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書評日記  パペッティア通信

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Apr 1, 2007
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▼   感動のあまり、言葉も出ない。 


▼   ながらく、「戦後文学第一等」とされながら、ドストエフスキーもかくやと思わせる、超重量級のヘビーな作品。 そのため、多くの読者の挑戦をはねのけてきた、日本文学史に屹立する金字塔、大西巨人『神聖喜劇』。 この傑作の漫画化が、今年1月末、堂々完結した。 この快著と思想を世に広めるためにも、一文を草しておきたい。 


▼   大西巨人作『神聖喜劇』とは、なにものぞ。 1942年、対馬砲台へ入営した、東堂太郎2等兵による、日本陸軍内務班にあらわれた日本社会の悪しき体質との3か月間の抗争をえがく、一大長編小説である。 もともとは、野間宏『真空地帯』への批判であったが、もはや見る影もない。 内容は、みるみる脹れあがって、脱稿まで25年の歳月を費やすことになった。 1979年、全5巻完結。 ちくま文庫や光文社文庫などで、手に入れることができる。


▼   主人公東堂太郎は、無政府主義者(=アカ)であった。 かれは、大日本帝国の遂行する「聖戦」のオゾマシイ性格を知り尽くしている。 ところが、病気もちということで、即時帰郷、入営しなくて済むように取りはかろうとした、軍医の好意を拒絶してまで、彼は軍に入営するのだ。 「私はこの戦争に『一匹の犬』として死すべきである」と ………    


▼   この作品は、超人的記憶力の持ち主、東堂太郎二等兵のおこなう、軍隊内での合法的闘争の数々を追うかたちで、話がすすんでいく。 旧日本陸軍は、「無法地帯」(=シャバの論理の通じない真空地帯)では、断じてない。 陸軍のバカバカしいまでの規則遵守体質は、コミカルに描きだされている。 「知りません禁止」「忘れました強制」から、天皇を頂点とした「責任阻却の論理」を丸山真男ばりに暴きだす姿は、共感する人も多いのではないだろうか。 日本陸軍とは、日本社会の縮図だったのである。 シャバと同じように、学歴や身分が幅を利かしている陸軍。 そこでの合法的闘争を通して、もうひとつの主題である、部落差別の悲惨さ、人間の卑小さ、がこれでもかとえがきだされ、容赦がない。 


▼   そして、感動の5巻。 部落出身者であるがため、周囲から暴力に巻きこまれ、事故死でありながら殺人犯として服役していた、冬木照美。  部落出身者にして前科者。 2つのスティグマは、招集された先の皇軍内においても、冬木をつかまえ、決して逃してはくれない。 さまざまな事柄や事件で、冬木は嫌がらせを受けてしまう。 しかし、「模擬死刑の午後」において、冬木照美の苛烈なまでの決意が、上官にむけて吐露されたとき、それはほんの束の間、皇軍の秩序まで瓦解させるのだ!!!  「連帯」の輪の神々しさ!  その光明。 しかし、たちまちのうちに暗転してしまい、秩序はふたたび取り戻されてしまう。 その悲しさ。 最も美しいものこそ、実は闇をも産みおとすのか!!!



▼   ただの反戦小説ではないのか?  
    そのような本になぜそこまで??
  


▼   こうした疑問は、浅はかな思いこみに過ぎない。 この書では、チャンコロを焼き殺した農民下士官も、武士道を体現したような士官も、東堂二等兵という作者の分身を圧倒するほどの異様な存在をもっている。 陸軍への抵抗を通じて出会った、さまざまな人々との交流によって、かれは「この戦争で死ぬべきである」から「この戦争を生きぬくべきである」へと改心をとげていく。 主人公東堂太郎は、日本陸軍ともども、根本的に否定されてしまうのである。 その弁証法的「回生」の過程は、ぜひ確認してほしい。 


▼   『神聖喜劇』の「凄まじさ」は、逆説的に聞こえるかもしれないが、以上のストーリーにある「のではない」 。 


▼   いわば、日本社会との戦いの物語を「縦糸」とすれば、東堂二等兵の脳内で「俳句」「和歌」「近代詩」「外国文学」「マルクス主義文献」が縦横無尽に呼びだされる、「横糸」の信じられないほどの豊饒さこそ圧倒的なのである。 物語は、引用の凄まじさの前に、遅々として進もうとはしない。 しかし、ストーリーを遅々として進ませない、この「引用」の群れこそ、読者にとっての「よろこび」に他ならない。 いってしまえば、京極夏彦を圧縮したようなものとおもえばいい。 電話帳を上回る厚さが、「よろこび」にかわる一瞬が、貴方にもきっと訪れるだろう。 読者諸賢の聞いたこともがない詩人、文学者たちの作品の断片が、圧倒的な内容をもって、われわれの眼前にせまるのだ。 わたしは、この作品を読んだときくらい、日本に生まれ、日本語を話すことのできる喜びを感じたことはなかった。  


