000000 ランダム
 HOME | DIARY | PROFILE 【フォローする】 【ログイン】

書評日記  パペッティア通信

PR

全47件 (47件中 1-10件目)

1 2 3 4 5 >

経済

Mar 12, 2008
XML
テーマ:ニュース(86740)
カテゴリ:経済
20080311-00000638-reu-bus_all-view-000.jpg


▼   いやあ、民主党がやってくれました。民主党が日銀総裁人事を否定してくださいました。 選挙で1票入れた価値がありました。 メデタイ、メデタイ。 


▼   いろんな番組見たけれど、所詮、金融市場を知らない与党議員が、日銀総裁人事が通らねば、日本経済が破滅に向かう!!!!と、自民党お得意の「死ぬ死ぬ詐欺」 をやっていただけだった。 知らないなら出てくんなよ、テレビに。


▼   「知らない奴」は、たいてい、「抽象的」な議論(武藤氏は経験がある!!!)と専門用語の羅列(サブプライム云々)に逃げ込んでしまう。 ブログをご覧の皆さんが、詭弁を判定したい際、気をつけてほしい。


▼   今回の自民党の敗因は、メディアではまったく言われていないが、明らかに、白川方明氏を副総裁にしてしまったこと、にある。 


▼   金融市場を知らない人のため解説しておくと、サブプライムなど、どんなに珍奇な専門タームが並べられても、金融危機がおこるのは、たった一つの理由しかない。 「流動性(≒貨幣)の供給不足」 これだけ。 そして中央銀行のやれる対策も、「流動性の無制限供給」。 実際、これだけのことしか、日銀はやれないんだよ。


▼   そして、日銀実務の観点からみれば、この流動性の供給をどのように行うかが、腕の見せ所なんだ。 経験と判断力が問われる。 無制限供給は、モラルハザードなどがあるため、政治的に問題になりやすい。 だから、基準が必要になる。 「基準」をどう設定するか。 そして「経路」をどうするか。 そして、実施するための「政治力」が欠かせない。


▼   日銀は、短期金融市場(コール)と長期金融市場(債権)を通して、各種実物市場に潤沢に資金を供給しているのだが、「不動産」「商品」「株式」「金融商品」「外国為替」……のどのルートに資金が流れるかは、かなり、「中央銀行総裁の腕次第」の側面が強い。 総裁も、市場との対話や、しばしば強権的な運営によって、資金誘導をおこなう。 


▼   バブル期、日銀と自民党政権は、不動産に総量規制を実施して、壊滅的な日本経済の破滅をもたらした。 グリーンスパンが天才的だったのは、金融危機がくるたびごとに、的確に資金を供給するだけでなく、次々とミニバブルを作って破綻を先送りさせたことにある。 今では、化けの皮がはがれてしまったが。 


▼   伊吹文明「死人に口なし」幹事長が言うような、たった5年の副総裁在任中に、武藤が「手腕」を習得できるはずがないだろう。 伊吹の言う通りなら、入行6年以降の、30歳代の日銀職員は、みんな、日銀総裁有資格者じゃないか(爆笑)。 実際は、全部、福井と日銀出身理事たちが、やっていたのである。 武藤は、政治家たちの根回しをしていたにすぎない。 そして、白川副総裁を選定した時点で、そのカラクリは、見る人がみれば、あきらかであった。 よくも、こんな珍妙な人事を選定したもんだ。 たぶん、政府自民党は、武藤本人に金融政策のカジ取りを任せるのが、よほど心配だったんだろうよ。


▼   結局、武藤が日銀総裁になっても、実務を仕切るのは白川副総裁、と云うのがミエミエのこの人事。 所詮、白川路線のチェック役の伊藤隆敏以上に、何のため武藤が必要なのか、さっぱり分からなかった。 大蔵省をバックにした政治力? 政府への用心棒役か? 所詮、御用エコノミストたちがどんなに武藤総裁賛成を述べようと、武藤総裁人事が不同意にされて、白川副総裁だけ同意されるのは、あまりにも明らかだったのだ。 個人的には、伊藤副総裁の人事には賛成だったから、武藤の巻き添えを喰ったのは残念だけど。 


▼   日銀総裁代行は、白川が就任するだろう。 たとえ武藤が総裁になっても、仕切るのは白川なんだから、実質的には何もかわらない。 武藤という余分な重しがない分、自由に手腕がふるえるというものである。 むしろ、どうして、「統制される側」に属する市中金融機関出身者が、総裁・副総裁候補の3人の中にいないのか? こちらの方では、厳しく批判する記事がまったく出ていなかった。 大変疑問な論調である。


▼   今回は、朝日・毎日を含めて、主要全国紙の社説ほとんどが、政治部記者執筆による「武藤総裁容認論」をわめきたて、政府自民党との癒着ぶりを鮮明にしていた。 日経をのそけば、まともな経済方面からの論評は、皆無だったといってよい。 全国紙の編集委員こそ、反省しなければならない。 


▼   政府自民党は、無駄なことはやめて、さっさと別の人間を日銀総裁にすえるべきだ。


 ← 自民党は下野しろ!と思った方は、1クリック!







