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書評日記  パペッティア通信

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Jul 3, 2006
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(承前)


第3章「靖国と外交」もそれなりに面白い。


「戦後60年の日本・アジア・世界」は、梅原猛×五百旗部真の対談集になっています。ナポレオン打倒後、ヨーロッパ大陸において「利権」を漁ろうとはせず、ウィーン体制によって平和をもたらしたイギリス。アメリカは、このときのイギリス同様、敗戦国にも「寛容」な戦後秩序を作り出したことで、世界をリードしていた。ところが近年、アメリカは、廃仏毀釈によって仏とともに神も死んだ日本とはまるで違い、キリスト教原理主義が年々力を強め、社会の寛容さが陰を潜めつつある。また、戦前の日本の行き詰まりは、中国での評判の悪さから、国際的にトランプのジョーカーとして扱われ、一緒に行動しようという国がなくなったことにあるという。もはや中国は、アジアの代表、大国に他ならない。中国での評判の悪さは、日本のイメージや将来を決定的に危うくするだろう。

若宮啓文「靖国参拝が壊したアジアとの和解」では、自民党政権の「伝統回帰の動き」が「アジアとの和解の翌年」におきる、『翌年の法則』について述べられている。元号法(79)、建国記念日(66)…天皇に絡めた復古的な動きが今も続く一方、「A級戦犯を戦争犯罪人」とするなど、小泉は決して右派政治家とはいえないという。国民の象徴にある天皇が「アジアとの和解」を重視しているのに、政治の頂点にある小泉首相は、「和解」を傷つけて憚(はばか)らない。天皇と多くの国民が訪れることができる、そんな追悼施設を一刻も早く作ってほしい、と結論でまとめられる。

細谷雄一「眠れる外交」は、年々不利な状況に追い込まれている国際環境の直視と、積極的な外交活動の再開が説かれている。職業外交官が冷徹に計算・交渉して最良の妥協を模索した「旧外交」の時代が去った。次の選挙に目を向けるポリティシャンが横行するポピュリズムの日本では、政治指導者はマスメディアから外交官を守ろうとしないため、外交が大きく損なわれているという。東アジアにおける冷戦の残滓を取りのぞき、長期的な平和の基礎をつくるという長期的な国益のため、一刻も早く目を覚ませ!  その叫びは悲痛という他はない。

本書の最後、姜尚中×田中明彦「『靖国』の土俵から降りなければ展望は開けない」の対談は、なかなか興味深い。現在の日本外交の混迷は、戦後、アジアの独裁国家群相手に属人主義的ネットワークでおこなってきたため、アジアの民主化とそれに付随するナショナリズムによって機能不全に陥ったことにあるという。枯れた日本から見れば、現代の近隣諸国のナショナリズムは「発情期」。なおかつ東北アジアでは、パワーシフトが引き起こされる激動期に他ならない。ところが肝心の外務省には、「外務省改革」がおこなわれ、外交が世論に左右されないためのバッファー(緩衝器)の役割を果たしていた鈴木ムネオが切られたことで、この激動期に泥をかぶる人がいなくなってしまったという。ムネオに替わるオルタナティブが用意されないまま、政治家と官僚が足を引っぱり合う、日本外交。その結果、外交の分野では、本来、プロフェッショナルな領域が必要でありながら、「改革」によって、必要ないという空気が蔓延してしまい、非「プロ的」な領域が拡大の一途をたどっているという。靖国参拝では、中韓どころか欧米も批判的なため、小泉には絶対勝ち目がない。しかし、今追悼施設を作ってしまうと、中韓の批判で作ったことになってしまい、そもそもの建設の意味がなくなってしまう。靖国のため、日本が主張できない、分野・領域がいかに多いことか!!! 靖国参拝によって何度も謝罪させられてしまう。謝罪は1回でいいのに何回やってるんだ! そんなことで国益をかけたタフな交渉が出来るか!!! その怒りには、思わず共感させられてしまう。


