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テーマ:社会関係の書籍のレビュー(95)
カテゴリ:政治
![]() ソウルを中心とした極度の中央集権国家であることに加えて、日本以上の単一民族国家の神話の病に冒されている韓国。本書は、そんな政治的磁場に抗い、「祝詛の島」済州島と湖南(全羅道)といった差別されてきた「周縁」部から、韓国現代史を捉えかえそうとする良書です。 内容をコンパクトにまとめておきましょう。 ● 全羅道差別は、植民地時代以降の産物 ● 近代史上稀な没落農民の流出をまねいた産米増殖運動 古来、本貫が「郡県」であらわされたように、植民地時代になるまで政治単位「道」は大きな意味をもたなかった。第一次大戦後、日本における重化学工業化の進展は、朝鮮半島に都市労働者層の「食糧供給基地」としての役割を与えるべく、産米増殖運動を展開させることになった。それは、1930年代には、没落農民270万人の地域外流出をまねき、済州島では全人口の1/4が日本に移住するほどであったという。「反逆者の湖南(全羅道)民」という両班社会に限られていた言説は、ソウルなどに流入した湖南民が、酷薄な都市社会を生き延びるため、社会の底辺で強力な同郷結合を取り結ぶ姿によって、地域差別として広く社会全体に共有・強化されていったものらしい。その差別意識は、朝鮮戦争直前~戦中にかけての全羅道を中心としたパルチザン抗争、戦前の湖南財閥の衰退、高度成長下・湖南民のソウル大量流入によって、いっそう強化されることになったという。 ● 韓国権威主義体制を支えた、朝鮮戦争時における報復殺戮の横行 ● 「抜粋」「四捨五入」改憲等の強権李承晩政権を下ろしたい米国 「八・一五」解放直後、各地の民族主義者によって、左派主導で作られた自治委員会は、徐々に米軍政当局と対立を深めてゆく。「親日派」の傷をもつ右派は、その情勢をみてアメリカ軍政当局と李承晩に接近。1946年2月、ソ連軍支配下、北部に成立した臨時人民委員会は、徹底した「土地改革」を断行することで、「越南民」とよばれる80万人もの難民を生みおとしたという。彼らは徹底した反共主義者となり、南における左右両派の勢力関係は覆された。朝鮮半島信託統治をめぐって、反信託(右派)と賛信託(左派)が真っ二つに割れる中で、軍政当局は、反信託のラインでの左右合作を提案。これに反発した朝鮮共産党のゼネストは、軍政当局の大弾圧、「十月抗争」(1946年10月)という争乱を生んだ。これに巻きこまれる形で、済州島では「四・三」事件が勃発、全住民の一割が武装勢力・軍隊によって殺害されたという。これ以降、左右両派は、決定的に対立するとともに、右派優位が現出。1948年8月、大韓民国が成立することになる。議会に基盤がなく、しばしば北進統一を叫び軍を越境させた李承晩。南進統一をねらう金日成。朝鮮戦争とは、中華人民共和国成立に伴う朝鮮人部隊の北朝鮮復員と、南における左右内紛に刺激された金日成によって、低強度紛争が内戦へとエスカレートしたものらしい。朝鮮戦争の過程で、韓国は左派に対して、北朝鮮は右派に対して、報復殺戮をおこった。北朝鮮では、「十字軍」米軍の到来をみて、土地を奪われたクリスチャンが、「サタンの手先」である住民の大虐殺をおこなうようなこともあったらしい。この過程で、冷戦最前線にある李承晩政権は、軍隊・右翼・警察・新興財閥を基盤に、ワンマン独裁政権になってゆく。 ● 南朝鮮労働党党員の前科をもつ朴正煕を支えた岸信介ら満州人脈 ● 五・一七クーデター後、「第五共和国」が展開したなりふり構わぬ恐怖政治 経済レベルこそ最貧国だが、教育・メディアでは先進国に劣らない水準にあった韓国。1960年4月、学生・市民を中心とした反李承晩街頭デモは、李の退陣(四・一九学生革命)をもたらし、「第二共和国」へ移行させたものの、翌年、陸軍将校・朴正煕らによる「五一六クーデター」によって打倒されてしまう。朴政権下の第三共和国の技術官僚は、「超官庁」経済企画院など、日本仕込みの国家主義色の強い支配の下、国内の社会勢力に煩わされることなく、経済合理主義、IMF協調路線、輸出志向工業化路線の舵をとる。アメリカにとって日韓基本条約は、ベトナム戦争に軍事支援をおこなった韓国に対する、経済支援の一部肩代わりさせるもの(依然として、韓国投資の半分は米国が占めた)という指摘はなかなか斬新といえるでしょう。高度経済成長は、インフラ整備と生活水準の底上げという光をもたらす一方で、首都圏・嶺南地域の一極集中、インフレと都市労働者層の貧困といった、社会矛盾を爆発させた。