Last updated  Mar 12, 2008 02:04:24 PM
コメント(1) | コメントを書く


Sep 18, 2007
カテゴリ:経済
31c0-9a0r9L__SS500_.jpg


▼     良著。 面白い。 お勧めである。


▼     空前の好景気で金余りの日本。 バブルの傾向さえみられる。 世界の富の4割は、わずか1%の人間が持っているらしい。 ところが、地域社会での医療・介護・福祉活動、環境保全、地球にやさしいエネルギーの開発 ……… そんな「非営利活動」や「公益性」の高い分野には、国・自治体の財政の厳しさもあって、全然お金が回ってこない。 非営利活動へ資金供給はおこなわなくていいのか。


▼     本書でとりあげられる、「非営利」「公益性」領域への資金供給を目指す人々たちは、実に多様である。 「エコバンク」「女性バンク」「グラミンバンク」「(坂本龍一の)APバンク」といった独立系「NPO」もあれば、地方政府と密着してNPOに資金を貸し出す「NPOバンク」もある、というように。 どれもこれも、自然エネ、環境、省エネをかかげているように思われるかもしれないが、実はそうでもない。 岩手信用生協は、「多重債務者保護」をかかげるが、かれらが編みだした方法がまた面白い。 地方政府は、預託金を銀行に入れ、その2倍の金額を信用生協に貸し付けさせる。 さらに信用生協は、自己資本とあわせて多重債務者にその倍額の貸し付けをおこない、多重債務者の債務整理をおこなう。 この方法は、全国に波及。 なかなか面白いでしょ?


▼     それだけではない。 「市民ファンド」という形式も出現しているという。 自然エネルギーの建設、地産地消の推進、ベンチャー企業・若者企業の育成をはかる、市民ファンドが続々と誕生。 団塊世代の退職金などの資産が、流れこんでいるらしい。 また、日本だけではない。 アメリカとイギリスの金融NPOの活躍も丁寧に描かれていてあきない。 「地域再投資法」と「地域開発金融機関」の設置によって、営利金融と非営利金融を財政資金をくみあわせながら循環させている、という。 また、凄いものになると、金融NPOがそのまま「コミュニティ・バンク」になっている事例もあるのだとか。 アメリカのコミュニティ・バンクは、低所得者向け住宅ローン(サブプライムローン)の破綻を受けても、大手銀行とちがい、ほとんど影響を受けていなかったらしいから驚かされる。 


▼     そして、日本政府は、あいかわらず、こうした活動への理解が足りないようだ。 NPOは、当初、便法として「貸金業」で登録していた。 ところが、貸金業法改正のとき、「高利貸がNPOを隠れ蓑にするかもしれない」という理由で、あやうく登録要件の強化・厳格化をくらいそうになったらしい。 また金融商品取引法改正では、監査義務付けを食らいそうになったので、「無配当」を理由に難を逃れた。 しかし、法律で無配当を強制するようなことは、他の国では見られない。 そのため、組合員に配当を実施しているカトリックの共助組合などは、つぶれる寸前だという。 非営利金融の活躍を広げるためには、NPO方式よりもNPC化(非営利株式会社)の方が良いので、模索しているNPOもあるのだという。


▼     なにより本書で驚かされるのは、「医療はお金が来ない分野」ということだろうか。 非営利性をもち規模も小さい。 おまけに、不定期で巨額な金がいるため、銀行は金を貸したがらないらしい。 そのような状況下、病院経営の透明性・公開性の向上、地域医療における患者と医者の連携強化まで考慮にいれつつ、「医療機関債」発行のためのスキームづくりのお話は、かなり感銘をうけるのではないか。 また、日本企業は意外と寄付をしており、(寄付優遇税制・支援組織がないこともあって)日本にないのは「個人が寄付する文化」である、というのも、意外感を持つ人が多かろう。  しばしば讃えられるが英米の金融NPOだが、金利の上限規制がないため、かなり金利が高いことも、盲点といってよいかもしれない。 成果をとわない釣銭型寄付から、寄付者に「達成感」を味あわせる「社会変革型寄付社会」になる可能性を指摘されると、ワクワクさせられる。   

▼     でもさあ。 アメリカで金融NPOが大量に存在していたのは、要は人種や移民問題や社会的流動性の高さなどが絡んで、「情報の非対称」性が強い社会だったからでしょ。 日本における金融NPO「設立機運の盛り上がり」は、格差社会によってモニタリングコストが高くなったということであって、あまり喜べるような話ではないのではなかろうか??。 なに? 前々からそんな非対称性があったのであって、近年モニタリングコストが高まったのではないって??  でも、そうだとするなら、非対称性を緩和することができる「何か」が、日本にはあったということになるよね。 それは一体、何だったんだろう。 それは、頼母子講からにしてもそうだけど、「共同性」ではないのか。 


▼     そうやって、本書『金融NPO』をながめてみると、事例のほとんどが「共同性の再建」話であって、いささか食傷気味になってしまう。 成功の秘訣は、「相互扶助と信頼」「借りたら返す」「人をみて貸す」だそうだから、なおさらであろう。 今も昔も、「共同性」によって、モニタリングコストを減らしていただけ。 頼母子講は、断じて「非営利金融」なわけではない。この辺の理論的アプローチの欠乏は、不信感がのこる。 


