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書評日記  パペッティア通信

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Nov 19, 2006
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カテゴリ:歴史
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▼   司馬遼太郎は、『項羽と劉邦』と『韃靼疾風録』くらいしか、読んだことがない。 何やら、司馬遼太郎自体に、いかがわしさを感じたのかもしれない。 それなのに、なぜか私は、『坂の上の雲』よりも何よりも、『項羽と劉邦』こそ司馬遼太郎の最高傑作である、と信じて疑わない。 小学生や中学生のとき、読んだ本というものは、一生の宝物になるのかもしれない。 


▼   そんな、過去をもつ恥ずかしい僕ではあるが、この本はなかなか楽しめるものであった。 目次は、こんな感じである。
 
  序章 始皇帝と秦の統一
  第1章 南方の大国・楚
  第2章 秦帝国の地方社会
  第3章 陳渉・呉広の叛乱―楚国の復興
  第4章 項羽と劉邦の蜂起―楚懐王のもとで
  第5章 秦帝国の滅亡―「鴻門の会」の謎
  第6章 西楚覇王の体制―二つの社会システム
  第7章 楚と漢の戦い―戦略と外交
  第8章 項羽の敗北―第三の男、淮陰侯韓信
  終章 漢王朝の成立―地域社会の統合



▼   司馬遼太郎を始めとして、『項羽と劉邦』とくれば、范増、韓信、陳平……綺羅星のようなスターたちの競演となるのが、普通であろう。 とはいえ、そのような類のものでは断じてない。 本書は、楚漢の2つの「システムの差異」に着目しようというのだ。なかなか意欲的ではないか。 


▼   漢のシステムとは、元をたどれば、秦にいきつく。 この秦・楚2つのシステムは、「暦」「制度」、民の編成原理などに大きな違いがあったという。 


▼   秦始皇の統一後、わずか15年で滅んでしまったのは、「天命を失った」というよりも、王朝の後継者争い、占領地である東方6国統治の失敗にある、らしい。 戦国中期では、秦・斉の2カ国が強盛を誇った大国であったし、「悼王」の時代、国都を占領されてしまったとはいえ、楚は強大な大国であった。 秦は、郡県制を各地で試行した。 楚も同様の方向性を志向するものの、独自の習俗をもつ、貴族制色の強い社会であったという。 しばしば、始皇帝が暗殺の危機にさらされながらも、執拗に諸国を巡行していたのは何故なのか。 それは、習俗を異にする東方六国の占領地行政がうまく浸透しておらず、行幸というデモンストレーションと滅ぼした諸国の祭祀を繰り返し執り行うことによって、秦の威光を天下に示そうとしたことにあるらしい。


▼   そのような東方六国は、劉邦集団・グループにみられるように、県長・亭長の周りにも任侠・遊侠の徒がたむろする、任侠的結合が主流をなす社会だったという。  秦自体は、むやみと労役を課してはならない規定が存在していたものの、陳勝・呉広は、長雨で期日までに「戌卒」としてたどりつけることができず、腰斬の刑罰をおそれて、挙兵をおこなう。 これが引き金となって、東方6国社会は、相次いで蜂起。 劉邦は、沛県の地域社会でのつながりに、この任侠的な主客結合を持っていて、これが劉邦集団の中核を構成していく。 この人的結合の限界をのりこえるため、かれは項梁・項羽のグループに身を投じて「楚」の一員として参加していくことになる、という。


▼   秦攻略の功績で、「漢王」に封ぜられた劉邦。 そこから、「関中」を攻め落として、かの地を本拠として、楚との戦いに赴くことになる。 しかし、その根拠地化の過程では、古来から言われてきた、秦の戸籍・行政文書・法律文書をそのまま手に入れたことだけが重要だったのではない。 もうひとつ、劉邦がした決定的なことは、「秦の社稷」を廃して「漢の社稷」をたてたことにほかならない。 当時の情勢では、この行為は、楚の制度を導入しないこと、秦の制度を引き継ぐことを、「関中」の人間に対して宣言する効果をもち、そのことで秦の民に漢支配を受け入れさせることにつながったという。 ここに楚漢抗争は、楚と秦、2つの社会システムの抗争になっていく。 その過程で、戦場と生産地(領地)が隣接していて、闘えば闘うほど消耗していった項羽。 それに対して劉邦は、戦場と「関中」が離れていたこともあって、丞相・蕭何の「生産の安定」「軍糧輸送」の手腕の確かさによって、持久戦になるに従い、徐々に優位を確立していく。


