
(この日記は1からの続きですので、こちらからお読みください)
▼ 「第二部 日本編」も、興味が尽きない。アメリカで古典ハリウッドの時代が始まる1915年頃、洋風建築で建てられた大手常設映画館でさえ、宣伝は「大絵看板・幟・呼び込み」であって、映画ポスターではなく、地方の芝居小屋を改装した映画館では、下足制の雛壇式畳座席だったという。アメリカとは違い、名物弁士がいても、楽士が軽んじられたのは、歌舞伎/浄瑠璃の「義太夫語り」の伝統に起因するらしい。1930年代半ば、世界映画史的に見ればとっくに説明者が姿を消していたにも関わらず、日本の映画館で「弁士」が影響力を有していたのは、1917年「弁士免許制」が導入され「公的認知」されたことも大きいという。アメリカ映画館の「合唱」の慣習は日本にもみられ、人口に膾炙した小唄を下敷きにして、「小唄映画」―――風景(サイレント映画)に歌詞がつけられ、脇の女性歌手が歌う―――が作成され、浅草オペラ以外では成立していなかった「歌手」という職業を興行として成立させる大きな力になった。サイレントからトーキーへの移行は、人間的音声から機械的再現音への変化だけではなく、男性弁士から女性歌手への、変容であった。移行期には、映画を実演するダシモノさえあった。1920年代末のアメリカと同様、1930年代半ばには、日本にもニュース専門映画館が建設されてゆく。
▼ 「映画都市の都市の誕生―――戦後京都の場合」では、地域における映画館文化を明らかにする。映画そのものよりも、映画館の快適性、快適な鑑賞環境―――「空調」「待合室」「喫茶室」「公衆電話」だけでなく、「雰囲気」も―――を約束することで、1950年代、映画館は「日本映画の全盛時代」を準備したという。それは、景品の提供だけではなく、映画鑑賞システムにまで及び、「流し込み制」「定員交流制」「定員入替制」などの試行錯誤がおこなわれた。とくに京都では、いつどこでどんな映画撮影がおこなわれているのか、京都新聞に情報が掲載されていた。それは、観客としてだけではなくクルー(という幻想)として映画に参加することを通して、蓄積された歴史を映画の中で発見=「映画都市京都の再発見」が行われたという。映画にあって、テレビにないモノは、「共同性の構築」である。そう警鐘が鳴らされて、本書は終わる。
▼ なによりも、視点が楽しい。「テレビ/ビデオ文化」の登場は、1890年代エジソンの「キネトスコープ」や、1940年代の映画ジュークボックス「パノラム」といった「一人で見る映画」の再検討を迫っているのではないか。ハリウッド映画は、故郷や民族や宗教、あるいは父親といった同一性の拠り所を失った男たちによる、そうした人間たちのための無意識的ノスタルジーの娯楽ではないか。3つの視線―――カメラの視線、登場人物の視線、観客の視線―――の統合と視線のリレーによって成立している古典的―――古典期(1917年~)以前には登場人物の視線(主観ショット)はない―――ハリウッド映画のパワーは、「切り返し」編集―――見る主体、見られる主体のショットをつなぎ合わせる―――が前提とする「カメラの偏在性」を通した、≪超越的な見る主体≫としての「観客」を作り出す「観客生産」能力にあり、そのことがネイティブ・アメリカンたちが白人カウボーイの視点から西部劇を楽しんだりする現象を産み落としたのだ、という指摘には、唸らされる他はない。
▼ また、トリビアも面白い。映画の起源にある多様な「映像」文化の指摘。「黒人劇場」の存在したアメリカ。サイレント時代、活動写真「弁士」が大きな役割を占めていた国は、タイと日本だけだったらしい。1907~9年まで、アメリカの公開映画の半分から2/3は、外国映画だったという。航空機の外に巨大スクリーンを設置しての映画鑑賞。「劇場、駐車場、ホテル」が合体した「シアター・モーテル」では、モーテルの窓から映画をみることができた、のだとか。他にも、日本では、映画と演劇を融合させた「連鎖劇」が映画草創期にみられこと。