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テーマ:政治について(20417)
カテゴリ:歴史
![]() (この日記は1からの続きですので、こちらからお読みください) ▼ 2001年までには、全75郡中、24郡に人民政府を樹立したものの、「9・11」によって、大逆風を受けていた、ネパール共産党毛沢東主義派。 インフラ破壊活動。 スパイの捜索。 住民への脅迫と、強制的寄付の徴収………これでは、何も国王政府とかわらない。 国軍と毛沢東主義派は、武力衝突を続け、1万3千人の死者と、何十万人もの難民を生み出した。 とくに、マオイストの被害者は、ネパール会議派支持者たちだったという。 双方の人権侵害は、国際問題に発展。 しかし7政党の民主化運動を受け、水面下で提携。 2005年10月~11月、毛沢東主義派は、統一共産党、ならびに主要7政党と、「制憲議会選挙」「民主共和制」立て続けに合意書をかわした。 2006年2月、毛沢東主義派プラチャンダ党首は、3月14日より全国無期限ゼネストを指令。 3月19日、毛沢東主義派と7政党合意により、ゼネスト指令取消と、4月6日から7政党による4日間のゼネストと以後の民主化デモが決定されたのである。 ▼ 連日にわたる、警官隊と市民との激しい衝突は、4月21日、50万人をこえる空前のデモに発展することになった。 ここに4月24日、国王が屈服。 5月18日、復活した議会では、国王特権の剥奪が議決される。 毛沢東主義派は、国王の屈服を受け入れた主要7政党、とりわけ共産党の政権参加に難色を示すアメリカの意を体した、会議派のコイララ首相に反発したものの、6月、歴史的な政府と毛沢東派指導部の会談。 2006年11月8日、和平協定締結。 武器を放棄して、議会政治に戻り「新生ネパール」を作る道を選んだ、という。 なかなか、激烈なドラマが展開されていたのである。 ▼ しかし、勘違いしてはならない。 この書は毛沢東主義派を礼賛するものではない。 むしろ逆に近い。 毛沢東主義派の怖さは、いたるところ表現され、かなり手厳しい。 毛沢東主義派のイデオローグ、バフラム・バッタライとプラチャンダ党首の確執。 毛沢東主義派の村民動員のため、遠い村から仕方なく集会に参加した村人。 マオイストに土地を奪われた農民たち。 人民政府の道路建設に「強制的に参加」させられる村人……。 このような記述が実に多い。 毛沢東とプラチャンダ党首の肖像をかかげ、「犠牲は国のため」と教える、毛沢東主義派支配地域の教育現場「マオイスト製造学校」の指摘。 個人的所有のない自給自足のコミューン生活は、決して肯定されない。 どれくらい厳しい生活なのか、随所で触れられている。 ▼ また、「人民戦争」最大の犠牲者は、マオイストと警官であって、武装闘争は構造的貧困から抜け出せない、「貧困層VS貧困層」の戦いにしかなっていない、という。 しかも、毛沢東主義派の武装解除の時期は、いまだ明言されていない。 両軍を合体して「新国軍」とするのは問題が多いからである。 今の国軍は「ネパール版天皇の軍隊」である。 毛沢東主義派の人民解放軍については、いうまでもないだろう。 2007年6月までに行われる「制憲議会選挙」後、すんなりと民主化が進むとは思われないのだ。 ▼ しかし、毛沢東主義派に流れこむ人々の思いを高飛車に評論するようなものでもない。 夫を失ないながら悲しむ様子を見せようとしない女性党員の苦悩。 親戚・縁者を政府に殺され、コミュニストに身を投じた人々。 かれらの思いも、また丁寧にすくいとっている。 ネパールの民主化。 日本が果たしうる役割も大きいだけに、大変興味深い。 ▼ 部外者からみると、やはり「インドの存在感の大きさ」に驚かされるほかはないだろう。 インドとネパールの往来には、ビザやパスポートはいらない。 そのため、インド拡大主義者批判を繰り広げながら、毛沢東主義派首脳部は、しばしば安全なインドに逃げて人民闘争を続けていたという。 また毛沢東主義派は、教員を中心として、「村」単位で勢力を拡大していったようだ。 「村」に、コミュニストの教員が訪れて、「村」ごとコミュニストに染め上げていく。 たくみに、政府・警察の苛斂誅求による、「反政府」感情を利用して……。 毛沢東主義派が全国で武装闘争ができるほどの組織力を持ちえたのは、モンゴル系マガル族 ――― 差別が少ない自然のコミュニズム、好戦的な性格、頑丈な体躯であり、かれらは下位カーストでもある ――― によるものでありながら、バッタライもプラチャンダも、ヒンズー最高位カースト「バフン」で、幹部たちも高位カーストというのは、大変面白い事実ではないだろうか。 かれらに差別を持ち込んだのは、インド・アーリア系のヒンズー教徒であった・・・おそらくウソとはいえ、実にかれらのオーラルヒストリーを収集していて興味深い。 そもそも、ネパールには、支配者側の史料しか残されていないどころか、オーラル・ヒストリーさえ乏しいというから、驚かされる。 ネパールの民は、歴史を捨てさせられたのである。 ▼ 強いて批判すれば、地図が付けられていても極めて不十分で、どこの話なのかまるで理解できないことかもしれない。 とはいえ、南アジアを知るためには、最良の一冊であることは、この紹介からの一部わかるのではないだろうか。 ▼ ぜひ、図書館や本屋でみつけ、読んでもらいたい。 評価: ★★★★ 価格: ¥ 1,218 (税込) ![]() お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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