▼     さらにいえば、「共同性の再建」以外の「成功のための方策」も、さして珍しいものではない。 「長期」にわたる安定的出資者がいれば、銀行のように流動性維持に四苦八苦する必要はない。 とくに、アメリカの地域開発金融機関や「コミュニティバンク」の成功は、「資産・負債の双方が長期だから」で、ほとんど説明できるのではないか。 NPOの成功は、手品でもなんでもない。 とくに後者の負債面。 負債が「出資」という形式をとれば、銀行のように「要求払預金」を負債にしない分、簡単に引きあげられることはない。 低利長期の投資もヘッチャラである。 サブプライムローンでなぜコミュニティバンクは損害が少なかったのか? 銀行経営の鉄則を理解していれば、別に不思議でもなんでもない。 


▼     とはいえ、たいへんおもしろかったのは確か。 胎動する新しい動きを理解するためにも、一読をお勧めしておきたい。


評価: ★★★
価格: ¥ 819 (税込)


 ← 応援のための1クリックをお願いします


 






Last updated  Sep 19, 2007 12:44:26 PM
コメント(1) | コメントを書く
Aug 29, 2007
カテゴリ:経済
51uX%2Bae53PL__SS500_.jpg


(この日記は前編からの続きですので、こちらからお読みください)


▼     あとは、一瀉千里であった。 「竹槍では間に合わぬ、航空機だ」と書いただけで、東条英機から懲罰徴兵を食らわされそうになった、毎日新聞記者・新名丈夫(懲罰徴兵ではないという建前のため、新名記者と一緒に丸亀連隊に徴兵された250名は、全員、あの硫黄島で玉砕させられてしまう)。 用紙不足。 新聞共同印刷。 「一億玉砕」を叫ぶ朝日の記事には、 『軍神』を読んだ後では、むしろ、悲しみさえ伝わってくる。 米内・小磯の間をとりもち、小磯内閣を誕生させた緒方は、国務相・情報局総裁の就任を断ることができなかった。 座右の銘が「一生一業」であった緒方は、ここに政治家の道、否、A級戦犯への道をあゆむ。 情報局なのに、軍部から情報が入ってこない。 なんと、マスコミ関係者は、短波放送の違法聴取で海外戦況情報を収集していたらしい。 なにより、せっかく検閲の緩和をはかって、統制組織の解散をしたというのに、逆に記者の方から、「どの程度記事にしたら良いかわからない」という苦情が出た(本書289頁)ことくらい、皮肉な話はあるまい。 検閲・内面指導といった「編集面」のみならず、「経営面」の統制強化は、かくも記者の精神を蝕んだのである。


▼     かくて本書は、GHQでさえ、この戦時体制を解体することができていない、戦時体制は今もなお継続している、と締めくくられる。 「民主化」と新興紙の育成は、冷戦の進行とともに挫折してしまう。 レッドパージによって、新聞は右旋回した。 社外への株式譲渡禁止措置は、戦後も商法特例法によって継続された。 それだけではない。 共販制度終了による専売化は、過当競争を生みかねない。 過当競争を防止せよ!!!という観点から、再販制度が導入されたという。 全国紙と地方紙の棲み分けが固まり、それぞれテレビ局を系列下におく体制も固まった。 もはや、「棲み分け」「既得権」によって権力に飼い馴らされてしまい、「一大敵国」の象徴として「筆政」を冠せられ、権力や資本に対峙する気概を持った存在は、どこにも存在していない。 一大敵国をやめたとき、「筆政」は終わってしまうのか。 ジャーナリズムへの警鐘を鳴らして、本書は終わっている。 


▼     なによりも、戦前のメディア事情がわかってたいへん楽しい。 用紙統制の影響もさることながら、満州事変とは違い太平洋戦争では、ラジオの普及によって速報性を奪われてしまい、号外がほとんど配られなかったという。 1941年12月には、新聞共同販売組合が結成。 ここに、言論統制とは引き換えに新聞社間の拡販競争はおわってしまう。 もはや、「販売の神様」務台光雄は用済。 正力松太郎は、読売から彼を追い払った。 とはいえ、それ以前、1920~30年代の東京では、読売が販売店主自営方式、毎日は直営店方式、朝日は「軍隊式」拡張販売店方式と、それぞれが特色のある拡販方式を採用していたらしい。  


▼     内務省・警察をバックにしてセンセーショナルな紙面と景品で拡張、「新聞報知」を吸収した読売。 「一県一紙」の結果、誕生した地方紙・ブロック紙。 「戦時統制」最大の受益者が読売新聞と地方・ブロック紙であることは、共販体制を利用して1945年4月から実施された「持分合同」によって、中央紙が地方から全面撤退する寡占化が達成されたこと、読売報知新聞が東京管区内NO1の地位に就いたことに表れていて、たいへん興味深い。 なにより驚いたのが、わが国で最初に民間定期航空事業を始めたのは、朝日新聞であること。 村山社主家と美土路昌一の夢であった航空事業は、戦前、日航に吸収されてしまう。 夢よ、もう一度。 彼らの夢の結実こそ、戦後の「全日空」(初代社長は美土路)であったことは、まったく知らなかった(朝日は全日空の株式を所有している)。 朝日新聞は、飛行機をつかい、蒋介石との和平工作もやっていたという。  
 


