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Feb 19, 2007
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カテゴリ:社会
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▼   最近、忙しくて、読んだ本の紹介がなかなかできない。 基本的にバカバカしい本は、採りあげないことにしているんだけど、それでも本がたまる一方なので困ってしまう。 所詮は、本の備忘録ブログ。 気を取り直して、面白い順、タメになった順番で、じんわりと紹介することにしよう。


▼   最近、面白かったのは、コレ。 国民国家の統治システム(「配電システム」by ベネディクト・アンダーソン)のインフラであった、「国語」の機能及び問題を描きだし、批判的に暴いていく。 国家的課題に答えようとした、国語学者たちの歩みを追うことで、ナショナリズムとしての「国語」を描き出そうとするのだ。


▼   みんなも分かってるとおもうけど、「話し言葉」は、地域差・階級差がある。 しかし、その反面、「書き言葉」もある。 では、いったい「国語」とは、どっちなのか。 江戸期以降、明治期も、「漢文訓読体」で実質統一されていた書き言葉。 「書き言葉」のような「階層性」をもたない、それでいて「話し言葉」のような「自然さ」を持った、創造された「言語」。 国民国家に必要な、均質で単一、という条件をかねそなえ、「書いても聞いても」分かる言語。 「誰のものでもあるけれど、結局、特定の階層のもの」。 それこそが「国語」に他ならない。 だからこそ、「日本語ローマ字化」(GHQの一部)どころか、「英語」(森有礼)でも、「フランス語」(志賀直哉)でも、本来、別段、かまわない。


▼   だから、欧化政策でも、国粋保存・教化政策でも、「国語」は「手段」として、不可欠である。 しかし、抑圧的とおもわれないためには、「歴史的に話されてきた」ことを偽造する必要がでてきてしまう。  だからこそ、「空間的同一性」のみならず「歴史的同一性」が必要であり、それが、歴史・民族・伝統・文化といった言説を繁茂させる原因となるらしい。 方言も、「国語」を歴史的に構成してきたものの一部とみなされ、国語を不可分に構成する位置づけが与えられる。 そうした学問の性格は、東大・京大に続いて人文系学部がおかれ、言語・歴史・文化に関する講座が開講された帝国大学とは、京城大学と台北大学であったことと無縁ではない。 


▼   明治初期の「啓蒙」の段階をへて、日清戦争をすぎると、統一された「国語」への欲求は、たいへんな高まりを示すことになった。 官主導で「国語」を創造することが決められ、「話し言葉」に即した仮名遣いを決めたものの、「歴史」の強調と、「現実的要請(=空間的同一性?)」のハザマで引き裂かれ、1年で元に戻されたこともあったようだ。 こうした「国語」を支えたものが、「国語学」。 「国語は、国民の精神的血液」(上田万年)。 国語とは、科学であるとともに「新国学」であったという。 


▼   植民地では、日本よりも先に、国語は誕生して、「配電システム」を構築していった。 文字による意思疎通だけでなく、話させること。 とはいえ、国語と方言の暴力的関係が再生産されるだけ。 どれだけ喋ることができても、植民地人は、決して「真の日本人」にはなれなかった、という。 ましてや「国語は国民の精神的血液」ならば、なおさらであろう。 学ぶべきは、本来、朝鮮語や台湾語ではないのか。 時枝誠記は、言語を心的過程・表現行為とする「言語過程説」をとなえ、過程を成立させる「社会」を主体とし、朝鮮語に対する国語の「価値」の優越を説き起こすことで、その疑問を封じこめる。 それは、朝鮮人は自発的に国語に参入せよ、という議論になってしまう。 


▼   「国語」ではない、「日本語」が誕生するのは、1930年代であるという。 比較言語学、歴史重視の手法にこりかたまった「国語学」では、現代日本語の分析や、西欧言語学の輸入などに邪魔になってきたことだけが原因ではない。 この時代、東亜全体の普通語・共通語として、日本語を普及させることが、要請されてきたため、である。 国家により通用性が保証される「国語」とはちがい、「普遍性」をもたせる ――― 普遍性を獲得させて拡大化させる、「国語の帝国化」現象 ―――― ことで国家の境界線を越える。「日本語」がもとめられていたらしい。 。 しかし、この動きは、遅々として進まない。 植民地では、国語教育として「躾が重視」され、バイリンガリズムの解消を目指した強力な「皇民化教育」が施される一方、軍政現場では、「日本語教育」として、「満語カナ」「基礎日本語」など簡略化されたものが流布させた。 この2重構造は、敗戦で崩壊する。


