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書評日記  パペッティア通信

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Mar 3, 2007
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カテゴリ:政治
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▼   驚いた。 創刊以来、お手軽路線で、重厚さのカケラもない、朝日新書。 「愛国の作法」を始めとして、昔の名前で食ってます、というラインナップ。 ちくま新書や、岩波、中公クラスを期待した人間は、肩透かしを食らわせられた感じだった。 それが現代中国入門を刊行していたなんて。 しかも、これがなかなか要を得ていてすばらしい。 


▼   簡単にまとめておきましょう。


▼   第2章「文明中国と血統中国」では、中国のナショナリズムが、「クレオールだけがネイティヴを発見する(アンダーソン)」の言葉通り、かつて存在したとされる「想像の共同体(=エトニ)」を内面化させた、海洋中国世界のディアスポラ・ナショナリズムに由来したものであることや、先鋭化したエスニシティを輸入することで形成されたことが説かれる。 国民国家は、ひとつの「Naition=民族/国民」が主権者として統治するという仮構の上になりたつが、「歴史・言語・文化・主権の共有」というフィクションが必要(=想像の共同体)である。 マスメディア・公教育といった出版資本主義が、汎用性があり均質化された国民を作り出す。 中華帝国の時代、成員は3つの階層に分かれていたといってよい。 A 普遍的文明、B 在地リーダー(士の予備軍)、C 民衆の共同体。 在地のリーダーが、「黄金時代→堕落→復興」のV字回復の物語をつむぎだす際、2つの方法が採られることになった。 A 普遍的文明に依拠する「文明中国派(貴族的・水平的エトニ)」と、C 民衆の共同体に依拠する「血統中国派(垂直的平民的エトニ)」。 前者は康有為、後者は孫文という。  孫文は、後期三民主義になると、普遍的文明の形成者を「士」から「漢民族」に置き換えることで、「文明中国」を「血統中国」のものとして簒奪してしまう。


▼   第3章「階級中国の崩壊と『士』『民』『夷』の分裂」では、中華人民共和国建国以降の動向が触れられる。 毛沢東時代、「士」は「民」の文化への同化がもとめられ、思想改造が目指された。 孫文の国民同様、階級も「先天的」に決められていたように、中国の政治運動は、「血縁幻想」から自由になれない。 改革開放後、自由主義者、新儒家、旧左派、新左派など様々な流れが生まれてくる。 「洋の士」 ――― 人権に口やかましい自由主義者たち ――― とは違い、「文明中国」的発想をおこなう「土の士」は、イデオロギーの退潮を補う上でも、たいへん好ましい。 「文明中国」的「文化ナショナリズム」は、かくて導入され、伝統の再評価がおこなわれ、公定ナショナリズム=「愛国主義教育」になる。 しかし、経済成長の片隅で、取り残された「民工」を始めとする「半国民」は、「たった一つの哀れな卓越性に激しい憎悪の念をもって固執」せざるをえない。 ここにもう1つの「血統中国」的な大衆ナショナリズムの復興がみられ、「士」「民」「夷」が、それぞれに分裂していく。 3者を包括する戦略としての「文明中国」的公定ナショナリズム、すなわち「愛国主義」教育は、「宗族」に代表される漢族の血縁幻想に絡めとられ包括しきれない。 「血縁中国」的ナショナリズムの過激化。 自大意識と均富願望をもつ「憤青」たちは、官製メディアに飽き足らないでサイバー空間につどい、「文革世代」の親譲りの闘争方法で、漢奸たちを攻撃するという。 その様子は、滑稽といわざるをえない。


▼   第4章「失われた10年と、日中民際関係」では、2つのリアリズムのハザマに両国政府をおき綱渡りを強いている、両国民の成熟度の低さが批判の俎上にのせられる。 日中両国は、21世紀的リアリズムである「格差社会」の痛みを、19世紀的リアリズムである「ナショナリズム」という麻酔で沈静化しようとしているからである。 日中の「謝罪」をめぐるすれ違いは、始末書文化(日本)と検討書文化(中国)の差異にあり、どのように再発を防止する気なのか、日本側は何一つ明言していないことにある、という。 国際法に変化が生じ、国家対個人の補償という考えが出てきたことで、日本と華人社会の対立は、激しさを増すことになった。 そもそも2005年「反日デモ」は、華人社会の「日本安保理常任理事国入り反対運動」に発していたのであって、中国に輸入されたものに過ぎないことが、日本では忘れられている。 中国人がデモや集会をおこなう権利まで否定する日本のメディアの偏向報道は、官製メディア中国の偏向報道と大差があるとは思えない。 その結果、商品価値の高そうなニュースのみたれ流され、党・政府の国内の分裂に苦しむ姿が見えなくなってしまった。 現在の日中関係が持っているのは、「結果の民主」がもとめられる中国政府が、譲歩だと悟らせないため「非民主的」施策が採っているからである。 


▼   日中の不毛な対立から救い出すには何が必要なのか。 中国は、少しずつ進みつつある、「結果の民主」から「過程の民主(欧米流議会制民主主義)」への軟着陸。 日本は、隣人という名の「他者」と向き合うことで、自らを支配している「文脈」を相対化する思考、という。    


▼   分かりやすいけど、その背後には、豊かで深い中国理解がある。 こんな芸当は、なかなかできるものではない。 「チベット民族」概念は、方言分化が激しい言語的多様性を無視したもので、これに寄りかかっているチベット独立運動はかなり危険なしろものであることに言及しているのは、わたしの不勉強もあるが、この書しか知らなかった。 言われてみれば当然のことであるが、たいへんな衝撃であった。 また、雑学も面白い。 チベットの世界観は、「黒域(中国)」「白域(インド)」に挟まれた、天上に最も近い仏教の国プー、というものらしい。 「士」は、儒家の後天主義にもとづく。 「学歴無き団塊世代」のジュニアを中心とした、「憤青」たち …… 軽いタッチで書かれていながら、的確に問題の所在を押さえられていて、入門書には最適といってよいのではないだろうか。 


▼   とくに、現代中国の3つのパラドクス、「中央集権だから、地方が造反する」「一党独裁だから、厳しく結果が問われる(プロセスの民主ではない故に結果の民主が不可避)」「メディアが規制されているので、世論が地下化して暴走する」は、中国を理解する上で、絶対欠くことができないものであろう。 加えて、中国人と日本人の先の戦争に対する意識の違いは、「戦争体験の差異」、それも「地上戦であったか否か」にある。 そのように述べて、現在も長州人を嫌う会津市民(140年前の話!!)や、沖縄県民などを例にとりあげながら、中国人の持つ「わだかまり」を丁寧にほぐして「同じ人間であること」をアピールしてやめない姿勢には、たいへん胸を打たれるものがあった。 必見の書といってよい。


▼   お互い知らないからこそ、罵りあう日中のナショナリズム。 われわれは、日本人、中国人などの、民族・血族の「究極的指示記号」たる「大審問官」に身を委ねてはならない。 その選択には、責任を取らなければならない。 他者を理解することの難しさ。 他者の的確な理解と「友好」とを結びつける難しさ。 そのような中で、客観的かつ丁寧に現代中国社会を腑分けした作業は、読まれるべき書物であろう。 一読をお願いしたい。 



評価  ★★★★
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Last updated  May 10, 2007 08:43:39 PM
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