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テーマ:社会関係の書籍のレビュー(95)
カテゴリ:社会
![]() 感動の一大ドキュメンタリーである。 否。著者は、テレビ局のドキュメンタリー企画として売りこんだものの、ディレクターに難色を示され作らせてもらえなかった。だから、この表現は正確ではない。しかし、これ以外、どう表現できるというのだろう。 プロレスとテレビ。 戦後、蜜月関係を取り結び、 ナショナリズムと戦後復興を支えたコンテンツとメディア。 「空手チョップ」を武器にした、<日本の希望の星 力道山>。占領国アメリカからやってきた、白人レスラーたちの悪辣なファイトに堪え忍び、最後に蹴散らすその勇姿。国民は熱狂的に酔いしれた。正力松太郎は語った。「日本人に誇りと勇気を取り戻してくれた」。力道山は語る。「わしがプロレスに命を賭けたのは、…眠れる日本人の大和魂をゆすぶるのが最大の念願です」。テレビは、視聴率8割にせまる、キラーコンテンツ「プロレス中継」を武器に、メディアの覇者の地位を確立する。今でも、拉致問題や反日運動などを声高に伝え、ナショナリズムを煽りたてる潤滑油になるメディア、テレビ。 とはいえ、今にして思えば、なんという歪んだ共犯関係、なんという歪んだナショナリズムの発揚だったことか。力道山、本名、金信洛。北朝鮮・咸鏡南道出身。日本古来の空手道をおさめ、全米で白人をなぎたおした、大山倍達。本名、崔永宜。ともに在日1世だったであったのだから…。日本プロレスのコミッショナーは、右翼の大立者、児玉誉士夫。監査役は、韓国人を父にもつ、暴力団組長。プロレスは、愛国心を鼓舞するための宣伝。公然の秘密だった、プロレス興行収益の保守政治家への献金… 森達也は、そんなプロレスを愛する一人の男である。 ナショナリズムを高揚させながらも、それを嘲笑い脱臼させてしまう。そんな、虚実の皮膜が限りなく薄い、プロレスというジャンルを愛してやまない。ユダヤ人でありながら、ナチスの残党を演じて、全米のヒールとなった、フリッツ・フォン・エリック。「9・11」以降は、スーザン・ソンタク、チョムスキーらと互して、全米で唯一、いかにアメリカが独善的であるかをリング上で罵倒しまくった、フランス系カナダ人レスラーたち。徹底的にアナーキーで無思想。そんなジャンルを愛してやまない彼が、何十年も気になって仕方がない、一人のレスラーがいる。アメリカ・プロレス界における、「世紀の大ヒール」グレート東郷。 高下駄を履き、「神風」と書かれた日の丸の鉢巻きと、南無妙法蓮華経と書かれた白地の法被をまとう。リングには塩と米をまき、盛り塩をおこなう。お辞儀を繰り返して、相手の油断をさそい、目つぶしの塩をなすりつけ、下駄でレスラーを殴り倒す。流血のラフ・ファイトは、全米を震撼させた。 倒れたレスラーに向かい「バンザーイ!パールハーバー!」 フォールされる寸前になると、「天皇陛下、バンザーイ!」 戦争の記憶も覚めやらぬ時代。それはもう、アメリカ中の憎しみを買い、試合は常に超満員だった。観客から襲撃されることもザラ。絵に描いたような、<卑劣なジャップ>。日本人からは、「国賊」「売国奴」「日本人の恥さらし」とよばれた男。1960年代、舞台を日本に移して以降は、「血笑鬼」なるニックネームをもらい、流血の悪役バトルをくりかえす。ヒール(悪役)は、「実はいい奴」というのが通り相場である。ところが、プロレス関係者のほとんどが、「最悪な男」「金に汚すぎる」「約束を平気で破る」と、蛇蝎のごとく忌み嫌ったのだ。ただし、「東郷さん」と呼び慕い、義兄弟のような契りを結んだ―――他人には自分のことを「先生」と呼ばせていたほど権威主義者だった―――力道山をのぞいて…… 大ヒールゆえ(プロレスでは、大ヒールはスーパーヒーローよりギャラが高い)リングの外で圧倒的な政治力・経済力を持っていたためなのか?それとも、アメリカに人脈を持たない力道山にとって、欠くことのできない、貴重なブッキング・エージェント(マッチ・メイクをおこなう人)だったからなのか? そこに、震撼させる情報が届く。 東郷の母親は実は中国人。日系人社会でひどい差別を受けていたのだ、と… 彼は、プロレスを通じて、母親を苦しめた日本とアメリカに復讐しようとしていたのではないか、と…。 テレビとプロレス、そして東郷とナショナリズム。4つの関係を定位すべく取材が始まる。ドキュメンタリー枠をとるべく交渉を重ね、資料を集めるものの、確かな情報がまったく集まらない。その過程で、グレート東郷をめぐる事件―――グレート草津VS「鉄人」ルー・テーズ「謎のセメント・マッチ」の舞台裏、グレート東郷VS日本プロレスの確執、ホテルニューオータニ・グレート東郷襲撃事件 ―――の驚愕の真相が次々と明らかにされてゆく。