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書評日記  パペッティア通信

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Jul 17, 2007
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(この日記は前編からの続きですので、こちらからお読みください


▼     本書は、アマゾンの読者レビューはむろんのこと、朝日新聞読売新聞などの大手メディアでも採りあげられている。 一般的なブログにおいても、おおむね、「滝山コミューン」に批判的立場からの感想が多いようだ。 曰く、「日教組の全体主義教育」。 曰く、「戦後民主主義下の個性の抹殺」。  だからこそ、原武史が突然、「滝山コミューン」を肯定するかのような末尾の議論、別様の「民主主義」の可能性を論じたことについて、理解できないムキも多いようだ。


▼     ここで、告白しておかなければなるまい。 わたしもまた、原武史と同じような体験をしたことを。 もはや、全生研教育の末期だったのだろう。 ぼくたちの小学校は、「ビリ班」のない、ほとんど形骸化した「班競争」がおこなわれていた。 しかし、そのかわりに、「平和学習」が押しつけられた。 本当に、嫌で、嫌で、仕方がなかった。 先生への反発から、小学生時代は「軍事オタク」になったくらいである。 作者とは、「学習塾」「進学校」へ逃避したことまで同じだった。 そして、卒業時、鉄道旅行をしたことまで同じとなると、にわかに笑いがこみあげてきたくらいである。


▼     それでも言わなければなるまい。 集団主義教育は、断じて全体主義ではない。 原武史は、批判する。 全生研教育では、「集団の前に個人と自由は否定される」と。 そうだろうか。 原武史が挙げる文書は、「個人主義、自由主義の克服」の文句である。 資本主義に毒された「個人主義、自由主義」のイデオロギーを克服することが、どうしてそのまま「個人と自由」の≪単純な否定≫に読み替えられてしまうのか。 「6年5組」の公約をのっとってしまう候補者があらわれたとき、女子生徒は叫んだ。 「わたしたちの公約を真似しないでよ」と。 この声は、虚偽だったのか。 この声は、「自由」から発せられたものではないのか。 片山勝が3年連続で5組の担任になったとき、父母と生徒たちは歓声をあげたという。 あれは、「洗脳」された結果とでもいうのか。


▼     集団主義とは、「個人の自由」が「討議づくり」(本書52頁)を通して、「集団の自由」(意思決定)へと揚棄される営みではないのか。 だからこそ、『安田講堂 1968-1969』でも論じたように、全体の意思を形づくるための、信じられないほどの討議・討論が要求されたのである。 集団主義は、断じて全体主義ではない。 「全体主義」とは、あくまで「個人」と「集団」は揚棄されることなどありえないという、個人と集団の「亀裂」を前提とした上で、「集団」の側が「個人」の側を≪短絡的に包摂≫する行為ではないのか。 


▼     そう考えてみると、本書では見えなかった部分が見えてくるとおもわれる。 本書では、どうして、片山勝教諭と「6年5組」の児童の関係は、希薄にしか描かれないのだろうか。 「6年5組」の児童は、原武史少年に強烈な同調圧力をかけてくる。 片山勝教諭は、どうやら原武史少年には嫌悪感をいだかせる、ヒトクセもフタクセもある人物のようだ。 どちらも、ちょっと恐いところがないわけではない。  ところが、両者の関係は、どうだろう。 「方針演説」の草稿に添削を加えていた話以外、あまり見えてこない。 実に、不思議な話ではないか。 たしかに、「6年5組」の児童だった人々は、当時の記憶を失っていたという。 おまけに、原武史少年は、別のクラス(6年2組)の児童。 片山教諭と「6年5組」の児童の関係が分からないのは、ある意味、仕方がない側面もあるという言い訳も考えられないことはない。 しかし原武史は、片山勝教諭にインタビューをおこなっているのである。 それでも、まったく明らかにならないのは、明らかに異常ではないのか。 


