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書評日記  パペッティア通信

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May 10, 2007
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▼    文春新書の歴史関連書といえば、「ゴミ新書」の代名詞にほかならない。 「君子危うきに近寄らず」。 座右の銘にしていた小生であるが、「図像学」の題名に釣られてしまい、とうとう「外れ籤」を引いてしまった。 空前絶後。 驚天動地。 本書は、「受け売り」と「誇大妄想」「幻想」、ならびに「間違い」のみで構成された、ほとんど何のために出されたのか首をひねるばかりの、凄まじい新書である。 あまりの酷さ。 くわえて、こんな本に金を投じてしまった悔しさのあまり、本来、紹介する順番を無視して、飛び級であえて本書をこのブログで採りあげさせていただく。 怖い物みたさならいざ知らず、こんなものに一銭も出してはならない。


▼    そもそも、なぜ乾隆帝を採りあげるのか。 
     むろん、秦の始皇帝から始まる、伝統中国の皇帝権力の栄光の卓尾を飾る存在だからである。 


▼    さすがに有益な知見も多い。 所詮、想像にすぎないだろうが、雍正帝の太子秘密建儲制度は、ペルシアの皇位継承制度をモデルにしたらしい。 また乾隆帝は、易の繋辞伝(ホントはちょっと違う字の「けい」)に由来する、「天数」である「25」という数字に運命的なものを感じ(そもそも即位は25歳の時)ていて、後継者の嘉慶帝は、乾隆25年生まれだという。  蘇州・獅子林の創設者は、元代の大画家倪さん(=王賛)。 「市民ケーン」の映画の字幕に出ていた「ザナドゥー」が元の上都。 ムガール帝国の夏の都はカシミール。 


▼    ダライ・ラマの「ダライ」とは、「大海」を意味するモンゴル語とはご存じであろうか。 第3世ソーナム・ギャツォ(1543-88)が、アルタン・ハーンから称号を贈られたらしい。また、ダライ・ラマは観音菩薩、タシルンポ寺院の住職パンチェン・ラマは阿弥陀仏の化身というのも初耳であった。 ほかにも、乾隆帝が漢族のコスプレをするのを好んだというのも面白いし、熱河離宮(避暑山荘)にあるという江南庭園もぜひ見てみたいと思わされる。 西洋人の青花磁(染付)にいだくエキゾチズムは、「風俗への興味→自力生産→相手の風俗を西洋画的に画かせる」という段階に進んだが、みな乾隆帝が先回りしていた、というのも、ただの「あてはめ」とはいえ、面白い考え方であろう。


▼    しかし、他の箇所は、もう、本当に、どうしようもない。 


▼    とにかく修飾語がまったく意味不明で、文章そのものに理解できない部分が頻出していて読むことに耐えられない。 いろいろな香妃像があることについて、「皇胤の空間化という皇帝の密かな欲望(72頁)」だという。 いったい、これ、なにが言いたいのだろう。  トルファン・ウイグルの帰順を描いた、とても西域とは思えない絵画(西欧人に描かせた)について(221頁)の議論にも、唖然とさせられるほかはない。 たしかに、左上の一部には、よくみると、四角い方形の煉瓦でできたような建物があるのだが、「高昌故城」の「イタリア式」イメージがあるのではないか、といいだすのだ。  なんでいきなり「高昌故城」???  「高昌故城」を出典と判断できるのは、中野美代子氏くらいのものだろう。 『わたし、「高昌故城」を知ってるわよ』とでも、吹聴したかったのだろうか。 まさか。 「三希堂のだまし絵」と「平安春信図」にいたっては、なにを議論しているのか、何度読み直してもまるで理解できない。 とにかく、頭の中に議論がすーっと入ってこない。 


▼    おまけに本書は、ウー・ホンなる学者の議論の転用をのぞけば、「誇大妄想」「幻影」としか思えないような解釈しか存在していない。


▼    たとえば、様々な階層・身分・民族(ラマ僧からヨーロッパ貴族まで!)の衣服を身に着けた、雍正帝の絵画についての議論は、その格好の例であろう。  現実に仮装したかは定かではない雍正帝に対して、「扮装癖」呼ばわりするのもすさまじいが、それだけにとどまらない。 「かれの秘めたる外向きの欲求の絵画的な表現(132頁)」は、別の絵画『十二美人図』を「征服者」「彼女の美や彼女の空間、彼女の文化のあるじ」(ウー・ホンの議論)とする解釈になぞらえて、「敗北した文化と国家にたいし権力を行使する欲望」とするのである。 みたことのない民族・階級・身分の人々(かれは紫禁城をほとんど出なかった)の衣服・文化への「憧憬」、と解釈して、何が問題なのだろう。 そもそも、皇帝以外、誰も観るものもいない絵画に、「敗北した文化」に属する人々の風俗を描かせることで、中野美代子氏は、雍正帝が「誰に対して」「権力」を行使しているといいたいのか。 男がアイドル画像を持っていると、アイドルに対して権力を行使していることになるのか。 バカも休み休みいうがいい。 


