2100033 ランダム
 HOME | DIARY | PROFILE 【フォローする】 【ログイン】

書評日記  パペッティア通信

書評日記  パペッティア通信

【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! --/--
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

PR

Calendar

Category

Favorite Blog

富士山の頂上に沈む… GKenさん

─ 灼熱 ─ HEAT1836さん
余多歩き くれどさん
tabaccosen breton005さん
ミョウの魅 stadanさん
ぶらぶらブラジル日記 Gaobrazilさん
沖縄でよんなよんな sinarsinarさん
りゅうちゃんミスト… りゅうちゃんミストラルさん
再出発日記 KUMA0504さん

Comments

山本22@ ブランド時計コピー 最高等級時計 世界の一流ブランド品N級の…
山本11@ 最高等級時計 店舗URL: <small> <a href="http://www.c…
よしはー@ Re:★ 小島毅 『近代日本の陽明学』 講談社選書メチエ (新刊)(09/26) 作者の独善性、非客観性をバッサリ切り捨…

Recent Posts

Archives

Dec , 2024
Nov , 2024
Oct , 2024
Sep , 2024
Aug , 2024
Jul , 2024
Jun , 2024
May , 2024
Apr , 2024
Mar , 2024

Freepage List

Keyword Search

▼キーワード検索

Nov 1, 2007
XML
2007-10-30 愛国戦隊大日本

 製作当時、『アニメック』で、池田憲章の連載のパロディーとして書かれた文章で知ったとき以来、初めて現物を見た「愛国戦隊大日本」である。
 しかし時は流れた。もはや、右翼といえば反共という図式が成立しない。ロシヤはもはや社会主義国ではないし、佐藤優のようなロシヤのスパイの右翼も登場した。

---------------------------------------------------------

▼   ミスの多い方ですな、小谷野氏は。


▼   「愛国戦隊大日本」は、1982年8月14日、日本SF大会「TOKON 8」で放映。 製作されたのは、当然、1982年ということになる。


▼   そして、池田憲章の「特撮ヒーロー列伝」のパロディ、「ゼネプロ講座」番外編は、『アニメック』28号、すなわち1983年1月号に載っているんだから、「製作当時」では、どう見てもおかしい。


▼   と、小谷野氏流の「重箱の隅」をやってみたが、ホント、嫌らしいね。 こちらにまで人格の悪さがうつりそうだ(笑)。 つーか、本当に「ゼネプロ講座」のパロディを読んでいたら、2005年まで読売新聞解説部次長やってた、波津博明記者率いるイスカーチェリSF倶楽部との大ゲンカのことまでさりげなく触れられているんだから、およそ「製作当時」なんてマヌケなことを書くはずがないと思うんだけど。


▼   だいたい、「時は流れた」と言って書く内容が寒い。


▼   「愛国戦隊大日本」をめぐる論争では、「イスカーチェリにダイダロス・アタックを!」なる題名で、ゼネプロ陣営として参戦。 これが山形浩生の鮮烈なデビューであり、小谷真理や宮崎哲哉に対する、後の「売られてもいない喧嘩を勝手に買う」芸風の出発点、と考えると、まことに感慨深い。 山形浩生の書いた『新教養主義宣言』なんて、この人のデビューを知っている人なら、とても買う気はおきませんよ。 何が悲しゅうて、山形浩生なんぞに、教養のなんたるかを教わらなきゃならんのだ …… 時代は変わった、と思ったね。 まあ、クルーグマン本のお世話になった、この私が言うのも何ですが。


▼   「反社会主義的だ!!」「東欧のSF作家からSF大会宛に祝電までもらいながら、その社会主義を侮辱するフィルムをSF大会で上映するとは、いったい、何事なのか!」と吼えてから、はや、20年。 波津博明記者は、2000年の「ゴア VSブッシュ」の大統領選では、パンチカード式投票にみられる「アメリカ草の根民主主義」を「未熟」と、嬉々として断じる記者になっていた。 わたしは情けなかった。 草の根への蔑視。 これは、社会主義者として首尾一貫した言説なのか。 それとも、読売的保守主義への変節とみるべきなのか。 現在、大妻女子大の教授にトラバーユされた波津博明氏は、読売新聞を追放されたのか? それとも読売新聞と主義主張があわなくて退社したのか? せめて、自己の言説については、はっきりさせる責任があるだろう。 SFが政治であった、最後の世代の責任ではないか?


▼    時が流れたとは、こーゆー、「有為転変は世の習い」を感じさせるものをみせつけられたときに言うべきセリフであって、福田和也や松本健一等、昔からあるものについて使う言葉ではないだろう。 どうみても誤用だよなあ。


 ← 自民党は下野しろ!と思った方は、1クリック!






お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  Nov 2, 2007 09:53:05 AM
コメント(2) | コメントを書く



© Rakuten Group, Inc.
X