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書評日記  パペッティア通信

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Aug 1, 2006
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▼  いやー、うれしいことです。サブ・カルチャー分析の古典、先駆けとして知られる本書が、「ちくま文庫」で文庫化されました。なによりも、現役精神科医が「アニメ」評論を手がけるなんて、当時はあまり考えられなかったことです。まずは、たいへん喜ばしい。すなおに喜びたい。


▼  日本では、何故、かくも「少女が戦う」というモチーフに彩られているのか。これは、ロリータ思考を意味しているのか。無垢や可憐さを完全に維持しながら、思春期の少女が戦いに赴く。これは、欧米の「戦う女性」とは明らかに違う。そこに筆者は、「ファリック・マザー」を援用した「ファリック・ガール」(ペニスをもつ女性)概念を導入して、分析を試みようとするのだが………


▼  斉藤環は、「オタク」の定義として4つをあげる。
「A  虚構コンテクストに親和性が高い人 」
「B  愛の対象を所有するために、≪虚構化≫という手段に訴える人 」
「C  二重見当識ならぬ多重見当識を生きる人 」
「D  虚構それ自体に、性的対象を見出すことができる人 」 



▼  フェティシズムの一種としてのマニアは、文明の起源まで遡りうるらしい。マニアは、その趣味においては、「実体=オリジナル」のアウラや有効性にこだわるのであって、オタクのように「虚構=複製物」に目を向けることはない。オタクは、受手になったり、製作者になったりするなど、「自己の立場理解」を様々にかえる(多重見当識)。オタクは、実体ではないものにセクシャリティを「想像的」に感じる一方、現実世界にあっては性倒錯者ではない。かれらは、ヒロインを偶像化しつつ、「現実の女」という代替物で我慢しているのではない。ロリコンとは、性的倒錯のアリバイ証明であって、「性の虚構化」の手続きに過ぎないのだ、という。


▼  斉藤環氏は、大沢真幸のオタクの定義『 「自我理想」(超越的他者)と「理想自我」(ナルシスティックな自己イメージ)の近接』や、「オタク共同体」分析といった手法をとらない。なぜなら「我々は言語を獲得して以来、未来永劫神経症者でしかありえない」からである。非おたく的主体とおたく的主体には差異はない。


▼  第2章「オタクからの手紙」は、オタクの生態がどれほど「虚構としての倒錯」と平行した「健全な性生活」になっているか。その主体の乖離ぶりが明らかにされていて楽しい。また、第3章「海外戦闘少女事情」は、必見に近い。「戦闘少女」というジャンルの突出ぶりは、海外と比較してみると、歴然としている。日本は極端に多い。海外アニメファンの多様な生態とともに、日本のオタクのもつ奇妙な共同性―――多様性よりも一種の単調さをもたらす、雑食性と演技性―――が指摘される。また、海外漫画の一部には日本的コンテクストを使ってファンタジー性を強調するオリエンタリズムさえ見られるものの、1990年代後半には日本の影響を受けた戦闘美少女作品が増殖しているという。第4章「ヘンリー・ダーガーの奇妙な王国」は、圧倒的なパワーだ。公開を前提としない完全な閉じた世界で繰り広げられる、≪ペニスをもった戦闘少女≫たちの世界。なかなか怖い世界といえよう。本書では、「ファリック・ガール」の創造者としての地位が与えられている。


▼  第5章「戦闘的美少女たちの系譜」では、サブカルチャーの歴史が再確認されていて飽きない。石森章太郎『サイボーグ 009』におけるバイオレンスとセクシャリティの特異的結合の発見。『サインはV』『アタック NO.1』における「少女らしさ」を犠牲にしない表現の開拓。「成熟=悪」の構図の出現………  1970年代、セーラー服を着ない任侠女性だったものが、1980年代には、「セーラー服」「美少女」として実写化されてしまう『スケバン刑事』。こういった様々なエポックが、1970年代後半の女子プロレス・ブーム、大友克洋『童夢』のリアリズム、などに触れられながら、描かれてゆく。


▼  筆者によれば、戦闘美少女の系統は、紅一点系、魔法少女系、変身少女系、チーム系、スポコン系、宝塚系、服装倒錯系、ハンター系、同居系、ピグマリオン系、巫女系、異世界系、混合系…の13種類で分類にされるらしい。その類型化の力技には驚くほかはない。ただ、このような戦闘美少女の系譜は、1989年『トップを狙え』(混合系)の出現をもって完成し、1990年代の戦闘美少女モノは、引用とパロディ、オマージュとして存在しているという。こういう世界では、アニメの伝統や文脈に無知な作家は、決して良質なアニメを作れない。アニメを愛することとは、アニメの美少女に萌えることに他ならない。萌えた彼らがまた美少女を産出してゆく結果、その連鎖として成立するアニメ文化。「自分には女の子は書けない」という荒木飛呂彦の述懐は、たいへん興味ふかい。


▼  第6章「ファリック・ガールズが生成する」は、本書のキモの部分だろう。想像的空間は、基本的に倒錯と親和性が高く、大衆文化は比較的単純な欲望原理に支えられていることは、世界共通である。とはいえ、日本の「漫画・アニメ空間」では、他には見られない、「無時間」「ハイ・コンテクスト」「多重人格空間」という特異性を持っているという。映画的・アメコミ的・石森章太郎では、クロノス的時間が流れているのに対して、アニメではカイロス的時間=「無時間」性を特質としている。加えて、日本の「アニメ・漫画空間」では、瞬間瞬間が「高密度」で描かれながら、それが「高速度」で展開するという、他の国ではまったく見られない、逆説的な特質をもつ。これを可能にしているのは、想像的なモノを象徴的に処理する能力に他ならない!!。この特徴は、日本語においてハイレベルに要請されるものであることを考えあわせると、アニメと日本語は、かなり酷似したメディアであるという。漫画・アニメは自由度が乏しい故に、高度なハイコンテキスト性をもち、画像・セリフなどの各コードが、補完しあいながらユニゾン的に同期しなければならない。この空間では、送り手と受け手の距離は限りなく近く、瞬時に了解されてしまう。

(長くなりましたので、<2>に続きます。暖かい応援をおねがいします)


評価 ★★★
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Last updated  Sep 11, 2006 08:03:01 AM
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