▼     また、新聞界のテレビ支配の淵源がわかって、たいへんおもしろい。 軍の報道検閲と統制は、新聞に直接向けられるだけではない。 ほかにも、「国策に寄与」させるための通信社「同盟通信(共同と時事の前身)」の設立という、「絡め手」を介しても行われていた、という。 単一のナショナル通信社の創設は、APやUPI、ロイターといった、外国通信社と張りあうためには必要かもしれないが、地方新聞社や「編集の自由」を重視する人々にとってはたまらない。 国策通信社によるニュース配信は、新聞を「通信社の下請け化」させかねないためでである。 ところが中央紙、とくに緒方竹虎などは、官庁発表記事などの「玄関ダネ」は通信社に任せればよい、新聞は解説記事を重視すればいいのだ、として、「同盟通信社」設立を推し進めた、という。 なぜか。 ラジオでニュースを速報されては、新聞の営業が立ち行かない。 そこで、通信社を1社つくって新聞界がそれを抑えこみ、通信社がラジオを抑えこむことで、新聞界がラジオを統制しようとしたのだという。 むろん、そんな野望はたちまち潰えてしまうのだが。 また「社団法人新聞社」制度こそ、外部から掣肘をうけない、独裁的権力を経営者に付与することになったこと。 記者登録と記者処分権限を柱とする「記者クラブ」制度は、1941年から始まったこと、などは、たいへん面白い指摘であるだろう。 


▼     とにかく、「朝日新聞・筆政・緒方竹虎」という、「問題の立て方の勝利」と言っても過言ではないだろう。 他紙ではそうはいかない。 戦争にどんどん協力した新聞社だから、どこにも「権力」との間に緊張関係がないためである。 社長・会長として経営権を掌握していた、大阪毎日の高石、読売の正力松太郎の伝記を描こうとしても、ただの「権力確立物語」、軍国主義への協力物語、ジャーナリズム精神「売り渡し物語」になってしまいかねない。 欲ボケ権力ジジイの物語など、だれも読みたくはないだろう。 一方、逆に筋金入りのリベラリスト、桐生悠々や石橋湛山などでは、今度は「反戦を貫いたぞ、立派だろう!」、という礼賛話になるしかない。 しかも、「獄中18年」「獄中12年」(徳田球一・宮本顕治)に比べると、徹底性が足りない。 どちらを描くにしても、ショボイ話になりがちだ。 それに比べると、緒方竹虎はちがう。 社長でもなければ、会長でもない(「筆政」期間内は、副社長でもない)。 むろん、軍部や戦争には、反対であった。 だから、権力と資本から、凄まじい圧力を腹背に受けざるをえない。 そのような中で、記者としてはむしろ凡庸な感じすら受ける緒方竹虎が、 「主筆」「筆政」として朝日新聞の舵をにぎり続けることができた「力学」が、ある程度まで丁寧に解明されていて、大変素晴らしい。 


▼     あえて、瑕疵をあげるとすれば、「昭和史」といいながら、戦後が描かれていないことではないだろうか。 これは、権力と対立する「一大敵国」にあって、資本とも対立するゆえに、「筆政」なる地位が必要となったという論の妥当性を検証する上で、欠かせない手続きであろう。 現在、朝日新聞は、村山家ともめる一方、安倍内閣の「一大敵国」であることは周知の事実。 また、朝日新聞は、少なくともタカ派の自民党政権とは、対峙し続けてきた。 ならば、「筆政」的存在とは、つねに朝日新聞には必要であり続けたのではないか。 1963年の村山事件以降、朝日新聞から社主家が追放され、1967年からは、広岡知男社長が就任することになった。 このとき、同時に「主筆」も復活している。 つまり、緒方竹虎的存在は、ありふれたものなのではないのか。 どうしても、このような疑念は、ぬぐうことができない。


▼     とはいえ、力作の本書。 残暑の厳しい中でも、読むに耐える、必見の一冊といえるだろう。




評価: ★★★★
価格: ¥ 1,470 (税込)



 ←このブログを応援してくれる方は、クリックして頂ければ幸いです 







Last updated  Aug 29, 2007 02:48:48 PM
コメント(0) | コメントを書く
Aug 26, 2007
カテゴリ:経済
51uX%2Bae53PL__SS500_.jpg


▼     近年、戦前メディア史研究は、面白いものがずいぶん多い。 依然として、他人事のように「朝日新聞こそ戦争を扇動しただろ」という批判に終始し、「それでお前は、当時にあっても今にあっても、戦争に協力しないんだな?」といいたくなるような本もあるが、これは明らかに違う。 朝日新聞主筆にして、戦後、自由党総裁にのぼりつめた、リベラリスト緒方竹虎に着目。 くわえて、新聞の下半身である「広告」「経営」から、当時の朝日新聞にせまる、たいへん興味深い作品なのである。 


▼     大阪系「小新聞」として出発した朝日新聞。 関東大震災以後、大阪朝日の子会社、東京朝日新聞は、毎日新聞(=東京日日新聞)とともに、東京系新聞の窮状を尻目に、大資本を武器として飛躍的な発展をとげることになる。 東京系で全国紙として生き残ったのは、わずかに正力松太郎が買収した読売新聞だけであった。 だが、毎日新聞とならんで最強のメディアに成長していた朝日新聞は、1918年の「白虹事件」以降、「皇室ダブー」「暴力」に弱いことをさらけだしていた。 これら皇室と右翼の圧力に対峙するため、スローガン「不偏不党」を打ち出したことで、かえって戦時下になると、政府への「戦争協力」が断れなくなってしまったという。 資本(村山)、経営(緒方)、権力(軍・右翼)の3つ巴の暗闘として描かれる、戦前の朝日新聞裏面史。 これが面白くないはずがあるまい。


