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カテゴリ:音楽・文化
![]() ▼ 何でも、昨日、皇室に41年ぶりに男子が生まれたらしい。おめでたいことである。 ▼ むろん、過去の日記で、「ご隠居」の言葉に仮託して、共和主義者的本音を語らせている以上、「おめでたい」に底意があることを隠せる訳もない。これで、いよいよ、天皇制は迷走することになり、天皇制に愛着を感じる女性は、天皇制固有の差別的本質に直面することになるのではないか。むろん、直面したからといって、動揺を期待するほど、「おめでたい」訳ではないのだが。 ▼ それはともかく、男系天皇と女系天皇について、前回の日記で語れなかったことがある。それは、「氏(姓)」と「苗字」の問題である。 ▼ 「氏(姓)」というのは、少なくとも、古代以降、ヤマト王権によって与えられた、父系血縁集団の名前である。分りやすくいえば、「藤原」「源」「橘」といった所。天皇には「姓」がないのは、「氏(姓)」が「臣下」に与えられるものだからに他ならない。天皇家の子女が、臣籍降下の際、「姓」がつくのも、そのためなんですな(正確にいえば、氏と姓は違う)。 ▼ 一方、「苗字」はちがう。これは、わかりやすくいえば、「経営集団」単位の名前。この出現は平安時代にさかのぼる。皆さんも、いつのまにか、藤原四「家」とか、「藤原」一族の名前が消えて「九条」「一条」「二条」「鷹司」「近衛」などの名前が出てきたなあ、と感じたことがあるかもしれない。これは皆、家産を保持する経営体の名前だと思って、間違いはない。鎌倉時代以降には、「苗字」は一般的になってくる。商人の「屋号」だのも、この手の類に他ならない。 ▼ だから前近代、人は姓と苗字を持っていた。たとえば徳川家康は、徳川次郎三郎源朝臣家康と書くらしい。ここで確認しておかなければならない苗字と姓の違いは、「苗字」は結婚してかわることはあっても、「姓」は結婚しても変わることがないことにある。この区別は、明治時代になって消滅してしまう。われわれは「姓名」と書くし、「夫婦別姓反対!」という文字を目にしても、おかしいと思うことはない。そもそも結婚しても、本来の「姓」ならば、もともと反対してもしなくても、「別姓」であるという事態は、かわるはずもないのだが……。 ▼ しばしば、皇室典範改正反対派の議論のひとつとして、以下のような議論があった。それは、愛子天皇が「女性天皇」ではなく「女系天皇」になる、有史(継体朝)以来維持されてきた「男系天皇」が断絶されてしまう、というものである。愛子天皇の出現によって、ご息女に天皇位を継がせる場合、父方の「姓」が入りこんでしまう。そのため、愛子天皇を認めなければならないと考える「男系天皇」制維持派の中には、皇室の血を引く人々を愛子天皇の旦那さんにあてがおうとするものさえいた。 ▼ しかし、よく考えれば、これって変な話である。だって愛子天皇は、天皇なのである。「苗字化された氏(姓)」を前提とするから、こんな問題が引きおこされてしまう。そんな発想自体、伝統とはかけ離れたものだ。そもそも「氏(姓)をもたない」愛子天皇が、自分の子息に「氏(姓)」を与えなければいいだけの話だろう。自動的に父系親族集団である「姓」がつくはずだ? ならば宇多天皇が、臣籍降下によって、「賜姓」されていたにも関わらず、剥奪されて天皇即位できた事例を思い出せばよい。「姓」を剥奪してしまえばいいのである………そして天皇とは、そのような、「姓」を剥奪しうる超法規的力と伝統をあわせ持つ存在なのだ……… ▼ と考えてみたものの、別段「伝統派」と名のる人々が、このような議論をしている所を見たことがない(あるならば教えて!)ことを考えると、「男親をたどれば神武(極端な例ではない場合、継体)に行き着く」という理論抜きのロマンが、「男系天皇マンセー!」の虚構を支えてるのだろう。男系でいいならば、原則上、確認できる該当者は無数にいるし、とりたてて誰がなってもいいはず。「姓」「父母」など、様々な「男系以外」の要素が支えているはずなのだが…… 所詮は小生の意見など、部外者の臆見。今回の出産を機会として、皇室典範改正は遠のいたし、後の経過が楽しみでならない。 ▼ 一番つまらないのは、今の愛子女史と生誕した男子が、イトコ同士で結婚してしまい、「皇位継承」問題が、雲散霧消してしまうことである。飛鳥時代から奈良時代にかけて、近親婚が続いたしなあ。また、雅子女史が男子を産むのも、面白いとはいえない。 ▼ まだまだ迷走しそうで、観客としては、楽しい日々が続きそうだ。 (本の紹介は、のちほど) 追伸 昨日のアクセスが1500近いのですが、 どこか奇特なブログが紹介してくれているのでしょうか…… ![]() お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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