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書評日記  パペッティア通信

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Dec 13, 2006
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カテゴリ:歴史
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良い本だわ。 素敵。 
貴方にも、ぜひ、読んでほしいの。

天皇だけでは、日本は分からない。 上皇も、入れなくてはね。


院政とは、直系の子や孫を天皇位に付けることができた、譲位・隠退した「太上天皇」のみ行える政治なのよ。 名称は、中国のパクリなんだって。 弟に譲っても、父がいても、院政をおこなうことはできないの。 「院政」で有名なのは、白河・鳥羽・後白河の3代だけど、かの後三条上皇まで、「上皇」は16名も存在するんだって。


奈良時代の「上皇」は、「女帝」だらけで、男性は「聖武」のみだったけど、平安時代になると、男性の上皇が大量に出現することになるわ。 これは、幼少期の天皇が即位できないので、「中継ぎ=女性天皇」で代用していた奈良時代から、「摂政」制度が定着して、幼年でも天皇が即位できる時代への移行を示すんだって。 「天皇のミウチ」が権力中枢を掌握する「即位しない一族=藤原氏」の摂関政治と、女帝の不在がパラレルな関係にあるとは、驚きよね。 なぜ、私が子供の頃、教えてくれなかったのかしら。


宇多天皇以降、後三条天皇にいたるまで、170年間、藤原氏が外戚だったらしいの。 筆者は、白河院政以降ではなくて、後三条上皇を院政の基点においているわ。 実際の院政は、黒沢勝美以来、通説となっていた、「摂関家政所政治」から「院庁政治」ではまったくないの。 嘘っぱちなのよね。 どちらも、朝廷こそ中枢機関で、院宣などで「太政官機構」を動かしていたんだって。 院で御前会議が行われるようになったのも、鳥羽上皇の頃から。


荘園制についても面白いわ。 摂関期以来の荘園は、武士などの在地領主層の所領形成と寄進を軸に考えられていたけど、実は違うんだって。 摂関政治の時代は、国家的給付の方が多いの。 白河院政の荘園整理令なんて、出たらめもイイトコロ。 荘園建設のピークは、12世紀半ば以降で、摂関家も王家も大量の荘園を集積したらしいわ。  また貴族たちは、寺社の強訴を恐れて、積極的に武士を取り立てたの。 院政秩序に一番適応したのは、平家だったのだそうよ。


ご存知、保元の乱と平治の乱も、楽しい。 王家と摂関家、2大「権門」の拡大は、国家的組織よりも個人的主従関係の強化を生んで、統制がとれなくなるの。「実子ではない」という噂で、王家は分裂して、摂関家もゴタゴタ。 保元の乱を契機として、清浄の血であるとされた京都で、死刑が復活して、政争が武力で決着するようになるわ。 後白河上皇は、とっても不安定な王権で、鳥羽上皇の荘園をもらえないの。 普通、「平治の乱」以降、後白河上皇の院政が始まると思うんだけど、これが全然違うのよ。 二条天皇の「親政・院政」なんて知ってた?  二条死去後、高倉天皇が即位(1167年)するんだけど、高倉天皇の母親の外戚、平氏への遠慮を生み出し、平家の強大化を生むんだって。 平家あっての後白河院政。 平治以降、源頼政を除けば、平家は院の武力から独立した「権門」となるそうよ。 小学生の頃からの謎が解けたような気がするわ。


清盛と後白河の対立は、清盛の妻の妹、建春門院の死去のせいで、傍系天皇にすぎない後白河の手足となってくれる「院近臣」層と平家の人事をめぐる争いが発端ですって。 1179年、平氏の武力で後白河院政が停止。 高倉院政が始まるの。 清盛が天皇の外戚になろうとした、古代的だ、と批判されるけど、それはウソなの。 源頼朝、承久の乱以降の鎌倉幕府と同様、院政を外部から操ろうとしたんだって。 魅力的な説よね。 以仁王って、なんか「綸旨」だけが有名で、おバカな王に見えるかもしれないけど、広大な所領を持っていた、美福門院の娘の庇護を受け、彼女の養子になっていた、って意外だったわ。 おまけに、反乱の時には権門寺社まで味方につけていたのよ。 源義仲は、以仁王系だったから、後白河と仲が悪かったの


その後、頼朝と後白河の間柄なんだけど、後白河は姉の関係者である頼朝にゾッコンだったのですって。 操りやすい義経に懇請され、頼朝追悼の宣旨を出したものの、清盛クーデター以降、効き目がなくなってしまい、義経は悲惨な末路に向かうの。


後鳥羽院政は、わずか19歳、1198年に始まるわ。 最初にしたことは、政治ではなく、遊興。 それも和歌。 和歌は、1199年頃から始めたのに、1205年には勅撰『新古今和歌集』を作っちゃう、超一流の歌人。 素敵ねー。 卑官が作った『古今和歌集』とは違う、「文化の政治性」を示す国家的大事業なの。 今のおバカな天皇一家が詠んだ、ダサダサの和歌や俳句をニュースで聞かされるたびに、後鳥羽上皇の爪のアカを煎じて呑め!!といってやりたくなるわ。 おまけに、周囲をみんな味方にしてしまう力の持ち主。 歌の才能のない、「院近臣」実務層たちとも、「無心衆」と名づけたりして、「狂連歌」という笑いの絶えない、歌遊びをやるんですって。 管弦の才能もピカイチで、琵琶の名手。 ほんと風流な方で、私の敬愛する唯一の天皇といえるかしら。 