あやうく三選に失敗する所だった朴正煕が断行した「維新体制」(1972年)は、米ソ・デタントの流れの中では、人権抑圧という批判をかわすことはできなかった。アメリカを後盾にした金泳三や学生運動・在野勢力は、強硬な反朴正煕闘争を展開する。デモと軍隊出動で騒然となる中、1979年10月、朴正煕は暗殺。大統領権限を代行した崔圭夏政府の下、翌年2月民主化運動指導者が釈放され、「ソウルの春」が到来した。世に言う「三金(金大中・金泳三・金鍾泌)時代」が幕をあげるものの、3者の足並みはなかなか揃わない。学生・労働運動の高揚を前に、全斗煥陸軍将校たち「ハナ会」を中心とした新軍部は、「五・一七クーデター」を敢行する ● ナショナリズムを共鳴板とする北朝鮮主体思想受容を招いた光州事件 光州事件は、1980年代には全羅道光州を民族民衆運動の聖地にするとともに、民主化勢力に反民主勢力やアメリカに対する「非和解」的態度を採らせることになった。民主化勢力には、学生を中心としたNL(主体思想)派と、労働者中心のPD派、2つの対立があったらしい。87年「六月抗争」という韓国史上最大の反独裁・民主化運動は、何十万ものデモ隊で新軍部を包囲、現在まで続く「第六共和国」への移行を勝ち取った。ところが、その勝利は地域主義への道もきりひらき、民主勢力の分裂と盧泰愚政権誕生を産んでしまう。最初の「文民政権」金泳三は、軍部の政治的影響力を清算したものの、グローバル化の流れの中で経済危機を招いてしまう。経済危機の中、保守勢力分裂による「漁夫の利」で成立した金大中政権。その誕生には、全羅道には止まらない、南北分断の中で抑圧されてきた、すべての周縁的な存在の復権が託されていたという。また、嶺南出身・党非主流でありながら光州(湖南)予備選で勝利した盧武鉉の大統領選勝利にも、そうした願いがこめられていたという。盧武鉉政権では、光州事件の再評価のみならず、済州島「四・三事件」の真相究明など、過去、国家のおこなった不法行為や人権侵害に対する清算が進められた。それは、親日派究明・強制連行・朝鮮戦争時民間虐殺・甲午農民戦争(1894年!!!)にまで及ぶ。そうした動きの総決算こそ、これら特別法を総括する母法となる「過去史法」の制定。真相究明・責任追及・補償を効率的におこなえるようにしたという。この法律は、保守系野党の抵抗があったものの、島根県の竹島条例の世論の憤激から、抵抗できず通過させられてしまったという裏話(実は日本の右翼が原因)もたいへん面白い。 う~ん、ちっともコンパクトじゃないぞ(笑)。 本格的な通史。それだけに、まとめるのが困難を極めてしまい、 申し訳ない。 それはさておき、情報も物資も封鎖される恐怖の中で、光州市民による絶望的な「解放区」の建設とその瓦解(光州事件)は、涙なしには読むことはできません。解放後現出した「自治委員会」と光州市民の立ちあげた自治的組織に、あたかもパリ・コミューンを幻視せんとする視点は、賛否はともかくとして、斬新でとても興味深いものがあるでしょう。「誰かが自分をアカにしようとしている!!!」。そんな脅迫観念にかられ、精神病にかかる人が続出した、軍政期の韓国社会の抑圧。その一方で、それに自らを過剰適応させて「韓国国民」となろうとする済州島民などの姿。冷戦時、最前線にあった韓国の苦悩の歩みが、摘出されていて、たいへん素晴らしい。 とはいえ、若干残念な点をのべておきたい。本書では、現在、地域差別が薄まり、「没票」とよばれる特定候補への票の集中がなくなりつつあるという。とはいえ、全羅道において新千年民主党(元・金大中)とウリ党(そこから派生した盧武鉉党)を別々の政党とカウントするのはいかがなものか。足すと8割にもなるんですけど…。また韓国でも、「女性」ほど「周縁」というにふさわしいものはないのに、何も言及されていないのは何故なのか。筆者の視野には、「女性」は入らなかったのだろうか。すべての抑圧されてきたものの「復権が託された」政権といわれても、被差別地域や独裁政権被害者(それは筆者自身も含まれるだろう)にすぎないのならば、感動も萎えてしまう。そもそも、「周縁から」を標榜しながら「通史」をどう描くつもりなんだろう?と思って読んでみると、「済州島と全羅道に<も>触れながら、現代史を描きました」というのでは、ハシゴを外された感じがしないでもない。 い・いかん。 たしかに面白いのよ、これ。 韓国史の苦難を知らない人には、ぜひご一読ください。 評価 ★★★☆ 価格: ¥819 (税込) ![]() お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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