに恋心をいだくようになる、ハリー。 ある日、この町が属する準州で、州に昇格させようという動きがおきる。 この町の人々は、準州であることによって、牧畜業者に農地を荒らされて困っていたからだ。ところが、準州の北の牧畜業者は、「州昇格」に反対して、リバティ・バランスを雇って、シンボーンの選挙人集会を襲わせることにした。選挙人集会での対決。ところが住人は一同、この集会で議長をつとめていたランスを下院議員に推薦してしまう。リバティ・バランスは敗れた。そこで、ランスにこの町から退去せよとせまり、両者は「決闘」になってしまう… なんといっても、ジョン・ウェインの枯淡の味わいが光る。 これほど「壮年男の哀愁」が漂う西部劇は、見たことがない。 こんな男になりたいものだ。 男なら必ずそう思うだろう。 なによりも、素晴らしいのが、ランスの「授業シーン」と、 シンボーンの町の「選挙人集会」なのだ。 ランスは弁護士で知識人。そこで彼は、字が読めないハリーと子供に塾をひらくことにする。目を輝かせてランスから学ぼうとする生徒たち。アメリカが共和国であることを、市民の国であることを誇らしげに復習する生徒たち。 選挙人集会になると、もう涙ものというほかはない。 何百人もあつまった集会場では、トム・ドニフォンが顔役だ。実にアメリカ人らしく、ジョークを交えながらも、みごとに議事を仕切ってすすめてゆく。みんな、まったく対等。しかも、巧みなリーダーシップもあって、言いたいことを遠慮せずいいあって、ちゃんと収まるべき所にまとまってしまう。 集会当日、ハリーの父の姿の素晴らしさを見てほしい。手に入れたばかりと思われる、ピカピカの合衆国市民証を手にして、着飾って選挙人集会におもむくのだ。19世紀後半、一票を行使することは、なんと重みがあったことだろう。その姿を誇らしげに眺めて見送る家族たち。ジョン・フォードの描く「草の根民主主義」の素晴らしさ。デモクラシーを愛するものにとって、これくらい泣ける映画はないのではあるまいか。 この映画は、巨匠ジョン・フォードのターニングポイントになった映画としても知られている。皆さんは、信じられるだろうか。この作品は、一人としてインディアンが出てこない西部劇であることを。 映画史上に残る傑作、『駅馬車』(1939年)。それは、「ジョン・ウェイン主演の最初の西部劇」「インディアンのすさまじい追撃戦」として有名な作品だが、インディアンをバッタバッタ殺しまくった残忍な映画でもあった。それが騎兵隊三部作(1948-50)から、少しずつ消えてゆく。『捜索者』では、インディアンへの復讐にもえる残忍な一匹狼、ジョン・ウェインを描きあげ、とうとうインディアンのいない西部劇へたどり着く。この翌年、ジョン・フォード監督は『シャイアン』を送り出す。それは、インディアンを主人公として、シャイアン族の流浪の旅をえがいた作品であった。 『西部劇の神様』ジョン・フォードのたどり着いた、旅路。 西部劇はアメリカの恥部、なんて言わないでほしい。 ぜひ皆さんも、その素晴らしさを味わってもらいたい。 評価 ★★★★ 価格: ¥1,575 (税込)  ←このブログを応援してくれる方は、クリックして頂ければ幸いです  追伸 『リバティ・バランス』は白黒映画なんで、いまいちジョン・フォードの真価『映像美』を理解しにくい一面があります。ジョン・フォードの映像美のなんたるかを堪能したい方は、こちらの『捜索者』をごらんください。唖然とさせられるほどの、モニュメンタルバレーの素晴らしさ。必ずやノックダウンされることでしょう。 評価 ★★★★☆ 価格: ¥1,575 (税込)

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