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書評日記  パペッティア通信

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Oct 8, 2006
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カテゴリ:歴史
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(この日記は1からの続きですので、こちらからお読みください)


▼  古代ペルシャ帝国の栄光とペルシャ語に誇りをもつペルシャ人は、アラブに同化しなかった最初の民族だという。アッバース朝時、公的世界で閉め出されていたペルシャ語は、詩文(叙事詩・文学)で復活した。フィルドゥーシー『王の書』が標準ペルシャ語を提供したのだという。イラン人居住地域には、ペルシャ王権がつぎつぎと復活。シーア派がイランで国教的地位を占めたのは、イラン人の民族意識を背景に、サファヴィー朝が衰退しつつあった「十二イマーム派」を採用したからにすぎない。18世紀後半、カージャール朝成立以降、ロシアとイギリスのグレートゲームに巻きこまれ、傀儡国家となったイラン。二十世紀パフラヴィー朝成立以降、レザー・シャーは、「イラン民族の栄光」を訴え、古代ペルシャ帝国やゾロアスターのシンボルを復活して、民族意識を高揚させるとともに、宗教教育廃止・鉄道建設・女性教育・軍事増強など、「脱イスラム」が推し進められてゆく。しかし、聖職者・教徒は反発。これに、自由主義・左翼勢力たちも合流。この反王制の動きだったはずのものが、1979年のイラン民族主義よりもイスラム普遍主義を強調するイラン・イスラム革命に発展してしまうのは、60年代から王制打倒をかかげ、社会正義の実現を説いて貧困層の熱烈な支持を受けた、ホメイニのカリスマによるものらしい。アフマディネジャド政権は、イスラム世界に対してメッセージを発する原理主義、というよりも、国内向「反米・反イスラエル」、すなわちイラン・ナショナリズムを鼓舞する政権であるという。


▼  脱亜入欧を実践したというナショナリズムを持っていることが日本と似ているトルコ。アム・ダリア川南側の通り徘徊する遊牧系トルコ民族「セルジューク」が、やがてイラン高原を支配、11世紀にはアナトリア高原に入っていくことで、イラン高原をこえたペルシャ語の高尚言語としての広まりを化をもたらしい。セルジュークは、あつかいにくい遊牧系トゥルクマーン族をアナトリア高原に移しピザンツ帝国との戦闘にあたらせた。支配が開始されると、トルコ人が大挙移住。これがアナトリアのトルコ化の開始となって、13-14世紀までに完了するという。一方、トルコ語文学が完成するのは、トルコ人がイラン文化を愛したこともあって、オスマン朝まで待たねばならない。そのオスマン朝では、各宗派ごとに「棲み分け」とミッレト制による自治がおこなわれ、それが欧州の自国宗派保護を名目にした介入をまねいていく。パレスチナ問題も、ギリシャ正教とカトリックの聖地管轄問題に端を発するという。19世紀、民族自立の名の下、次々と独立していくことで、多民族国家オスマン朝は、「トルコ・イスラム国家」の性格を次第に強めていくことになり、独立をめぐって暴力の応酬がひきおこされる。それが、広範な自治を与えられてオスマン朝に誇りを抱いており、元々は独立よりも帝国内でトルコ人と同等の権利と自由を求めていたにすぎない、アラブ人の離反を招いてしまう。アブデュルハミト2世の専制政治を打倒した「青年トルコ党」は、オスマン人のオスマンを説き平等を公約したものの、実態はトルコ人のためのトルコ人にほかならなかった。「パン・トルコ主義」は「パン・アラブ主義」をまねき、アラブとトルコの連携が寸断。「アラビアのローレンス」によるアラブの反乱につながっていく。


▼  雑学も楽しい。「岩のドーム」は、元は、ジュピター神を祭る神殿なんだとか。トルコ語は、ペルシャ語と同様、以前はアラビア文字を使っていたが、チベット・モンゴル語・日本語と語順が同じであるアルタイ語系だという。盛時のバグダードには、商品ごとに区画分けされたスーク(市場)をもち、厳しい品質監視が政府の手でなされていて、6万の公衆浴場があったそうだ。レザー・シャーは、イラン人をアーリア人種にカウントするよう、ナチスに要請していたり、トルコ人はイスラム神秘主義の影響を強く受けていた事実があるという。委任統治領というのは、国際連盟憲章が戦勝国による敗戦国の領土併合を認めていないことによって誕生したこと。イランの圧力によってイラクはバスラの玄関口「シャトル・アラブ川」のかつての全域領有から全域放棄に次々と譲歩を余儀なくされていったこと。イランは石油精製設備が乏しいのでガソリンの4割を輸入に依存していること。とくに、中央アジアをめぐり、トルコ・イランが対立している様子は、なかなか日本の新聞で伝えられることが少なく、本書を読むことは、中央アジアをめぐる政治を理解する上で、裨益することたいへんなものがあろう。


▼  欲をいえば、アラブ人がのっぺりとした印象がぬぐえないことか。とくにウマイヤ朝以降、アラブ人の民族性について、「自らを統治するもの、他者を奉仕するもの」と位置づける意識をもつとしているが、ならばトルコ人とアラブ人の400年に及ぶ共闘関係は、どのように説明するつもりなのか。アッバース朝の次が、トルコ人からのアラブ人の離反、すなわち1000年も時代が飛んでしまうのでは、著しく説得力がかける。西アフリカから湾岸まで広がる、アラブ人に通用するような議論とも思えない。また、アフマディネジャド政権がナショナリズムである、とされ、イスラムとナショナリズムが敵対するものとして描かれがちなのも気がかりだ。シーア派がイラン・ナショナリズムとして受容されたように、両者は対立するものではない、という所論とどう整合しているのか。読んでいて、よく理解できなかった。


▼  しかし、この書からえる情報は素晴らしい。秋の夜長に是非お勧めしたい一冊である。


評価  ★★★★
価格: ¥ 924 (税込)


追伸  更新が遅くなってしまい申し訳ありません。

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Last updated  Nov 8, 2006 12:53:36 PM
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