サイレントからトーキーへの移行が「小唄映画」の文法を踏襲していたこと。戦後直後、戦災を生き延びた地方映画館に、美空ひばりなどが続々歌謡曲を歌いにきたこと。巨大スクリーン「アイマックス・シアター」が大阪万博に展示されたものを原型にしていたり、などの指摘もなされていて、たいへん面白い。 「ブロック・バスター」映画の隆盛とともに、世界中に「テーマパーク」が建設されてゆく。近年では、薄汚れたダウンタウンにしかすぎなかったハリウッドの町並まで、ハリウッド・ホテル移築、あのグリフィス映画「イントレランス」のセットの復元、テーマパークと化しているのだという。
▼ とはいえ、冒頭で書いたとおり、私にはあまり面白いとは思えなかった。
▼ 『今日のポルノ映画館は入場者を観客というよりも恋人として生産している』『「リアリズム」とは、新たなリアリズムにとってかわられるまでのあいだ、みずからを「リアリスト」と僭称することのできるひとつの技術的関数にすぎない』など、有益な箴言の数々にもかかわらず。
▼ たとえば、北田暁大の気の利いた所論『弁士が俳優よりも先んじてスターシステムに組み込まれていた』(213頁-216頁)に対する、加藤幹郎の批判は、部外者からみて、さっぱり「分からない」。そもそも「弁士スターシステムは成立していない」ことの証明は、弁士中心主義に対する批判が見られたこと以外、加藤幹郎は提示していないのだ。目を皿にして確認しても、見あたらない。「俳優のスターシステム」に対する批判が言われていたら、「俳優のスターシステムは成立していない」とでも言う気なのか? どうみても、スターシステムの定義が、噛みあっていないのではないのか。というより、批判する側より「された側」の方の議論の方が、はるかに面白いように感じさせてしまう時点で、批判の体をなしていない。なにか、私怨でもあったのだろうか。
▼ さらにいえば、アメリカ・日本を描いていながら、観客動員数・公開本数がダントツ世界一、超大国インドを取りあげていない時点で、この本がはたして「映画館と観客の文化史」を語る資格があるのか、はなはだ疑問に感じてしまう。言いすぎだろうか?。そもそも、「ドライブ・イン・シアター」など、アメリカ(せいぜいカナダ、オーストラリア)以外のどこで可能なのか。ただのアメリカ文化史ではないか。そもそも「踊る観客」でしられるインドでは、「映画館は静謐の空間」とする、通俗的概念が成立しているのか。インドこそ、「映画の観客の不動性」「静謐性」なる理念そのものが、「歴史的」どころか「空間的」産物でさえある、格好の例証ではないか。インドを除外することによって、成立するような「映画史」など、議論として成立しているとは、とうてい思えない。
▼ なによりも、上記と関係するが、「映画館と観客の文化史」といいながら、他の同様のエンターテイメントと比べて、「映画館と観客」がどのような特質をもつのか、さっぱり分からない。本書では、映画館成立以前に上映されていた、「劇場」「芝居小屋」「博覧会会場」などから、「映画館」が析出して、やがてテレビやビデオの文化が生み出されたことが述べられる。まさしく、現代の娯楽スペクタクルが、網羅されている。「映画館」ならびに「観客」は、宝塚や、新劇、クラシック音楽会、レンタルビデオ屋のそれとは、どのように違うのか。「場」に着目するといいながら、そこに流れ込んだ川上(パノラマ館、劇場、芝居小屋)と、そこから流れ出した川下(テレビ、DVD他)の存在を指摘するだけで、その「場」と「観客」の特異性がまるで分からない。それは、近代西欧における娯楽の変容についての考察や、宝塚の事例研究と比べても、劣っているといわざるをえない。羊頭狗肉、といったら、言いすぎだろうか。
▼ とはいえ、映画を通したアメリカ文化史を見るならば、汗牛充棟の出来映えであろう。星3つ程つけさせていただいた。ご一読あれ。
評価 ★★★
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