▼     「白虹事件」により権力から加えられた大打撃。 東西の朝日新聞をあわせると、部数は100万をこえていた。 もはや、名物主筆記者(池辺三山・鳥居素川)の論説を読ませるだけではすまない。 専門記者集団を統括するとともに、読者100万のニーズに応える経営センスをもった、論説と経営に精通した新聞人が必要となってくる。 ここに、「経営の論理」を体現する社長と、「言論の自由」を体現する論説委員の中にあって、前者の枠組の中で後者を保障し指導する体制=「筆政」なる仕事がクローズアップされてくる。 その任にあたったのが「主筆」。 最近、朝日で復活した同名の「主筆」(船橋洋一が就任)とは訳がちがう。 畏友・中野正剛の引きで朝日入社した緒方竹虎は、前門の軍・右翼、後門の社主家村山一族(=資本)の圧力をうけながら、1923年から20年間、東京朝日を振り出しとして、やがて全朝日の経営を掌握し、両者に立ち向かうことになる。


▼     その間の朝日新聞史は、たいへんに面白い。 1920年代、「軍縮」「普選」推進の大論陣を張った、大阪朝日新聞社。 大阪朝日は、「反権力」「反中央」がバックボーンだった。 そのため、権力から離れた地点から「正論」を語ることを旨としていた、という。 それに対して、「大正」の元号をスクープしたことで知られる緒方竹虎や東京朝日は、権力の中枢への綿密な取材体制を組み情報を入手しながら、軍・右翼の圧力から身を守ろうとした。 そのため、陸軍中央と密接な連絡があり、軍にシンパシーを持つものもいたという。 くわえて、1931年7月までには、大阪毎日主筆・高石真五郎ならびに大毎は、満州での武力行使に賛同していた。 大阪朝日とその主筆・高原操は、満州事変以降、軍部支持に社論を転換させたことで悪名が高い。 しかし、この大阪朝日の変節は、すでに満州事変以前に、東京朝日が路線転換をおこない、大阪朝日が「孤立無援」の状況におかれたことが大きい、という。 「反軍」の牙城、大阪朝日の整理部は、東京朝日から出向してきた原田譲二に粛清された。 ナベツネに粛清された、読売新聞社会部を思い起こさせるドラマだ。


▼     とはいえ、緒方竹虎によって、朝日新聞の論調が変わったというと、必ずしもそうではないようだ。 「2・26事件」時、緒方竹虎が青年将校の前に「仁王立ち」したことによって、東京朝日は、ミズーリ大学の選定する「新聞功労賞」を受賞する。 そんな緒方の理想は、じっくりと取材対象との対人関係を積み上げる、解説記事を中心とした、硬派な新聞づくり。 ところが、営業やセンセーショナリズムを売る社会部方面からは、評判が悪かったらしい。 「売れるネタがあるのになぜ書かない?」と。 緒方は、1936年3月1日の社説に、「2・26」事件の軍を批判して「立憲主義」を唱えたものを書いたのに、軍・内務省に媚を売る連中に、無断で書き直されてしまったことさえあったという。 今の新聞ジャーナリズムにもいえる、自由主義的な傾向の後退と、官僚的統制主義の蔓延。 官界に深いつながりをもつエース的な論説委員さえ、逼塞する空気もあってつぎつぎと退社。 社会部からは、「新聞は商品だから、発禁にならないような社説をかけ」とねじ込まれる。 「主張のための新聞は、大きすぎると無理だ。週刊誌でなければ」という緒方竹虎の慨歎・「苦悩」は、大組織固有の分裂をみれば、あながち理解できなくはない。    


▼     もはや、新聞では、軍の政治攻勢を防げない。 緒方は、軍部を抑えるため、広田内閣支持の論陣を張るが失敗。 新聞の限界を感じた緒方は、広田・米内のラインから政府に発言の場を確保することで、戦争を防ごうとした。 緒方は、1936年以降、政府関係の要職を兼務しはじめる。 とはいえ、その転換の無残さは「朝日新聞こそ日本精神に徹した最高の新聞」「朝日新聞を売ることは、国家への忠誠、『新聞報国』への道であり『朝日精神』の発揮である」(本書164頁)の販促スローガンに表れているといわざるをえない。 日中戦争では、官報よりも早い戦死者公報を地方版で出すことによって、朝日新聞は大幅に部数をのばしたという。 また、緒方の政界進出は、社主家・村山長挙社長の嫉妬・反発をまねく。 また、太平洋戦争に突入すると、朝日新聞は、スパイゾルゲ事件で尾崎秀実という逮捕者を出していた。 くわえて緒方は、重臣・官僚・議会に対して「反東条」の倒閣工作をおこなって自刃させられた、刎頚の友・中野正剛の葬儀委員長さえつとめた。    