▼    ダライ・ラマのかわりに乾隆帝が中央において描かれた、ラマ教の軸装仏画「タンカ」の中野解釈も、これまたすさまじい(カラー挿絵あり)。 満族は四夷の一つだから、四夷を制圧するには、「漢族に仮装したうえでのラマへの仮装という二重構造を意識的に設けざるをえなかった」(178頁)のである、とする。 むろん、タンカには、ラマの衣服を着た乾隆帝しかいない。 どこにも漢族の仮装なんてない。 漢族に仮装した上で、とはいったい何を意味しているのか。 乾隆帝の漢族コスプレ癖を言いたいのか。 ならば、乾隆帝の漢族コスプレが蛮夷ゆえのコンプレックスであることくらい証明しなければなるまい。 ところが完全にスルー。 


▼    ほかにも、誕生日を明示しないことで神秘化を図った(160頁)とか、円明園の細長い区画の意味として、イスラムと西欧文明を「夷狄」として閉じこめたのだとか、意味不明な議論ばかりで、どこに図像「学」をなのる資格があるのか、はなはだ疑念に感じざるをえない。
 

▼    しかも、上記のトンデモ解釈以外は、それがどーした、と言いたくなるようなものばかり。 熱河(ジョホール)の離宮にラマ教寺院を大規模に建立したのは、モンゴル族とチベット族の宗教的融和を利用して、遠隔地チベットを皇帝の届くところに移し変えたのだ、なんて言われても、だから何だと言うのですか?としか言いようがない。 


▼    おまけに、「あおり」もまたひどい。 乾隆帝は「スペルマの行方を気にしていた」と書いてあるから、いったい何のことかと思えば、ただの「皇太子になるべき皇子の行方」にすぎない。 しかも、ある特定の時点では存在していない皇妃たちが、ひとつの連作絵画の中に描かれていることについての、乾隆帝が考えていたこととして、秘められた意思として提示されているのだ。 「平たくいえば(54頁)」なんて書いてあるが、平たく言おうが言うまいが、どうして皇妃たちが年齢を無視して描かれることがスペルマの行方を気にしていることになるのか。  おそらく精神病患者でもない限り、理解不能であろう。
 


▼    おまけに、初歩的なミステイクも多くてどうしようもない。 イギリスのビクトリア女王は、在位年数64年で、最長在位年数を誇る帝王(本書31頁)なんて、いったいどんな資料を読んでの戯言なのか。 フランス国王ルイ14世は、在位72年。 ハプスブルク家最後の国王(と言っても過言ではない)、フランツ・ヨーゼフは在位68年だ。 ヨーロッパですら、ビクトリア女王は最長在位ではない。 史実かは定かではないらしいが、ササン朝ペルシアのシャープール2世は、在位70年だという。 康煕帝の61年なんて、世界の5本の指にすら入らんぞ。  バカか?中野美代子。 それで北海道大学の名誉教授らしいから、笑わせてくれる。


▼    ひどいのになると、ネパールを「チベットと同じラマ教国」視(本書217頁)する始末。 むろん、「世界でただ一つのヒンズーを国教としている国」である。 こんなの、少し調べれば誰でも分かるはずだろう。 編集ともども、いったい何をしているのか。 私の気づかなかった間違いまで含めれば、気が遠くなるほど瑕疵があるに違いない。


▼    読みおえたあと、乾隆帝は何だったのか、乾隆帝の時代とはどんなものだったのか、本書の内容を思い出そうとしても、まるで分からない。 正直いえば、注釈魔にして記録魔である乾隆帝が、あらゆる所で詠みまくった、5万首もある詩を通じて、乾隆年間の社会を活写した方が、はるかに良い本になったのではないだろうか。 総じて、乾隆帝エッセイの域をこえておらず、武侠小説の金庸『書剣恩仇録』(邦訳 徳間文庫)の方が、乾隆年間の入門書としては、はるかにマシである、と断言したい。 中野美代子ほどの地位になれば、どんなクズ本を刊行しようが、裸の王様ならぬ、「裸の女王様」。 周りには、だれも諫める人がいない、という典型的事例ではないだろうか。 少なくとも、金返せ。 これだけは確かである。 もっとも、金かえせ!と罵るようなお前が「君子」を自称するな!と、言われるのは困りものだ。 


▼    もはや、私の言えることは1つしかない。 本書は、中野美代子氏の名誉のためにも、「絶版にされるべき書物」である。


▼    文春新書編集部の、すみやかな、良識ある対処を期待したい。



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Last updated  Jul 12, 2007 05:01:53 PM
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