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テーマ:経済分野の書籍のレビュー(50)
カテゴリ:経済
![]() ▼ 本当に素晴らしい。 面白い、小気味よい、痛快、と3拍子揃った書物が刊行された。 現代中国の専門家、矢吹晋氏(横浜市立大学教授)の書評を一冊にまとめたもの。 愚にも付かない中国モノが書店に氾濫する惨状に、頭を痛めている人たちには、待ちに待った書物といって良い。 クズ本が一刀両断されている。 ▼ なんといっても、冒頭から圧巻!!!! ユン・チアン『マオ 誰も知らなかった毛沢東』は、けちょんけちょん。 「稀代の悪書」扱い。 コミンテルン史観だの、三文小説だの、旧ソ連アーカイブを強調する虚仮威しは笑止千万だの、悪罵が凄まじい。 そりゃあ、中国共産党設立を1920年とすることで、露骨に毛沢東の権威を引きずり下ろそうとしているのが見え見え。 判断を示さず逃げを打った書評をかいた、国分良成(慶応大)・加藤千洋(朝日新聞)・天児慧(早稲田大)などは、研究者失格を宣言していて、痛快である。 「神格化」を否定するあまり「悪魔化」するのは、悲劇の克服にはならない!!は、我々の胸を打たずにはいられまい。 ▼ ロバート・クーン『中国を変えた男 江沢民』の紹介も素晴らしい。 江沢民がわざわざクーンに書かせた江沢民の伝記。 饅頭本(葬式のとき配られる本)の類であるが、それなりに使い道があるという。 社会主義諸国の崩壊という危機をのりこえるため、台湾海峡をめぐる疑似緊張状態と反日愛国ナショナリズムの煽動と法輪講弾圧による「安定団結」を旗印にかかげた江沢民政権。 その苛烈な「反日」言動の裏には、本来なら「漢奸的人物の息子」という「成分」のはずの江沢民が、不自然に「革命烈士」の人物の養子に「書き換え」られていることにあるのではないか、と推測する。 ▼ その反面、報告文学「人と妖のあいだ」で共産党を告発した劉雁宝編『天安門よ、世界に語れ』(社会思想社)や、『天安門文書』については、評価がたかい。 当時の中国の政治グループは三派に分かれていたという。 胡耀邦らの「民主的改革派のグループ」は、「陳雲―胡喬木―トウ(登+こざと偏)力群」の保守派グループに虐められたらしい。 趙紫陽は、「専制政治と自由主義経済」を結合させることを主張していたグループであって、胡耀邦ラインではないという。 トウ小平はこの三派のバランスを保ちながら、政治を仕切っていた。 趙紫陽は怜悧な官僚であり、これが彼が「中国のゴルバチョフ」となれなかった一因であるらしい。 一方、話題になった『天安門文書』とは、李鵬と趙紫陽、天安門事件直前、2つの指導部ができており、そのあとで後者が前者に潰された際、趙紫陽側の文書が流出して、それを編纂したものである、という。 かなりの文書が、とっくに『チャイナ・クライシス』(矢吹晋編)でも収録されているぞ!と宣伝する姿は面白い。 ▼ また、『中国農村崩壊』『中国農民調査』や小説などの書評を通して、現代中国の諸問題を摘出する手腕も冴えている。 2006年9月の上海閥討伐によって、党内を掌握できた胡錦涛のかかえる最大の課題は、「農村は貧しい 農民は苦しい 農業は危うい」で知られる「三農問題」。 農村部では、10年で役人が3倍に増えた所もあるという。 幹部たちは、改革開放を換骨奪胎して身内を登用して私腹を肥やして高利貸をやり、徒党を組んでいる。 それだけなら救いがある。 かつての幹部の不正を告発した人物が、横領事件で訴えられたりするだけでなく、なによりも、汚職と戦うことを決断した若手市長が、腐敗幹部たちの資金流用と上級幹部への賄賂によって、自分が市長に抜擢されたパラドクス ―――― 構造汚職となっているのである。 中国の闇は深い。 ▼ 他にも、台湾論から中国経済論まで、実に幅広い。 むろん、筆者は、独自の観点で論じていく。 藍博洲『幌馬車之歌』と侯考賢『非情城市』の関係の検討。 