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書評日記  パペッティア通信

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Apr 27, 2007
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カテゴリ:歴史
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▼   岩波新書の近現代史シリーズ。 いよいよ佳境。 
    本日、ご紹介するのは、日清・日露戦争と日本社会の変動をえがいた通史。 これがなかなか面白かった。


▼   簡単におさらいしておこう。


▼   本書は、帝国議会から始まる。 政党の意義を認めないわけではない藩閥勢力は、「吏党VS民党」の初期議会に手を焼いた。 しかし藩閥勢力は、民党の基盤を政府財政を動員(=鉄道建設・民力育成)することで切り崩す、「積極主義」で突破していく。 とはいえ、憲法の規定にないものを、政府が一方的解釈をすることはなく、そのつど合議していったという。 「制度上の権力」(内閣)と「事実上の権力」(元勲)の分裂は、政党政治への待望をひきおこし、やがて伊藤博文の立憲政友会へと帰着。 とりわけ驚くべきことは、 「トルコの憲政失敗」をうけて、与野党とも「憲法と帝国議会の世界史的意義」を自覚していた様子であろうか。 「バカ派」安倍首相の改憲論とは、雲泥の違い。 取り替えてほしいくらいだ。


▼   欧米の承認を受けた下で、国益拡張をめざす、『協調』外交だった日本。 しかし、日清戦争時には転換、清側を挑発しまくって、開戦にもってゆく。 以後50年にわたって、日本軍は、アジアをひたすら歩き続ける。 しかし、24万人の兵士分の輜重輸卒を組織できず、日本は口入屋に依頼して、15万人の人夫を動員することで、兵站を維持したらしい。 「戦争は好景気」も、日清戦争が嚆矢。 日清戦争から日露戦争の間に、戦争記念碑の性格は、『地域代表(生還者も称える)』から、「忠魂碑」へと、天皇制国家イデオロギーに転化したらしい。 「文明の義戦」「文明VS野蛮」のイデオロギーは、学制下、清潔・衛生を叩き込まれた、日清戦争従軍者の目撃した「不潔」「臭い」を通して、身体化されていったのだという議論も、眼から鱗といったところ。


▼   「植民地と戦後経営」の章も興味深い。 台湾総督府の繰り広げた、「原住民殺戮」「相互監視制度」。 「疑獄事件」も頻発して、乃木総督が弾劾されるほどだったらしい。 デモクラシーが進みはじめる内地と、枠外におかれる外地(朝鮮・台湾)。 20世紀初頭までの北海道・沖縄と同様、外地では、憲法が適用されない、大権統治が行われていたという。 権利では参政権、義務では徴兵がなかったらしい。 台湾縦貫鉄道の完成とともに、台湾経済は、対中輸出中心から対米輸出中心に転換。 茶・米・糖・樟脳(楠)の輸出経済が形成されてしまう。 とはいえ、1897年頃までは、欧米商館による間接貿易が7割を占めていた。  なお、戦費負担がおもく、日清戦争後、間接税中心の税体系に大転換したらしい。


▼   デモクラシーの苦難のあゆみも面白い。 最初の政党内閣、「隈板内閣」で横行したとされる猟官主義は、欠員を埋めただけであって、表面的な見方にすぎないこと。 明治天皇は、政党政治を嫌い、藩閥(伊藤派・山縣派)・離反した自由党・天皇に包囲されて、大隈内閣は4ヶ月で崩壊してしまったこと。 初耳であることが多い。 なお、市長・助役は、市議会が3名の候補を選出しての任命制だったことは、ご存知であろうか。 有能な人物を地域外から選べる半面、土着市議の利権確保手段となったらしいのだ。 日清戦争は、ジャーナリズムを急成長させ、言文一致体の文章でえがくスタイルを確立させる。 それは、読者の身辺雑記を紙面にかざらせ、小説などの文化をうみおとす。 その一方で、20世紀初頭、鉱毒問題・労働運動といった社会運動の空前のもりあがりを支えたという。 しかし、日露戦争を契機として、退潮してしまう。


▼   なにより、外交が面白かった。 条約改正では、イギリス側は、日本が親英政策をとるという期待で改正に応じたという。 また、巷間でいわれてきたような、日英同盟派と日露協商派の対立は存在しない。 政府は、日英・日露協商交渉を並行しておこない、韓国の確保を確実にしようとしていたらしい。 しかも、1904年2月2日のロシア回答は、満韓交換論にもとづいたもので、これが日本軍の電信爆破活動で、駐日ロシア大使館に届かなかったという。なんと、日本は、戦わなくてもいい日露戦争を行ったらしいのだ!!!!  いったい、何のために彼らは死んでいったのだろう。  三国干渉では、陸奥外相の楽観論が破綻、急遽イギリスに味方してもらおうとしたもののもらえず、全面降伏に追い込まれたという。 安倍首相の「慰安婦は強制ではなかった発言」みたいでたいへん笑えてしまう(笑)。


▼   ひな祭りのとき、男を左、女を右に置くのは、「東京雛」であって、本来の「京雛」ではない。 これが広まったのは、西洋のスタイルを輸入して、天皇の御真影を津々浦々に配したことが原因である、ということを、このブログをお読みの方は、ご存知であろうか。 また、西洋学術を日本が翻訳する以前、中国によって莫大な翻訳が行われていた。 明治期の西洋文化の吸収は、中国による紹介なしには考えられなかった。 現代でも68%が中国漢語、和製漢語は27%らしい。 他にも、黄海開戦は、「アームストロングVSクルップ」の代理戦争だったこと。 国際結婚には、明治当初、国家の許可が必要だったこと。 海軍記念日・陸軍記念日の式典が派手になるのは、1930年代になってからのこと……とかく、刺激的な一冊なのである。 


▼   むろん、「日本は朝鮮に良いこともした」なんてヨタ話は、どこにも載せられていない。 たんたんと植民地帝国に脱皮していく過程がえがかれていく。 「国民」概念の揺籃期日本。 そもそもなかった朝鮮。 むろん、司馬史観や新自由主義史観などは、お呼びではない。 きたるべき、「国民」「大衆」「群集」の出現を感じさせつつ、宗主国と植民地国、2種類の「国民」形成を丁寧にのべていく。 江戸幕府マンセーの第1冊、自由民権運動がぼやけていた第2冊目にはない、なかなか良く出来た概説書という他はない。


▼   おすすめ。 


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Last updated  May 31, 2007 06:23:51 PM
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