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テーマ:社会関係の書籍のレビュー(95)
カテゴリ:音楽・文化
![]() ご隠居、てーへんだ!てーへんだ! 。天皇制は発明されたものだったんだ! くまさん、なに朝っぱらから騒いでんだよ。 そんな所に立ってないで、こちらにお入り。 これが騒がずにおれますか、ご隠居。この本によれば、紀元節も武士道もニセモノで、「穢れ思想」は日本だけのものではないらしいんですぜ。そして、東洋美術は「精神(気)の表現」、といった日本美術論も、ヘーゲル『美学講義』を密輸入しての発見にすぎないというんです。「漢文」を含んでいる日本文学史ってのも、考えてみりゃ、イカサマだ。ラテン語叙述をいれたイギリス文学史、みたいなもんじゃないですか。世界でそんなバイリンガルな自国「文学史」をもつ国は、日本と朝鮮くらいしかないんですぜ。ちきしょー!騙された! いきり立つのはおよしよ、くまさん。そんなのあたりまえのことじゃないか。そもそも「武士道」ってのは、新渡戸稲造によれば、「民族の信仰」としての神道を起源として、陽明学の知行合一をあわせたもの…なんだよ?。「民族」ってなんだい。そんなの「伝統の捏造」に決まってるじゃないか。天皇と庶民を一つの家族として強調するために、「血統」「家族」なる観念でさえ、本当は近代に入って強調されてくるんだ。漢文もそうだろう。明治の公文書が漢文体だったんで、むしろ漢文教育が強化されてるんだ。漢詩創作の全盛期は、実は明治だというしな。徳川期には「漢文~和漢混淆文~和文」の幅広い読書層が形成されていて、「俗語体」による明治「文学革命」なんてものはなかった、ってことをしらねーのかい。 それだけじゃないんです、ご隠居。「自然を愛する日本人」「童謡」ってのも、明治のつくりものらしいんだ。松尾芭蕉たち「ワビ・サビ」や幽玄の美なんてのが、日本文化の神髄、「日本的」なんていわれだしたのも、大正時代らしいんだ。狂言や、闘茶・大名茶なんて、わざわざ無視されて。なんか騙された感じですよ。おらあ、もう、何を信じていいのか分からなくなっちまったい。 なんだい、なんだい。 いきなりしおれちゃって、どうしたい、くまさん。お茶でもおあがりよ。 キリスト教的<普遍主義>からの独立が必要だったヨーロッパ諸国とちがって、日本は「国家神道が中核」にされて国家形成してきたんだ。だから日本では、ヨーロッパとは違って、<神道的>(宗教的)への距離がとれないで支柱にされることが、政治や文学などをみても多いんだな。そんな成立事情からくる特有の捻れは、文化ナショナリズムに典型的に現れやすい。20世紀、マスメディアの発達による大衆社会の出現、総力戦体制、民族独立運動の高まりによって増幅されるんだ。だいたい、大正期なんて、エロ・グロ・ナンセンスの世紀じゃないか。その反発から、吉川英治「平和のための剣」(宮本武蔵)の創作など、復古調「日本的」なるものを生む。いい例が、その本に紹介されている、筧克彦『古神道大義』だろ。 なんでい、ご隠居。読んでいたんですか。 てっきりご存じねえとばかり。 おう。読まいでか、くまさん。宇宙大生命と自己を一体化する思想、大正期「生命中心主義」が、大東亜共栄圏<皇軍の論理>の底流に流れこんでいるとは驚かされたね。「現人神」天皇は、宇宙大生命の現れであり、人々は「天皇の赤子」で、皇国は人類救済の大使命をもつんだとか。「古神道」は、侵略・退宿もなく一切を包容するなんて、本家キリスト教超越的絶対神も顔負けの、ウルトラ普遍主義。しかもその普遍主義は、宗教を絶対者に帰依するものととらえ、それを保障する精神共同体を構想する、ドイツ・プロテスタント神学の密輸っていう体たらく!! ご隠居、あっしはもう情けなくて。 なんだか涙が出てくらあ。 おいおい、涙じゃなくて鼻水じゃないか、くまさん。 この手ぬぐいでふいとくれよ。皇民化教育で「言葉」を奪う一方、大東亜共栄圏のため、外地他民族文学の翻訳があふれたというのも、面白いじゃねえか。「帝国主義からのアジアの解放」と「アジアの支配」の矛盾が、はしなくも丸みえだよな。戦後編もまたいい。三島由紀夫「英霊の声」「文化防衛論」は、平和文化の象徴(津田・和辻)、天皇主義アナーキズム(林房雄)など、戦中に生まれ、戦後展開した<文化ナショナリズムの綜合>というのもいいね。丸山真男が「歴史意識の古層」として突き止めた「なる」論理は、実は「大日本帝国の<実在>」ではないのか?との問題提起も泣かせるよな。 そうなんですよ。あっしらが「日本」と思ってたものがみな「大日本帝国」のニセモノだったなんて。あの万系一世の天子様も、韓国にゆかりを感じます、なんてぬかす始末。いったい「日本」なんてもの、どこにあるんですかねえ、ご隠居。 悪いけど、それはないね、くまさん。『脱中心化』された空虚。その周りに無限に増殖してゆく「日本」的なるものの言説。過去に遡及的に発見され、伝統が再生産されてゆくだけにすぎないんだ。「伝統」は、以前ならヘーゲルやプロテスタント神学がツールとして使われたみたいだけど、今ではお手軽にパソコンでネット情報ってことじゃないかな。明治の見取図として、西欧文明化・ロマン主義・国粋主義・文化改良の座標軸をつくって、そのあらゆる方向性に対する妥協として「天皇制」を位置づけたのも面白かったね。 ちくしょう、騙した奴、許さねえ。探し出して、ぶんなぐってやる! おいおい、よさないか。くまさんは極端なんだ。だいたい、おれたちが「西欧」とおもってるものでさえ、「イスラム」からの密輸によって成立してるんだ。今のイスラムも、西欧の参照によって成立している…とすれば、<固有>のものなどは、どこにもない。いやあるとすれば、その「個」同士をむすびつける、見えない「鎖」ではないかな。鎖が切断された、まさにそのとき、ニセモノの主体たる「日本」がたちあがる。文化相対主義は、ナショナリズムの差別的で残虐な側面を支える論拠として利用されたことを批判するのだけど、文化多元主義もまた切断線をかえるだけにすぎない。それなのに、この本では文化多元主義をむやみと礼賛しているのは、いただけないね。 おや、風向きが変わって来ましたね。 でー、ご隠居。結局、なにが言いたいんですかい、この本は。 ニセモノ以外、さっぱりわからねー くまさんよ。教科書なんじゃないかな。エランヴィタルのようなご専門をのぞくと、ちょっといかがわしい記述もちらほらと散見するよね。とくに中国絡み。今川了俊『難太平記』や貴族の「私史」程度の異議申し立てなら、中国では「雑史」「野史」「稗史」などでいくらでもされてるだろ。その辺の線引きは、微妙だよね。あまり知らないなら触れない、という方法もあったんじゃないか。また、資本主義とイスラムの対立をみるのも、どうかね。その辺、ちょっと割り引いちゃうよね。 するってえと? 新書としては合格点、っという感じかな。 (続く、のか???) 評価 ★★★ 価格: ¥903 (税込) ←このブログを応援してくれる方は、クリックして頂ければ幸いです お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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