そんな後鳥羽上皇は、討幕を狙っていなかったんですって。 源実朝と後鳥羽は義理の兄弟。 藤原定家の門下生。 歌を通じて実朝に影響力を行使しようとしたんですって。 面白いわよね。 実朝も「子どもを生めない体」と知っているので、大納言、右大臣就任と、源氏の家格を挙げようとしていたの。 しかも「承久の変」は、幕府の内部抗争の波及による京都の戦乱で、京都大内裏が消失したことが発端。 大内裏の再建の夫役を諸国に命じて果たされかったため、後鳥羽は討幕に走ったそうよ。 なんか子どもっぽいけど、ちょっと面白かったわ。 


後鳥羽院政崩壊以降、院政はかわるわ。 制度的には、太政官制を「王」の「権門」が乗っ取る形で、他の「権門」を圧伏させていたのが、それまでの院政。 それが後嵯峨院政からは、院庁とは違う、国家制度として「院政」が整備されてしまうの。 親政も、院政も、同じ機関が担当するんですって。 ところが、強訴の対策を始めとして、軍事指揮権は、院ではなく、幕府に移ってしまうの。 摂関家の人事権についても、院は幕府に奪われ、「皇位選定権」も、北条家が握ってしまうわ。 しかし、院宣は、公的、国家的文書になっちゃう。 不思議よね。 院政をおこなう上皇や、親政をする天皇のことを「治天の君」と呼ぶのは、この頃から。


後醍醐政権は、なかなか面白い政権みたいね。 後鳥羽以降、貴族支配の動揺を受けて、「本家職-領家式-預所職-下司職-公文職」という重層的土地支配構造に、雑訴評定・聴断など裁判を通じて、関与し始めていたんだって。 そこに御家人外と結びつくことで、鎌倉幕府が関与できなかった惣領決定に、後醍醐天皇は関与してゆくんですって。 新たな権力の次元が切り開かれていて、とても面白いわ。 院政は、足利義満でもって、終焉してしまうの。 


とにかく、古代日本史に興味のある殿方なら、たまらない本でしょうね。 荘園をもち、権門とされる存在は、白河上皇(鳥羽殿)にしても、藤原摂関家(宇治)にしても、後白河(法住寺殿)にしても、平氏(六波羅)にしても、都市領主として独自の都市を構想して実現させていた、ってご存知かしら。 摂関家の登場は、院政期以降。 なぜなら、天皇の外戚でなくても、摂政関白につけるのだから…というのも、言われてみれば当然の話よね。 源義家が朝廷から遠ざけられたのは、金貢納の滞納であって、武士を恐れたというのは根も葉もないことなんだって。 後白河と摂政藤原(近衛)基通は、男色関係にあったそうよ。 誰か、「後白河×藤原基通」本を描いてくれないかしら。 ねー。 


天皇が外交使節に会うのは穢れるのでダメ、ということで、後白河も、平清盛も出家入道になって、福原で宋の使節と謁見したというのは、ギャグよね。 天皇アキヒトも、出家したらどうかしら。 


そういえば、慈円『愚管抄』によれば、承明門院は、藤原通親と密通して土御門天皇を産んだそうよ。 土御門の血筋以降には、アマテラスの男系DNAは混じっていないのよ。 これって、男系天皇神話の破綻よね! 反対派はどしどし宣伝して頂戴!! (笑)


ただ、疑問点もあるわ。 『後醍醐天皇は、親政を目指していたんではない。 後鳥羽院政以前の「天皇の人事権」「軍事指揮権」の回復、「本来の院政の姿の回復」を目指していたんだ』という指摘は、面白いけど言葉遊びにすぎないのではないかしら。 すでに、国家機構は、「院政」「親政」も、同じ機構になっているんではなくって? ならば、院政であって親政ではない、と言うことに、どれほどの意味があるのかしら。 面白いけど、「狙いすぎ」な感じがしてしまうわ。 


さらに、いただけないのは、院政が実質的に義満で終わったとされてしまったことかしら。 たしかに、義満以降、天皇制そのものが後景に退くわ。 室町以降復活を唱える人もいるけど、少なくとも国家機構でみれば、存在感はないわね。 それでも、「院」について、ざっとでいいから、触れておいて欲しかったわ。 とっても、いい本だけど、ちょっと、固有名詞が多すぎて、困っちゃったのもタマにキズね。  ここまでの本を書くなら、新書の巻末に人名・地名索引をつけてほしいわ。 これからの、中公新書の課題かもしれないけど。


とはいえ、私のお薦め。 こんな本が、新書で出されるのは嬉しい限りだわ。
みんな、本を買って、「洛陽の紙価を高らしめ」なくては、ダメね。



評価  ★★★★
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Last updated  Apr 1, 2007 12:21:20 PM
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