そして、グレート草津の自宅における訪問取材によって、グレート東郷の出生に関する信じられない証言がおこなわれるのだ。ここは必見。ぜひ本書を読んで、確認してもらいたい。 たどりついたかと思われた、真実。 流血しながら不敵に笑みをうかべるグレート東郷の姿は粉々に砕け散った。 その笑みの裏側にある東郷の真実にたどりついたのだ…と思った瞬間、舞台は暗転する。なんたることだろうか。「笑み」の彼方に幻視したかにみえたグレート東郷の真実は、ふたたびかき曇り、砕け散ったはずの破片はいつのまにか、不敵に哄笑するグレート東郷の姿にもどってしまう。 しかし、この心地よさはいかばかりであろう。真か、偽か。善か、悪か。「わしがプロレスに命を賭けたのは、…眠れる日本人の大和魂をゆすぶるのが最大の念願です」。ウヨにすれば悪夢、左翼からすれば「悲しみ」の吐露にされてしまいかねない、この力道山の言葉にさえ、筆者は暴力的な裁断をおこなおうとはしない。虚実に回収できない、言葉にできない「何か」を大切に慈しむのだ。虚実の皮膜に生きるプロレス。丸ごと愛する筆者にふさわしい、曖昧なラストは、むしろ清涼感すら漂う。 「底が丸見えの底なし沼」プロレス。それは、ナショナリズムと似ていると、筆者は語る。プロレスは、ゲスで低レベルなナショナリズムと、どうしても表面上、親和性が高いジャンルになってしまう。そのことを悲しむ筆者。 しかし、それはどうだろうか。ナショナリズムが低劣なのではない。愚劣かつ卑劣な人間が、ナショナリズムに囚われ、信奉するだけにすぎまい。批判されるべき対象は、ナショナリズムではない。批判されるべきものは、ナショナリストを名のることで、愚劣で卑劣な人間性を隠蔽して、ナショナルなものそれ自体を貶める行為ではないのか。 上海総領事館員の自殺を見てみればいい。妻もいる身分でありながら、熱心にホステスに通いつめ、国家機密の提供を強要された。そして、行き詰まった挙句、渾身の飛躍を試みる。卑劣な男が英雄へと脱皮するための、魔法の合言葉=「自分はどうしても国を売ることはできない」。ナショナリストに成りおおせることで、愚劣な男は浄化されてしまう。 そして、ナショナリストたちのあさましさは、特筆されるべきだろう。ネットに急出現した「理不尽な死を悲しみ悼み怒る」共同体。考えてもみよう。身も知らぬ他人が自殺したことに、これまで彼らはいちいち悲しんできただろうか。大部分が、中国への反感ではないか?「悲しみ悼み怒る」その言葉には、中国攻撃をおこなえる材料が出てきたことへの「喜び」が透けてみえる。そうなのだ。「悲しみ悼み怒る」行為に参加してその「仮面」を被りさえすれば、本当に一人の死を「悲しみ悼み怒って」いる人と、面倒を起こしやがってと思っている人と、中国攻撃の材料ができたことを喜んでいる人…これらは外見からは原理的に区別することなどできない。3つの内どれにあたるのか? 自己の内面でさえ、正確に診断できるかどうか怪しいというのに。 ナショナリズムは、この隙間があるからこそ機能している。この隙間を「仮面」をかぶって利用するべく、愚劣で卑劣な男たちは、こぞって参入して「愛国」を合唱する。冷静になって思い返して欲しい。徹底的に貶められていながら、忘れさられているものがありはしないか???。 それは、ホステス通いをする大使館員に利用されることで、「日本」そのものが汚されたこと、ナショナリストによって利用されることで、「理不尽な死」そのものを悼めないことではないか?。 死を普通に悼みたい人は、「恥ずかしくて」とても「悲しみと悼みと怒り」を表明する気になれない、パラドクス。これは何もナショナリズムに限ったことではあるまい。コミュニズムが支配的イデオロギーである地域では、コミュニズムがその役割を担うことになるだろう。筆者は、愚劣・卑劣な人間の増殖の方こそ、問題視すべきではなかったか。 森達也さん、安心して欲しい。 プロレスとナショナリズムは、断じて似てはいない。 さまざまな見識も、たいへん気持ちいいものである。怪我をさせるのは、ほとんど、技をかける側が未熟なためである。プロレスには「台本はない」。ただ、結末とストーリーはある程度決まっている。それは、「八百長」にあたるものではない。ジャズでいえば、コード進行を踏まえながらすすむ即興演奏にあたる。コード進行のないジャズなど、ただのノイズにすぎまい、プロレスも同じことなのだ…なんと心憎い表現だろう。この一冊で、プロレスの見方が変わること、間違いありません。 ぜひ、ご一読あれ。 評価 ★★★★ 価格: ¥819 (税込) ![]() お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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