▼     緒方竹虎は、「権力と資本の調整役」の位置に立つことによって、社主家を上回る力を握ることができた。 政権と反目していては、経営にとって有害、とならざるをえない。 権力に弾圧されると、朝日では常に呼応する勢力が現れる。 この時は、軟派(社会部)と大坂方を中心とした「反緒方」勢力。 政府は、全新聞社を一社に統合する計画に失敗したものの、新聞統制強化をあきらめない。 「特権」をエサにして、新聞社の「社団法人化」を進めた。 その動きに抵抗したものの粉砕された都新聞(東京新聞の前身)は、社団法人化と統制下における「夕刊専門紙」化によって、かえって東京圏の一大新聞社にのし上がったらしい。 緒方は、村山・上野社主家の株式譲渡問題と、キャッシュフローの関係から、「社団法人化」は難しいと判断。 緒方は、「新聞の公器性」から「資本と経営の分離」をせまり「社団法人化」をもとめる政府に抵抗しながら、社主家の経営介入を防ごうと、社外株式の排除・大株主の議決制限・株主配当制限の実施をおこなった。 ここで、村山社長派と反緒方派が提携。 1943年12月26日、緒方は「筆政」の地位から更迭されてしまう。 「ただ勝つために新聞を作ってゆく」(本書、266頁)所存という、村山長挙朝日新聞社長の反緒方クーデター・新体制発足の直後の挨拶には、暗澹たる気持ちを抱かないものはあるまい。

(後編はこちらあたりになる予定です。応援をよろしくお願いします)
 

評価: ★★★★
価格: ¥ 1,470 (税込)



 ←このブログを応援してくれる方は、クリックして頂ければ幸いです 







Last updated  Aug 29, 2007 12:04:08 PM
コメント(0) | コメントを書く
Jun 27, 2007
カテゴリ:経済
51%2BN6xYxuxL._SS500_

▼     本当に素晴らしい。 面白い、小気味よい、痛快、と3拍子揃った書物が刊行された。 現代中国の専門家、矢吹晋氏(横浜市立大学教授)の書評を一冊にまとめたもの。 愚にも付かない中国モノが書店に氾濫する惨状に、頭を痛めている人たちには、待ちに待った書物といって良い。 クズ本が一刀両断されている。 


▼     なんといっても、冒頭から圧巻!!!!  ユン・チアン『マオ 誰も知らなかった毛沢東』は、けちょんけちょん。 「稀代の悪書」扱い。 コミンテルン史観だの、三文小説だの、旧ソ連アーカイブを強調する虚仮威しは笑止千万だの、悪罵が凄まじい。 そりゃあ、中国共産党設立を1920年とすることで、露骨に毛沢東の権威を引きずり下ろそうとしているのが見え見え。 判断を示さず逃げを打った書評をかいた、国分良成(慶応大)・加藤千洋(朝日新聞)・天児慧(早稲田大)などは、研究者失格を宣言していて、痛快である。 「神格化」を否定するあまり「悪魔化」するのは、悲劇の克服にはならない!!は、我々の胸を打たずにはいられまい。


▼     ロバート・クーン『中国を変えた男 江沢民』の紹介も素晴らしい。 江沢民がわざわざクーンに書かせた江沢民の伝記。 饅頭本(葬式のとき配られる本)の類であるが、それなりに使い道があるという。 社会主義諸国の崩壊という危機をのりこえるため、台湾海峡をめぐる疑似緊張状態と反日愛国ナショナリズムの煽動と法輪講弾圧による「安定団結」を旗印にかかげた江沢民政権。 その苛烈な「反日」言動の裏には、本来なら「漢奸的人物の息子」という「成分」のはずの江沢民が、不自然に「革命烈士」の人物の養子に「書き換え」られていることにあるのではないか、と推測する。


▼     その反面、報告文学「人と妖のあいだ」で共産党を告発した劉雁宝編『天安門よ、世界に語れ』(社会思想社)や、『天安門文書』については、評価がたかい。 当時の中国の政治グループは三派に分かれていたという。 胡耀邦らの「民主的改革派のグループ」は、「陳雲―胡喬木―トウ(登+こざと偏)力群」の保守派グループに虐められたらしい。 趙紫陽は、「専制政治と自由主義経済」を結合させることを主張していたグループであって、胡耀邦ラインではないという。 トウ小平はこの三派のバランスを保ちながら、政治を仕切っていた。 趙紫陽は怜悧な官僚であり、これが彼が「中国のゴルバチョフ」となれなかった一因であるらしい。 一方、話題になった『天安門文書』とは、李鵬と趙紫陽、天安門事件直前、2つの指導部ができており、そのあとで後者が前者に潰された際、趙紫陽側の文書が流出して、それを編纂したものである、という。 かなりの文書が、とっくに『チャイナ・クライシス』(矢吹晋編)でも収録されているぞ!と宣伝する姿は面白い。  


▼     また、『中国農村崩壊』『中国農民調査』や小説などの書評を通して、現代中国の諸問題を摘出する手腕も冴えている。 2006年9月の上海閥討伐によって、党内を掌握できた胡錦涛のかかえる最大の課題は、「農村は貧しい 農民は苦しい 農業は危うい」で知られる「三農問題」。 農村部では、10年で役人が3倍に増えた所もあるという。 幹部たちは、改革開放を換骨奪胎して身内を登用して私腹を肥やして高利貸をやり、徒党を組んでいる。 それだけなら救いがある。 かつての幹部の不正を告発した人物が、横領事件で訴えられたりするだけでなく、なによりも、汚職と戦うことを決断した若手市長が、腐敗幹部たちの資金流用と上級幹部への賄賂によって、自分が市長に抜擢されたパラドクス ―――― 構造汚職となっているのである。 中国の闇は深い。 