とくに、今では、常識なはずなのに、忘れられがちになっている台湾論がいい。 「台湾独立の可能性は消えた」が「台湾統一の条件は整っていない」ため、大陸と台湾は現状維持しか採れない。 現在の社会主義市場経済の「社会主義」は、枕言葉にしかなっていない。 読むべき本としては、津上俊哉 『中国台頭 日本は何をなすべきか』(日本経済新聞)や、今や都市が農村に恩返しする時代と喝破している白石和良『農業・農村から見る中国現代事情』(家の光協会)があげられている。 また、大西義久氏の著作(『円と人民元』他)に対しても、著者が高い評価をあたえている。 こちらの評価とも一致していて、たいへん喜ばしい。 ▼ では、どのような本がクズなのか。 そして、読んではいけないのか。 ベンジャミン・ヤン著・加藤千洋訳『トウ小平 政治的伝記』(朝日新聞社)や、宮崎正弘『本当は中国で何がおこっているのか』(文藝春秋)だという。 さらに、誰を信じてはいけないのか。 どうやら、筆者の物言いをみていくと、信じてはいけない学者・ジャーナリストは、宮崎正弘と中嶋嶺男、長谷川慶太郎に加藤千洋たちのようである。 こいつらは、「人民元大暴落」を言い立てていながら、数年もたたないうちに「中国バブル」を言い立て、中国分裂論を鼓吹しておきながらいつの間にかなかったことに。 オオカミ中年とは言いえて妙、というかオオカミ老年まで交じっている。 また、国分良成、天児慧も要注意みたい。 これでは、有名所の中国学者は全滅じゃないか。 いったい誰を信じれば良いんだろう(泣)。 ▼ とにかく、本書を評するとすれば、大変勉強になりました、の一言ではないだろうか。 事実をもとに論じることの大切さを痛感させられること疑いない。 ▼ 1956年、第八回党大会までは、集団指導体制がとられ、毛沢東の独裁というものはなかったらしい。 朱鎔基(湖南省長沙)は清華大学左翼学生リーダーでありながら、右派分子として追放。 87年には序列400番台だった男が、91年副首相。 剛直・剛毅・廉直のため、賄賂を送るものがいない。 「100個の棺桶を準備せよ」「連れだって地獄へ行く」と朱鎔基が啖呵をきった下りは、ぜひ確認して欲しいほどの勇ましさだ。 なんと、朱鎔基の祖先の墓には、爆薬が仕掛けられたことがあるらしい。 すさまじい抵抗をなぎ倒す姿は、感動させられてしまう。 また、毛沢東が『楚辞集註』を田中角栄に送ったのは、誠心誠意謝罪しようとしたのに「迷惑」という言葉を使い、こじらせたことに対して、「迷惑」の典故的書物にあたるから送ったのではないのか、という解釈が示される。 田中角栄の誠心誠意の謝罪も、毛沢東の受け入れも、双方にとって都合が悪いので忘れ去られ、万感の意がこめられた「迷惑」は死んだという。 残念な話である。 ▼ むろん、読書系サイトで、書評の本を採りあげるのは、反則のような気がしないではない。 とはいえ、これほどまでに現代中国に対する充実した書評集は珍しい。 まっとうな、現代中国に関する「常識」が凝集しているからである。 常識を知って異端的言説を述べないかぎり、ただのトンデモに堕してしまう。 ただ、激辛なだけに、ときどき、本当かな?という論理運びも見られることもある。 「迷い、惑わす」が原義の「迷惑」が現在の意味に変化したのは、武士の台頭とその決断主義を支える禅宗の流行に由来するとは、ホントのことなのだろうか。 ちょっと出来すぎた話のように思えないでもない。 ▼ とはいえ、これくらい素晴らしい本は、こと中国モノに関しては珍しい。 貴方の中国認識は、どの程度正しいものか。 ぜひ一度、この本でテストしてみてはいかがだろう。 図書館なり、本屋にいって、ぜひとも購入ないし購読していただきたい本である。 評価: ★★★★ 価格: ¥ 1,575 (税込) ![]() お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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