端々に見られる、リベラル再建への意志。俺たちを「保守」「現実主義」だのと批判していた左翼リベラルはどこへ消えたという批判は、一抹の寂しさというよりも、論者の気概を感じさせて良い。しばしば見られる「侵略されたら逃げよう」派についても、彼らの現実逃避的認識より、その考えのエゴイズムぶり(逃げられない人はどうすればいいのか)が徹底的に批判されていて、たいへん心地よい。またハンチントンなどにみられるように、日本は「いつも世界最強の国と手を結ぶ」「中国が強くなれば、中国に近づく」ポリシーのない国家と思われているらしい。H・キッシンジャーが中国に表明したとされる、日本不信(なぜか読売はキッシンジャーが大好きだが)などを考えあわせると、とても一外交官・一学者(?)の寝言と看過できるような代物ではない。政治家は、国民の歓呼の声で迎えられた外務大臣松岡洋右を選ぶべきなのか。それとも、国賊の声で迎えられた小村寿太郎を選ぶか。「謝罪と和解の90年代」が、江沢民訪日で画竜点睛を欠いた後、小泉政権ではその揺り戻しが行われた様子は胸が痛む。他にも、序論に納められた「後藤田正晴の『遺言』」もとても面白い。神道では、氷川神社でも、八幡神社でも、伝統的に分祀可能であって、A級戦犯は分離できないというのは、靖国神社の大ウソらしい。サンフランシスコ講和条約では、判決を受け入れたのであって、東京裁判を受け入れたのではないという愚論に対しても、「負け惜しみ」「国際的責任の否定」と手厳しい。ただ、中国・韓国がサンフランシスコ講和条約違反などと言い募ることに対しては、「おまえら講和条約の当事者じゃないじゃん」とさりげない突っ込みが入っていて、楽しめる。
 

とはいえ、疑問点もつきない。まず、内容のバラツキが大きすぎる。井上達夫、長谷部恭男、佐伯啓思などの論説は、読むに価する内容と語り口をもつものであったが、後は微妙なものが多い。とくに櫻田淳、細谷雄一、梅原猛×五百旗部真の担当部分は、内容に新味がない上、エッセイとしてもどうか。わざわざ収録する必要があったとは、とても思えない。ほとんど、飲み屋の政治談義の類であろう。朝日論説主幹、若宮啓文『翌年の法則』も、とっくに朝日新聞上で書いていたためか、まったく新味がなくて、関心しなかった。「翌年の法則」だの「和解と伝統回帰の双方を追求できなくなった小泉政権」だのは、あまりにも通俗すぎて、具体的な政治過程を抜きにした愚論であろう。そもそも、番記者経験も長く、自民党政権の政策決定過程に、一番迫ることができる(だからこそ、結果的に誇大記事やウソを書かされることにもなるのだ)「政治記者」の身でありながら、この程度でお茶を濁すとは、期待外れもはなはだしい。政治学者としてもジャーナリストとしても、あまりにも中途半端。若宮は、石川真澄や早野透の爪の垢でも煎じて飲むべきだろう。

くわえて、「リベラルとは何か?」が、ボヤ~っとしていて、こちらに伝わってこない。たとえば、井上達夫・五百旗部真や、仙谷由人などが、旧来の左翼とは異なる思想的立場として、「リベラル」を志向(たとえば、マルクス主義者はどこに消えた?など)しているのはあまりにも明らかだろう。またそれは、「保守」とも違うことは、言うまでもない。ところが、対談に出席している朝日新聞の薬師寺記者は、旧来的左翼の別名として「リベラル」を捉えているかのような懸念や質問を発しているし、その反対に「保守」と「リベラル」が、一緒にされていたりするような節も散見される。いい例が、「自・公・民」座談会だろう。「リベラル」とは何であるのか。外交におけるリベラルなどの表現も本書ではみられる。気づきだすと、苦痛以外の何者でもない。旧来の左翼を微温的に温存するための方便としてのリベラルなのか、それともロールズ的意味のリベラルなのか。どちらでもないなら、そもそも何なのか。本書は、最初から明示するべきではなかったか。

なによりも、「リベラル側からの大きな物語を書く必要がある」と冒頭でも書かれているのに、結局、その課題が果たされていないことがあまりにも痛い。そもそもリベラルは、本当に「大きな物語」を必要としているのだろうか。むろん、近年の「大きな物語」を提供することによって、肥大化を続ける、非現実的な日本の「右傾」化現象に対し、リベラル(?)側も「大きな物語」を「分かりやすく」訴えなければ、という気持ちはわからないではない。とはいえ、「大きな物語」が、何のために必要なのか。そのことが、明らかにされないまま論稿が集められた結果、関係ない論考まで乗せられ、論点が拡散してしまっている。「靖国と外交」(特に後者)は、リベラルと関係あるのか。これだと、「リベラルの反撃」とは、限りなく「旧来の左翼の温存のための方便」にならざるをえないだろう。結果として、「リベラルとは何か?」が曖昧になってしまい、井上達夫などの鮮烈な問題提起が、印象を薄められてしまったのが惜しまれる。

しかし、面白かった。皆さんにはぜひともご一読をお勧めしたい。


評価 ★★★☆
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Last updated  Sep 11, 2006 08:02:13 AM
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