▼     理由は、ただ1つしかあるまい。 片山勝もまた、「記憶が無かった」のではないか。 いや、正確に言いなおさなければなるまい。 本書を描くため隠蔽しなければならなかった部分とは、「6年5組」の児童による民主的集団の実践は、片山勝教諭の手から離れていたことにあるのではないか。 片山勝は、当初こそ「5組」の児童をそそのかして、組織化したにちがいない。 しかし、3年目、「6年5組」の段階になると、もはや、児童だけによる≪実践≫がおこなわれていたのではないか。 片山勝は、児童たちのおこなう、民主的集団の実践の数々に、むしろ感銘さえ受けていたのではないか。 もはや、児童たちを教える必要がなかった。 それどころか、片山勝は、児童たち「から」学んでいた。 両者の幸福な師弟関係は、今も「6年5組」の児童と片山教諭が、密接に交流していることからもうかがえるだろう。 6年5組において、もはや、何も指導する必要を感じなかったこと。 これこそが、「6年5組」に関する片山の記憶の欠落を招き、原武史のインタビューの消化不良を招いたのではなかったか。


▼     傍証は、本書を読めば、いくらでも気づかされる。 6年5組のリーダー、中村美由紀。 彼女は、精神的重圧のあまり、過敏性大腸炎などで苦しんだ、とされる。 しかし、症状が悪化したのは、いつからなのか?  「滝山コミューン」確立期以降ではないか。 コミューンが完成してしまえば、彼女は「11歳の子供だということを忘れ」(151頁)なければならない。 現代日本の大人と同様のストレスに苛まれるのは、むしろ、当然のことであろう。 彼女は、断じて、「集団主義」の犠牲者ではない。 考えてみれば、コミューンの「完成」とは、先生の指導から脱出して、先生の指導と集団の自由が、対立なく揚棄されている状況ではない限り、ありえないはずである。


▼     原武史は、勘違いしているのではないか。 たとえば、林間学校のキャンドル・サービス。 そこで、「集団」に「個人」がのみこまれていく恐怖が、丁寧に解説されている。 かれは、その式典の際、片山勝を批判してやまない。 指導者(片山勝)の一人舞台につき合わせられただけではないか!! どこが平等なのか!! 「体制」への忠誠度に応じた序列があるではないか!! ナチスと同じ一体化演出ではないか!!!!、と。 たしかに、間違ってはいまい。 だが「恐怖」は、ナチスと同様にロウソクの火の下で、集団と個人が一体化させられる所に存在するのだろうか。 本当の「恐怖」は、キャンドル・サービスにおける、日教組・全生研の実践者、片山勝のふるう長広舌が、「一人舞台」であるどころか、「掛け値無く真実」を語っていたとき、われわれに訪れるのではないか


▼     原武史氏は、決定的ともいえる部分を捉え損なっている、というしかあるまい。 読了された方は、もう一度、この部分を読み直して欲しい。 この次元でなければ、原武史の洞察 ―――― 「滝山コミューン」は、西武沿線の団地という等質な空間下であることを前提条件にしていたとはいえ、成人男性のみが政治参加してきた伝統をのりこえる可能性を秘めた、児童や女性を主体とする画期的な「民主主義の試み」ではなかったか ―――― は、本来、理解されるはずがあるまい。 なにゆえ、原武史は、たどり着くことができなかったのか。 本当に残念でならない。 


▼     かくて、わたしは泣いた。 永遠に失われたものを哀悼したのである。  


▼     高齢化のすすむ、荒涼とした滝山団地。 もはや、「滝山コミューン」関係者のうち、誰1人としてすむものがいない。 極端な少子高齢化の到来によって、原武史の故郷(ふるさと)、滝山団地は、廃墟と化そうとしている。


▼     かつて、ここには、民主主義を実践に移し、民主的集団を打ちたてた児童たちがいた。 歴史の彼方に消えた「滝山コミューン」。 このブログをお読みの方は、ぜひご一読して欲しい。 これは、「全共闘」とは別次元において、たしかに花開いた、究極の民主の実践の姿なのだから。  


評価: ★★★★☆
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Last updated  Jul 18, 2007 09:22:05 PM
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