▼   「四面楚歌」で知られる「垓下の戦い」が、項羽にとって決定的だったのではない。 それ以前の段階で、楚漢の決着はついていた、という。 蘇秦・張儀ばりの合従連衡の結果、韓信を味方に付け、項羽を滅ぼした劉邦。 このとき筆者は、項羽終焉の地、烏江の渡し守に語った、項羽の最後のセリフ「子弟8千人と長江を渡りながら、今一人も還ることなければ、どうして父老に顔をあわせることができようか」の言葉に、長江地域からの、人と物の組織化に失敗していた項羽陣営の惨状を見いだす。 なかなか感嘆させられる話ではないか。 この後、400年の漢王朝の支配が始まり、漢字・儒教を柱とする、東アジア世界が形成されることになる、として、本書は終わる。 このような過程を経て、東方6国の地域社会は、郡国制の下、劉氏一族の封土として組み入れられ、徐々に統合されていくという。


▼   劉邦は決して大人物だったわけではない。 項羽のブレーンが、人材が非常に友人・部下に限られている中で、劉邦のブレーンは、沛県の地域社会における本来劉邦の同輩連中まで含まれていて、かれらが劉邦をよく補佐することによって、天下人に押し上げていったという。 豆知識も面白い。 秦の正月は、10月。 科挙官僚以後、よく見られる官僚の本籍任用回避も、秦代のうちに、すでに「長吏以上は本籍任用不可」「長吏以下は現地採用」という形であらわれていて、たいへん興味深かった。 とくに2世皇帝胡亥は、母親が趙の一族で、その趙出身グループの力は、宰相李斯でさえ、どうにもならないほど強い政治的権力を持ちえていたというのには驚く他はあるまい。


▼   なによりも面白かったのは、「鴻門の会」についてであろう。 劉邦が秦を下した後、函谷関を閉鎖してしまう。 激怒した項羽が攻め落とし、あわや一触即発。 宴席に劉邦を招いて、殺害を試みる有名な「鴻門の会」の一件は、実は、劉邦は秦を降伏させていない中でおきた、同じ「楚陣営」内の内輪モメであったらしい。 後に、劉邦は「関中の支配権」を楚の懐王から与えられたという正統性をデッチアゲるために、『史記』が「劉邦が秦を下した」という史実を捏造したのではないか? この筆者の提起には、唸らされる他はないだろう。


▼   従来、カリスマ論やリーダー論として捉えられてきた、楚漢抗争史。 筆者は、この従来の傾向に対して、「社会システムの違い」として捉えようとしている。 とはいえ、当初の課題はまったくといっていいほど、果たされていない。 竹簡や木簡で社会システムを復元しても面白くないこともあるのだろうか。 それとも、ドキュメント風の記述を心がけたためなのか。 従来の楚漢抗争史に「毛がはえた程度」のものになってしまった。 たしかに楚・秦の社会に違いがあることは、何度も強調されているので分かるものの、どのようなシステムの差異であるのか、レビューを書くために再読した後になっても、さっぱり理解できない。 郡県制、封国、郡国制の違いなどを語っているものの、所詮、政治体制の違いでしかない。 とても、社会システムの違いとはいえまい。  


▼   「社会的説明を加えて、司馬遼太郎『項羽と劉邦』をツマンナくした本」。 
    そう結論付けるのは、言いすぎだろうか。


▼   とはいえ、司馬遼太郎『項羽と劉邦』がお好きな方は、一読して決して損のない作品になっていることは言うまでもない。 とはいえ、中国古代史をよく知っている人間にとっては、たいして斬新な知見があるわけでもなし(あたりまえだ!)、読まれない方が身のためだろう。 





評価  ★★★
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追伸

陳瞬臣も、『太平天国』と『江は流れる』の途中で挫折して、読まなくなって久しい。 このたび、集英社新書から新刊を出されたようだ。 たまには、昔のように、襟を正して拝読したいとおもう。


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Last updated  Jan 25, 2007 12:54:53 AM
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