▼   現代「日本語学」の始まりは、文語・漢語のない、汚染されていない「日本語の健康化」を主張して、音声言語としての日本語の理法を目指していた、佐久間鼎にあるという。 そのとおり。 実は、戦前と戦後は、決して断絶などしていない。 戦前的ありようが清算・総括されることなく、「言語統制」が「国語民主化」に名をかえて、合理化・簡素化が推し進められた。 だから、「配電システム」としての国語が問題視されることはなかった。 その一方、戦前との断絶もたしかに存在する。 それは、外部=植民地の喪失を反映したためか、すべて「内向きの議論」だったことである。 「日本語=日本民族」の等号は、ここに成立した。 国語にこめられた「歴史」「民族性」神話は、そのまま現在まで続いている。 現在、国語学・日本語学は、政策決定に関与していないが、戦前について何も総括していない。 筆者はどこまでも手厳しい。
  

▼   台湾的「国語」。 比較を通して科学的な国語学を普及しようとした上田万年。 言語学者がどのように国民国家と共犯であったか。 個々のエピソードも豊富で、なかなか楽しめてよい。 植民地における国語教育は、教員の出身地の方言が混じっていた。 そのため、生徒たちから、「先生の言葉はみんなウソです」としばしば批判されていたのは、なんともいえない苦い感情を引き起こすだろう。  戦後韓国に残した大きな傷跡は、日本語の語彙の残存などではない。 それは、「配電システム」を残したことで、対抗的「配電システム」が形成されたことなのだ ……… 戦後、方言採集の手法から国語論までコピーして、「民族=言語=文化」的国語論の再生産がおこなわれた韓国。 「言語・規範・ナショナリズム」のトリアーデによる言語ナショナリズムは、言語を通して思考枠組まで刻印し、始原を隠蔽する……どこまでも容赦がない。


▼   なにより衝撃的なのは「敬語」「女性語」は、20世紀に登場した「発明」にすぎないことであろうか。 もともと「身分制社会システム」の言語的現われにすぎない。 それが、身分の消滅の後になって、対象化され意識化され、「日本の美徳」なる意味不明な位置づけが、与えられたらしい。 正しい表記をできた日本人は、戦時中で、わずか23%の寂しさ。 西欧近代にアプローチするための手段、大衆の欲望をかきたてるファッションに過ぎなかった日本語、という、近年の植民地における日本語を低くみる潮流に対しても、筆者は批判的だ。 曰く、国語による「同化」の暴力性とは、「欲望」の転化ではないのか、バイアスがかからずに手段として利用できるのか、と。 また「声に出して読みたい日本語」のような動きについてもメッタギリにされている。 曰く、「書き言葉」を読ませることは、「話し言葉」と「書き言葉」の乖離を促進させ、「書き言葉」の特権性への回帰に過ぎないのではないか、と。 国語がどうして、「国家愛」と結びつく必要があるのか。 なによりも、「言語はわたしのもの」ではないのか、という提起は、なかなか面白いものがあるだろう。


▼   全般的に大変示唆された本で、ナショナリズムと言語について、これ以上の入門書兼学術書は、望みようがあるまい。 高く評価させていただいた。 今はただ、「言語はわたしのもの」の「わたし」とは、いったい何ものなのか。 そして、言語を注入され「思考枠組」が刻印されることは、古来から人間としての「与件」ではないのか、とだけ問いかけておきたい。 たとえば、『神聖喜劇』。 膨大な日本の近代詩歌、短歌、俳句、漢詩群の芳醇さにふれたとき、これほど日本人として生まれた喜びを感じたことはなかった。 「刻印」を施してくれたものに、私は心より感謝した。 


▼   「言語はわたしのもの」といったとき、真っ先に失われるのは「わたし」ではないのか。 その懸念がぬぐえない。 



評価  ★★★★
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Last updated  Apr 24, 2007 10:55:56 PM
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