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書評日記  パペッティア通信

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Jul 5, 2007
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▼     一匹の妖怪が思想界を徘徊している。 レーニン主義という妖怪が。 旧思想界のあらゆる権力がこの妖怪征伐の為の神聖同盟づくりに結託した。 仲正昌樹と東浩紀、八木秀次と小谷野敦、岩波のカルスタ派と『諸君』の公安スパイという具合に。


▼   …… 



▼     またやってしまった。  皆さんはご存じか。 近年、左翼の思想業界(狭い!)の中では、レーニンが世界的ブームになっているらしい。 現実の「マルクス=レーニン主義国家」は、とっくに崩壊した。 ところが、その創始者=「権威」として批判され、不平・不満の対象にされていたはずのレーニンは、最近、劇的な復活を遂げている。 映画『グッバイ、レーニン』の物悲しさを君はみたか。 レーニンは、現実の国家を失うことによって、永遠の生をえたのではないか。  


▼     レーニンは死なない。 スラヴォイ・ジジェクから糸圭秀美にいたるまで、レーニン主義的「決断主義」を称揚しないモノはいない。 「ポストモダンの左旋回」(仲正昌樹)といわれるこの現象、はたまた現実の社会主義国家の崩壊によって過去の思想として葬られたはずのレーニンは、なぜ、今、復活しつつあるのか。 ただの歴史の歯車を逆戻りさせるだけのことなのか。 過去の栄光を追いもとめる、老人の繰り言なのか。 ちがう。 断じてそうではない。 本書は、社会の変革を志すものなら、左右問わず、誰しもレーニンを学ばなければならないことを改めて教えてくれる、希有の著作なのである。 これを読まない人は、絶対、損をするだろう。


▼     前振りが長くなった。 ひとまず、概観しておこう。 

      第1部 躍動する<力>の思想をめぐって
      第2部 『何をなすべきか?』をめぐって
      第3部 『国家と革命』をめぐって



▼     なによりも本書は、ジグムント・フロイトという補助線を用いることで、レーニン2つの問題作、『何をなすべきか?』と『国家と革命』の再読解を試みるものである。 このコラボレイト、刺激的でないはずがないではないか。


▼     第1部は、レーニンという、思想史的事件が語られる。 


▼     レーニンとは、「外部はある!」と語り、そこへ到達(=革命)した唯一の人間であった。 無慈悲なマキャベリアン、残忍な現実主義者としての「権力亡者レーニン」。 ユートピア的社会主義者、理想主義者として、社会主義諸国で宣伝された「聖人レーニン」。 この2つの分裂は、『何をなすべきか?』と『国家と革命』で、まるで相容れない主張が、レーニン本人によってなされている(ように見える)ことに起因してきた。 


▼     本書はこの2つレーニン像を折衷しない。 『国家と革命』とは、総力戦によるロシア社会の全面崩壊から目をつぶる社会主義者と、空想的な無政府主義者、2つのユートピア主義に対して批判するためにかかれた「国家の廃絶」のマニフェストであって、断じて一般にいわれるようなユートピア主義の書物ではない、という。 レーニンの無政府主義者への批判は、力をめぐるものだ。 無政府主義者は、「国家を廃絶するための力」「その廃絶に使われる力を潰す力」を想定しているため、「力の2元論」を想定せざるをえない。 また、『何をなすべきか?』も、労働者の階級意識形成のために『革命的前衛党』による指導を礼賛する、一般に言われるようなマキャベリアンの書物ではない。 彼にしてみれば、革命とは「外部」へ超出することに他ならない以上、階級意識は「外部」から供給される他はないからである。 


▼     「外部」へ「超出」することで「革命の必然性」を把握した後は、「客体」としてではなく、「主体」にならなければならない。 われわれは、「革命の必然性」とは、革命の到来によって、すなわち後になってから分かるものと考えてしまう。 現在では分からない。 「未来」において開示される他はないもの、と思いがちだ。 レーニンはちがう。 この悪しき議論を徹底的に排撃するのだ。 どうやって? レーニンは、革命の「客体化」を招きかねない、「今」と「未来の革命」との「あいだ」に横たわる時間的「裂け目」を、断じて認めようとはしない。 「主体」のなすべきことは、今ある「革命の現実性」にしたがうことである!!! 必然性から現実性への転回。 革命からその主体を剥奪して、「世界そのものを革命の主体とすること」 ここにこそ、レーニンによる、マルクス主義のコペルニクス的転回があるという。 たしかに凄まじい発想の転換である。


▼     第2部は、悪名高い『何をなすべきか?』の読解である。 


▼     筆者がフロイトを援用するのは、「悪しき前衛党主義」とされる理解に対して、別の読解を切りひらくためにほかならない。 そこで開示される理解とは、レーニンの「社会主義のイデオロギーの外部性」問題は、プロレタリア階級の意識にとって「抑圧されたもの回帰」、別の形をとった「神経症」の交替ではないのか?というものである。 抑圧的なものの回帰は、常に「性的欲動」と密接に関わる。 欲動が断念されることによって、「抑圧されたもの」が「性的なもの」に固着し続けた場合、人は神経症を発症する。 しかし、固着対象は、「性的なもの」から文化・社会的活動へ付けかえることも可能である。 そのような営みは「昇華」と呼ばれる。 フロイトによれば、宗教は「昇華」であると同時に集団的神経症であり、一神教とは「集団的神経症」における「精神の進歩」であるという。
 

▼     レーニンは、プロレタリアートの「無意識」の領域に追いやられた「心的外傷」を、暴露・煽動を通して、労働者階級に認識させることを唱えた。 そして、「未開人」のような「自然発生性」にひざまずくこと  ―――― 革命失敗は、「理論」に起因すると唱えて経済主義・組合主義に走ったり、「大衆の不活発さ」に起因すると唱えてテロリズムに走ったりすること ―――― を徹底的に批判する。 マルクス主義において追放されなければならない「呪物」は、ベルンシュタイン流の修正主義が言うような、「革命」ではない。 追放されるべき「呪物」「偶像崇拝」とは、「理論」とか「運動の自然発生性」への拝跪にほかならない。 レーニンは、ベルンシュタイン流の修正主義によって「自然発生性に拝跪」し「多神教化」しつつあった社会主義を一神教化し、真正の社会主義イデオロギーは資本制社会における階級関係を反映してはならない、と主張した人物であるという。 レーニンが突破した次元とは、ナロードニキ主義者や経済主義者たちにみられる、「人民の殺害」によるトラウマから、「罪責感」(=良心の疚しさ)を抱いてインテリゲンチャと人民との功利主義的和解に拘泥する意識にほかならない。 これらを断固はねつけて、「外の世界」に人民を連れ出そうとしたことに意義があるという。 レーニンの主張する革命とは、断じて、「人間的本性を取り戻す」=疎外論的図式ではなく、労働者・農民のための革命でもないのである。


(その<2>はこちらあたりになる予定です。応援をよろしくお願いします)



評価: ★★★★☆
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Last updated  Jul 7, 2007 09:09:56 PM
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