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書評日記  パペッティア通信

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Sep 26, 2006
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▼  靖国神社は神道ではない!
   伊勢神宮参拝と靖国神社参拝は、本質的に違う!
   靖国神社とは、「儒教教義に基づいた社」なのだ…


▼  実に平明な文章で、高橋哲哉『靖国問題』でさえ、見落としていた史実を丁寧に拾う。 それをまとめると、「靖国神社と遊就館」は、具体的中身がない、純粋動機主義の陽明学が、「英霊」の語の由来、藤田東湖に代表される、天皇中心的独善的「大義名分論」の水戸学(朱子学)と結合したものである、というのだ。 靖国神社は、設立以後を見ても理解できない。 われわれは、今も江戸時代の延長に生きているのだ……。


▼  簡単にまとめておこう。目次は次の通り。

  1 大塩中斎―やむにやまれぬ反乱者
  2 国体論の誕生―水戸から長州へ
  3 御一新のあと―敗者たちの陽明学
  4 帝国を支えるもの―カント・武士道・陽明学
  5 日本精神―観念の暴走
  6 闘う女、散る男―水戸の残照



▼  エピソード1では、大塩平八郎というよりも、江戸期陽明学が描かれる。 陽明学者は、陽明学を師匠から伝授される必要がない。例外なく、朱子学の学習によって陽明学者、自称「聖学の徒」になるという。 そのため党派意識が乏しく、内部分裂も激しい。何ごとにも囚われない「良知」ゆえに、「近代的精神」と評価を受けてきた大塩の思想について、孔孟の教えの実践であると解く。


▼  エピソード2では、藤田東湖に代表される、江戸期の水戸学が描かれる。 「開祖」徳川光圀編纂『大日本史』は、神功皇后を「皇后」とする(=最初の女帝は推古)、大友皇子を即位させる(=天武天皇は簒奪者)、南朝正統(=『太平記』好きのため)という「3大特筆」をおこなうものの、藩財政の1/3を費やさせ、水戸には納豆とウメボシしか残らせない。 推古以後も皇后でいいはずなのに、女帝にしたのは、仏教功労者の聖徳太子を即位させるのは、朱子学過激派として許せなかったためだという。 江戸時代の儒教は、五山仏教(臨済宗)との決別と神道への接近から始まり、神道そのものが儒教的に変質して、「日本古来の伝統(=国体)は儒教的であった」という言説が成立してゆく。 その中で、歌道から始まった「国学」が、儒教から独立したという。


▼  エピソード3では、御一新後の敗者たちの生き様をあつかう。 漢学教育の私塾、二松学舎を設立して、「四句教」を座右の銘とする、大正天皇の教育にあたった三島中州。 『王陽明』伝で、ショーペンハウエルやカントを引き合いに出しながら、普遍主義的な思想であることを強調した、国粋主義者、三宅雪嶺。 とくに、内村鑑三が面白い。 西洋人向けに『代表的日本人』を書いた内村は、キリスト教徒でもないにも関わらず、西郷隆盛のような人物が日本にいるのは、キリスト教にかわる精神支柱、「陽明学」を奉じていたためだ!!という。 日本では、真摯な儒教徒ほど、熱心なキリスト教徒になってゆく。 それも、信者が内面の良心の命ずるままに、「聖書」に示された神の教えを実践してゆく、いわゆる無教会主義プロテスタントに改宗する陽明学的キリスト教徒になるらしい。王陽明を投影した人物としての、イエス・キリスト。 神社・仏閣でお辞儀する必要のない、開放感。 「良知」は「良心」に、「万物一体の仁」は「隣人愛」に、「四書」が「聖書」に、置き換えられたにすぎないのではないか。 内村鑑三不敬事件などを引きあいに出しながら、この視角を打ち出すのには、唸らされるほかはない。


▼  エピソード4では、カントと陽明学、武士道をつなげる、驚愕の地下茎が明らかにされる。 その地下茎の名は、帝国大教授、井上哲次郎。 江戸時代儒学を「陽明学」「朱子学」「古学」に3区分して、「哲学史」として叙述することの創始者。 ペルソナに「人格」という訳語をあてた人物。 日清戦争勝利によって、ひたすら「西洋化」を目指した従来の路線は、微妙に修正され、開花か国粋かの対立は揚棄。「アジアの古き良き伝統を守りつつ近代化」したことが、アイデンティティとなってゆく。 その中で、政治・経済・科学技術も、全面的にドイツに倣うことになる。 とはいえ、ドイツ哲学、とくにカント哲学が日本では好まれた理由は、「独立自尊」を尊ぶ武士道が、理性の独立自尊を説いたカント哲学に近いためだという。 やがて、陽明学の本流は日本にあり!という言説がまかりとおり、固定的教説を指さない「良知に従って誠実に生きていく実行主義精神」として、独立自尊の志士の精神、すなわち「自分の頭で考えた末の国体護持主義」としての≪白い陽明学≫理解が定着した。 その反面「維新の志士」を称揚するため、幸徳秋水・山川均たち社会主義ラインからも、陽明学を革命精神と捉える≪赤い陽明学≫も出現する。 陽明学者はキリスト教徒になり、社会主義者にもつながっていく過程が分かって、なかなか面白い。