▼   おもえば、『神聖喜劇』ぐらい、読み終えることが悲しかった作品は、ほかになかったのではないか、とさえおもう。 家にこもること3日。 ひたすら読み続けた至福のひととき。 こんな本には、2度と出会うことはできないのではないか。 読んでいるうちに、確信めいたものが脳裏をよぎって、わたしを離さない。 クライマックスに近くなって、読むことの「至福」と読みおえることの「悲しみ」がないまぜになり、滂沱の涙を流しながら読む、奇怪な精神状況に陥ったことを覚えている。 


▼   読了直後、わたしは、文学を専攻していた後輩に電話をかけた。 むろん、謝罪のためである。 「これまで俺は文学をなめていた。 悪かった。 ごめんなさい」 


▼   この本を読めば、文学とは、世界認識を根底より変容させる可能性を秘めた営みであり、意味の政治学をめぐる戦いの最前線でもあることが痛感できるだろう。 そして、読み終えてしまったわたしは、この感動を2度と体験することができない。 わたしは、今からこの小説を読める人が、本当に羨ましくて仕方がない。   


▼   そこに「絶対無理」と思われていた「神聖喜劇の漫画化」の断行である!!!  なんという暴挙。 だが、心配御無用。 漫画は、その素晴らしさをあまり損なうことなく、みごとにまとめあげている。 無骨なキャラクターデザインは、到底、今の漫画ではメインとはいえない。 しかし、読みすすめていくと、このチョイスは、最善であったことがわかるだろう。 もっとも良き理解者たちによる、もっともよき漫画化。 まことに、良い人をえた、というしかない。 われわれの眼前に、『神聖喜劇』小説版という、偉大な作品を読む「手がかり」が与えられたのである。


▼   むろん、『神聖喜劇』のエッセンスすべてを漫画で再現することは、不可能であるし達成されてもいない。 とりわけ、引用の「横糸」は、再現不可能である。 田能村竹田も、斉藤史も、壊滅状態にちかい。 面白さは、およそ小説版の3割程度といったところか。 とりわけ、全五巻の最後をかざる、敗戦直後の茫然自失さを圧倒的なまでに表現しているといって過言ではない、齋藤彰吾「序曲」が小説版にもたらした雰囲気は、漫画版では再現されていない。 漫画や画像というメディアにも限界がある。 「漫画」では再現できない、「詩」学のみ持ちうる領域は、確かに存在するのであろう。 しかし、それでも圧倒的な面白さであることは、なんら揺るがない。


▼   大西巨人は、社会主義者である。 かつて、中野重治とともに新日本文学会に属し、60年代、日本共産党を除名された、純正な社会主義者である。 そして、今もなお、社会主義の未来を信じてやまない。  鷲田小弥太は、語る。 大西巨人は誰ともちがう社会主義者である、と。 「目的は手段を正当化しない」「個人の幸せこそ、大事」 …… そこから帰結した、途方もない「克己」を要求する、かれの思想の一端は、もちろん、漫画版に収録された原作者インタビューでも読むことができる。 たとえば、かれは憲法9条を守ろうとしている。 むろん、「自らが死ぬことを厭わずして」である。 すさまじい潔癖さから、『神聖喜劇』の奇怪ともいえる書は、生まれているのだ。 いやしくも、「保守」と自己規定する人物ならば、豊穣な日本文芸の香りともども、一読しておくべき作品である、といってよい。


▼   日本は右傾化している、といわれている。 とくに、小林よしのり『ゴーマニズム宣言』などの影響もあって、若者世代の右傾化が激しいという。 中沢啓治『はだしのゲン』だけでは、持ちこたえられないのだろう。 しかし、何も危惧するにはおよばない。 右傾化を懸念する諸君は、小学校~高等学校のあらゆるクラスに、あらたに『神聖喜劇 漫画版』を並べるだけでよい。 「部落差別」から、「責任阻却の論理」まで、あらゆる日本社会の暗部はえぐられる。 そして、ただ真っ直ぐに生きることだけが、束の間の解放をもたらす「光」たりうることが語られるのだ。 これほど素晴らしい教材など、この世のどこに他にあるというのだろう。


▼   このブログを読んでいる諸氏は、ぜひ購入してほしい。 

    そして、いつか必ず訪れる、絶対譲ることができない局面では、
    勇気を振り絞って唱和しようではないか。


    「○○二等兵も同じであります!」



 






≪小説版≫ 全五巻

評価: ★★★★★(∞)
価格: 各1,100円 (税込)

≪漫画版≫ 全六巻

評価: ★★★★
価格: 各1,470円 (税込) ただし3巻のみ1,365円


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Last updated  May 31, 2007 04:34:49 PM
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