▼     他にも、台湾論から中国経済論まで、実に幅広い。 むろん、筆者は、独自の観点で論じていく。 藍博洲『幌馬車之歌』と侯考賢『非情城市』の関係の検討。 とくに、今では、常識なはずなのに、忘れられがちになっている台湾論がいい。 「台湾独立の可能性は消えた」が「台湾統一の条件は整っていない」ため、大陸と台湾は現状維持しか採れない。 現在の社会主義市場経済の「社会主義」は、枕言葉にしかなっていない。 読むべき本としては、津上俊哉 『中国台頭 日本は何をなすべきか』(日本経済新聞)や、今や都市が農村に恩返しする時代と喝破している白石和良『農業・農村から見る中国現代事情』(家の光協会)があげられている。 また、大西義久氏の著作(『円と人民元』他)に対しても、著者が高い評価をあたえている。 こちらの評価とも一致していて、たいへん喜ばしい。


▼     では、どのような本がクズなのか。 そして、読んではいけないのか。 ベンジャミン・ヤン著・加藤千洋訳『トウ小平 政治的伝記』(朝日新聞社)や、宮崎正弘『本当は中国で何がおこっているのか』(文藝春秋)だという。 さらに、誰を信じてはいけないのか。 どうやら、筆者の物言いをみていくと、信じてはいけない学者・ジャーナリストは、宮崎正弘と中嶋嶺男、長谷川慶太郎に加藤千洋たちのようである。 こいつらは、「人民元大暴落」を言い立てていながら、数年もたたないうちに「中国バブル」を言い立て、中国分裂論を鼓吹しておきながらいつの間にかなかったことに。 オオカミ中年とは言いえて妙、というかオオカミ老年まで交じっている。 また、国分良成、天児慧も要注意みたい。 これでは、有名所の中国学者は全滅じゃないか。 いったい誰を信じれば良いんだろう(泣)。


▼     とにかく、本書を評するとすれば、大変勉強になりました、の一言ではないだろうか。 事実をもとに論じることの大切さを痛感させられること疑いない。


▼     1956年、第八回党大会までは、集団指導体制がとられ、毛沢東の独裁というものはなかったらしい。 朱鎔基(湖南省長沙)は清華大学左翼学生リーダーでありながら、右派分子として追放。 87年には序列400番台だった男が、91年副首相。 剛直・剛毅・廉直のため、賄賂を送るものがいない。 「100個の棺桶を準備せよ」「連れだって地獄へ行く」と朱鎔基が啖呵をきった下りは、ぜひ確認して欲しいほどの勇ましさだ。 なんと、朱鎔基の祖先の墓には、爆薬が仕掛けられたことがあるらしい。 すさまじい抵抗をなぎ倒す姿は、感動させられてしまう。 また、毛沢東が『楚辞集註』を田中角栄に送ったのは、誠心誠意謝罪しようとしたのに「迷惑」という言葉を使い、こじらせたことに対して、「迷惑」の典故的書物にあたるから送ったのではないのか、という解釈が示される。 田中角栄の誠心誠意の謝罪も、毛沢東の受け入れも、双方にとって都合が悪いので忘れ去られ、万感の意がこめられた「迷惑」は死んだという。 残念な話である。 


▼     むろん、読書系サイトで、書評の本を採りあげるのは、反則のような気がしないではない。 とはいえ、これほどまでに現代中国に対する充実した書評集は珍しい。 まっとうな、現代中国に関する「常識」が凝集しているからである。 常識を知って異端的言説を述べないかぎり、ただのトンデモに堕してしまう。 ただ、激辛なだけに、ときどき、本当かな?という論理運びも見られることもある。 「迷い、惑わす」が原義の「迷惑」が現在の意味に変化したのは、武士の台頭とその決断主義を支える禅宗の流行に由来するとは、ホントのことなのだろうか。 ちょっと出来すぎた話のように思えないでもない。 


▼     とはいえ、これくらい素晴らしい本は、こと中国モノに関しては珍しい。 貴方の中国認識は、どの程度正しいものか。 ぜひ一度、この本でテストしてみてはいかがだろう。 図書館なり、本屋にいって、ぜひとも購入ないし購読していただきたい本である。


評価: ★★★★
価格: ¥ 1,575  (税込)

 ←このブログを応援してくれる方は、クリックして頂ければ幸いです 







Last updated  Sep 2, 2007 02:20:55 PM
コメント(1) | コメントを書く
Apr 24, 2007
カテゴリ:経済
41EW2qFafGL._SS500_


▼   ヨーロッパ鉄道旅行を通した素晴らしい歴史物語の書である。 ゴールデンウィークのご旅行の際、伴侶とされてはいかがだろうか。


▼   1883年10月4日、開業したオリエント急行。 弱小国ベルギーの若者、ナゲルマケールスは、「国際寝台車会社」を創設して、細切れ状態にある鉄道会社と個別交渉の末、運行させたもの。 オリエント急行は、ヨーロッパで例のない、画期的な、豪華列車で国際列車だったらしい。 個人主義ヨーロッパにふさわしい、「コンパートメント(個室寝台)」というものを発明したのも、実はオリエント急行だという。 「へー」ではないか。 