▼  エピソード5では、国家社会主義者たちの群像が面白い。 高畠素之は、「階級的搾取以前から国家は、支配統制のために必要」「社会主義においてこそ国家はいっそう重要になる」といい、「万物一体の仁」的な性善説にのっとり、政府を転覆すれば理想社会が出現すると信じてやまない、社会主義者たちと袂をわかつ。 大川周明も、国家主義的革命家としてのレーニンを高く評価する。 またエピソード6では、三島由紀夫と社会主義者山川菊栄の邂逅をえがく。 非常時に文学的快楽に浸っていた平岡公威は天皇の玉音放送、草莽崛起を期待して「憲法擁護、日中友好、女性解放、非武装中立」をかかげた山川菊栄は、その草莽に裏切られてゆく。 三島由紀夫切腹事件は、「決起しない自衛隊員」を前提とした、自衛隊総監を儀式の証人とする、常軌を逸した計画性をもっている。 三島自体、陽明学的精神の対極にある人物であって、陽明学への傾倒や当日の檄文は、本気のフリをしたにすぎない。かなり刺激的な内容であることが分かるだろう。


▼  とにかく概説として、たいへん面白い。 おまけに文体も流麗。 スラスラ読むことができる。 明治時代の東洋哲学史では、カントの位置に、王陽明が置かれていたという。 われわれのイメージする陽明学者(吉田松陰、西郷隆盛)は、「体制派=朱子学」「反体制派=陽明学」の公式をあてはめることによる、後世の図式にすぎない。 終いには、元田永孚まで、陽明学者にカウントされていたらしい。 大川周明は、無茶苦茶漢文が読める人で、高校の時「伝習録」を講じていたこと。 吉川英治『宮本武蔵』が、安岡正篤『日本精神の研究』の武蔵観に依拠していること。 三島由紀夫の石原慎太郎批判が、組織に属しながら組織外にむかって内部批判を公言する、武士道に背く西欧的態度、無責任さにあった(不満があれば諫死すべし)こと。 会沢正志齋が「大政委任論」であるのに対して、吉田松陰が「天皇親政」、「哲学」のみならず「理性」の訳語を作った人物は西周、「啓蒙」は大西祝などの豆知識は、たいへん素晴らしい。 とくに「英霊」とは、天地の正気が集まって正しい道理を実現して死んでいった祭祀対象(=神)であって、断じて「心ならずも戦場で命を落とした人たち」の謂いではない、と批判する下りには、蒙が啓かれる思いがするにちがいない。


▼  ただいかんせん、いささか大風呂敷を広げすぎて眉唾部分と、概説部分との差がありすぎるような気がする。 とくに、社会主義と陽明学を一緒にする下りには苦笑せざるをえない。良知の実践が陽明学???  マルクスは、「フォイエルバッハのテーゼ」で、「哲学者たちは世界を様々に解釈してきたにすぎない。重要なのは世界を変革することである」と言っている以上、定義上、あらゆるマルクス主義者は陽明学者にならざるをえないではないか。 陽明学から性善説が来て、社会主義者は云々という下りは、たんなるデタラメにすぎないだろう。 いったい、レーニンを批判したローザ・ルクセンブルクは、陽明学的性善説に基づいているとでも言う気なのか。


▼  山川菊栄にいたっては、性善説的マルクス主義者以外には、陽明学とは無縁の存在。 いくら、「血のつながり」が面白いからといって、こんなデタラメな議論をされても、読者は置いてきぼりだろう。 てか、あとがきで、「エピソード 1」などの表現が、「スターウォーズ」から取ったことを嬉々として書いてあるのだが、この辺の態度と、通底しているような気がしてならない。


▼  図書館で見かけたら、読む。買うのは遠慮、というのが正しい態度と思われる。 そのためやや辛い評価を付けさせてもらった。


評価  ★★★
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    Last updated  Nov 3, 2006 06:40:29 PM
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    内山?   たらふ さん
    内村では? (Sep 27, 2006 09:33:26 AM)

    Re:内山?(09/26)   春秋子 さん
    たらふさん

    >内村では?

    ご指摘、ありがとうございます。内山完造を思いながら、内村鑑三を書くと、やはり間違えますな。
    (Sep 27, 2006 12:56:14 PM)

    Re:★ 小島毅 『近代日本の陽明学』 講談社選書メチエ (新刊)(09/26)   よしはー さん
    作者の独善性、非客観性をバッサリ切り捨てる批評が◎ (Nov 5, 2014 11:50:12 AM)


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