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書評日記  パペッティア通信

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Oct 26, 2006
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カテゴリ:スポーツ・ゲーム


▼  どうも、中日は、日本シリーズでは勝てないねえ。
   思うんだけど、戦略がないんじゃないか。


▼  だいたい、日本シリーズの歴史は、3期に分割されると思うのよ。
    第1期は、1950年~1977年。
    第2期は、1978年~1994年。
    第3期は、1995年~。


▼  第1期は、戦略なしの時代。 とにかくエースが、先発にも、リリーフにもまわる時代だった。 監督はエースと心中するのが当然の時代。 1958年の日本シリーズ。 第3戦から5連投して、西鉄奇蹟の「3連敗の後、4連勝」を達成させた稲尾和久は、シリーズ成績は「4勝2敗」だった。 翌年の南海の杉浦忠は、4連投「4連勝」。 なにも、稲尾・杉浦クラスでなくても、南海のスタンカは、1964年の御堂筋シリーズで、第6戦・第7戦を連続登板、連続完封して日本一に導いている。 スタンカは、最後の日本シリーズ3勝ピッチャーである。 以後、日本シリーズでは、3敗ピッチャーは現れても、3勝ピッチャーは、現れていない。


▼  むろん、投手に分業制が導入されていなかったせいだ。 稲尾は1961年、42勝をあげた年、半数はリリーフで稼いでいる。 晩年の国鉄の金田正一は、同点で勝てそうだなと思うと、登板志願して、勝ち数をずいぶんと稼いだため、オールドプロ野球ファンには、たいへん評判が悪い。 そんなファンが神のようにあがめ奉るのは、「サイちゃん」こと、稲尾和久である。 「8時半の男」、板東英二、星野仙一だって、完全なリリーフピッチャーとはいえなかった。 連投、先発・抑え兼任は、とくに日本シリーズでは常識だった。1975年の日本シリーズでは、山口高志が阿修羅のごとき快刀をみせつける。


▼  第2期の画期は、1978年の広岡達朗の登場である。 ここで初めて、日本シリーズにおいて、短期決戦を戦略でのりきろうという考え方があらわれてくる。 「第7戦で勝つこと」から入って、そこから逆算する形で、戦略を編み出していく。 第5戦で3勝2敗と勝ち越しても、第6戦で「3-12」と一方的に負けても、慌てない。 第7戦で、満を持してエース松岡を投入。 途中大杉の疑惑の本塁打で中断したものの、日本シリーズを制覇する。


▼  以後、西武ライオンズの全盛時代の到来とともに、この方式は洗練される。 日本シリーズは第3戦を重視。 エースは3戦と7戦に登板させる。そして経験があって安定感のあるベテランピッチャーは、2戦と6戦に登板させる。 なぜなら中5日で投げられるから回復が期待できるから…こんなことが真顔で言われていた時代があったのだ。 7戦で4勝をあげるために周到な計画を!  第2期の日本シリーズは、総力戦にほかならない。


▼  これを吹き飛ばしたのが、第三期の野村克也の登場ではないか。 オリックスを叩きつぶした1995年の日本シリーズは、最初に外国人ブロスの剛球でねじ伏せて、そのままの勢いであっさりと勝ってしまった。 「短期決戦は勢い」という今の流れができたのは、明らかに野村ヤクルトの鮮やかな勝利が原因だろう。


▼  しかし、この副作用が効き過ぎていないか。 たしかに野村ヤクルトは、勢いで4勝1敗で制した。 しかし、このときの野村ヤクルトは、ヤクルト史上最強チームだった。 イチローのオリックスとは総合力で歴然とした差があった。 たとえ「勢い」を外されたとしても、2の矢、3の矢をつぐことができた。 15勝ピッチャーが、山部と石井一久、2名も残っていたのである。 1995年日本シリーズ第五戦は、豊田泰光が解説をしていたが、オリックスのレベルの低さを酷評する異様な解説ぶりは、忘れられない。 野村は決して勢いで野球をしたのではない。


▼  どうも今回の日本シリーズというか、ここ10年ほどの日本シリーズをみて不思議に思うのは、「勢い」のかけ声は良いとしても、「総力戦」という感じがしないことだ。 力が出せないまま、一方的に終わってしまうシリーズが急増している。 日本シリーズをデザインしようとする強靱な意志が感じられない。 


▼  だいたい、第1戦に川上、第2戦に山本昌を投げさせたとして、第7戦までもつれた場合、誰に投げさせるつもりだったのだろう。 朝倉に、最後を託すのか? その辺、武田勝が残っている日本ハムとは違う。 外されると、ケアできていない。 山本・朝倉・中田が倒されると、川上でも支えきれなかったという所だろう。 「7戦で4勝」といいながらも、どのように勝ちを取っていくかについて詰められていない感じ。 プレーオフを勝ち上がってきたパ・リーグのチームと漫然と戦い、「勢い」で負けてしまう。それの繰り返しという感じがしてならない。


▼  今となっては、「森西武VS野村ヤクルト」の、秘術を出し尽くした老監督対決が、懐かしく思い出されてならない。



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Last updated  Nov 4, 2006 02:49:31 PM
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Re:★  中日が日本シリーズに負けた理由:日本シリーズ戦略史メモ(10/26)   夜半過ぎ さん
1995年日本シリーズ第五戦の解説で、豊田泰光が話していたのは、オリックスのレベルの低さでしたっけ?なんか、野村と仰木両監督の選手交代合戦に、監督が野球をやってるんじゃないだぞ!と激怒してたのを覚えてるんですが。勘違いだったらすみません。 (Oct 28, 2006 01:41:00 PM)

Re[1]:★  中日が日本シリーズに負けた理由:日本シリーズ戦略史メモ(10/26)   春秋子 さん
夜半過ぎさん
>1995年日本シリーズ第五戦の解説で、豊田泰光が話していたのは、オリックスのレベルの低さでしたっけ?なんか、野村と仰木両監督の選手交代合戦に、監督が野球をやってるんじゃないだぞ!と激怒してたのを覚えてるんですが。勘違いだったらすみません。

なんか7回以降、連呼していたような気がするんですが…すげえ批判だなあ、こんなの始めて聞いたぞ、と思ってたので印象深かったもので…こちらもあんまり覚えていないので、夜半過ぎさんの言ってる方が正しいかもしれませんぞ w
(Oct 31, 2006 08:48:41 PM)


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