▼   なによりも、「19世紀ヨーロッパ」の薫りがただよっているのが喜ばしい。 


▼   オーストリア・ハンガリー帝国

    かの国の鉄道を作ったのは、当初、ロスチャイルド家だったという。 「エルサレム王」なる称号までもつ皇帝、フランツ・ヨーゼフ2世以外、時間をまもるものはいない都市、ウィーン。 オスマントルコが廃棄していったコーヒー豆の袋から始まる、コーヒーハウスの喧噪。 オスマン軍楽隊から始まるクラシック音楽。 ドイツ色の強い王城ブダと、マジャール色の強い商都ペスト。  ハンガリーは、ルーマニアに次いでロマ族が多く、ジプシー音楽がハンガリー情緒とされていた。 オーストリアから独立を企てたコシュート・ラヨシュの墓参にわざわざ出かけた、日本史研究者・黒板勝美の逸話も面白い。 ハンガリー平原は、大地主支配の水不足に苦しむ褐色の平原だったようだ。


▼   ルーマニア王国

    オリエント急行開通直前、1881年に王制に移行したばかりの国家だったという。 もともとオスマン時代は、自治が認められていたので、黒海沿岸のドブルジャを除けば、あまりトルコ人がいなかった。 むしろ、ファナリオットと呼ばれたコンスタンチノープルのギリシャ人商人が経済を支配していたらしい。 そんな中、1859年、モルダヴィアとワラキアは、クザ公をいだき、同君連合として出発。 1861年、ルーマニア公国が誕生する。 急進的改革は、貴族層の反発を買い、66年、大公追放。 プロイセン王家から王様を連れてきて、ルーマニア語を話せない王様が、君臨していたのだとか。


▼   ブルガリア

    1883年、オリエント急行開通時には、「公国」としてオスマン朝主権の下、独立したばかり(露土戦争 1878年)だったらしい。 ブルガリア大公の息子は、「鉄っちゃん」趣味が昂じて、領土通過中は、オリエント急行の機関士として、急制動をかけまくり、列車をオモチャにしていたという。 ブルガリアは、ルーマニア同様、オスマン時代、ギリシャ人が牛耳っていた。 そのため、ブルガリア正教会を樹立することで、知識人達は精神的独立を図ったとされる。 本来、西欧近代の創作物にすぎない「古代ギリシャ・イデオロギー」に感染しローマの後裔から「ギリシャ人の末裔」と思いこみ始め独立運動をおこすギリシャ人の姿は、喜劇といってよいだろう。 バルカン半島を悩ますナショナリズムは、ギリシャから始まったのだから。


▼   オスマン・トルコ

    驚くなかれ。 開業時、イスタンブールまで列車は走っていなかった。 1888年までは、いったん、ブルガリアの港町ヴァルナに出て、そこから船でイスタンブールに行ったという。 イスタンブールは、オリエントの典型的都市ではない。 むしろ、ギリシャ人や西欧人のつどう、国際都市だった。 かつては、巨大な大帝国として、居住制限があるものの通商の自由が認められる、「キャピチュレーション勅令」で片務的特権を欧米人たちに与えたら、いつのまにやら主客逆転。 フランス人たちはイスタンブールのペラ大通りを闊歩。 フランスで印刷された、不正確なコーランが流布して問題になったこともあったという。 アブデュルハミトの専制政治ぶりがエリア・カザンの映画『アメリカ!アメリカ!』に描かれているとは、まったく知らなかった。 人種・民族ではなく、宗教を社会統合の道具としていたオスマン朝の姿は、非常に面白い。


▼   第1次大戦後になると、ヨーロッパは一変してしまう。 もはや王侯貴族はどこにもいない。 一般化したオリエント急行。 豪華サロンカーは過去のもの。 第1次大戦休戦協定調印の舞台は、オリエント急行を運行させていたワゴン・リー社の2419号客車であり、ヒトラーはこの屈辱を決して忘れなかった。 1940年、フランス征服の際、同じ車両で降伏文書署名をさせた挙句、連合国反攻の際、降伏文書調印車両として再々使用されることがないように、1944年、命令で破壊してしまったという。 第2次大戦後は、社会主義国の鉄のカーテンによって、検問の連続。 豪華な食事も提供できず、豪華列車としてのオリエント急行は1962年、定時列車としての「オリエント急行」は1977年に運休してしまう。 最晩年期は「難民列車」だったというから、悲しさもひとしおである。 


▼    西欧にとっては、エキゾチックな異国情緒をかきたてるオリエント急行も、オリエント側にあたる東欧にとっては、文明を運んでくる列車だった。 オリエント急行開業前までの汽車旅というものは、食堂車がなく、駅に長時間停車して、レストランに入って食事を取っていたらしい。 また「最後の授業」で知られるエルザス・ロートリンゲンは、ドイツ唯一の「帝国国有鉄道」が走っていたものの、ドイツに同化されることなく、第一次世界大戦を迎えたというのも、初めて聞く話である(たいてい、元々ドイツ語圏としか説明されないことが多い)。  ドイツでは、王国固有の鉄道会社が走り、ビスマルクは帝国国有化に失敗。 プロイセンとバイエルンの機関車速度競争は、子供じみていてなかなか楽しかった。 ルーマニアでは、ロマ族は1851年まで奴隷扱いされていたらしい。 ウィーンから先になると、オリエント急行でも、なかなか定時運行ができなかったという。


▼   逸話もふんだんに盛りこまれてたいへん興味深い。 オリエント急行開通時、その乗客は、ルーマニア王カロル1世の離宮に招待され、オスマン皇帝アブデュル・ハミトにまで謁見したという。 靴の先に接吻させるローマ法王と同様、オスマン皇帝は、接見時、ひれ伏させて衣服の裾に接吻させていたらしい。 森鴎外は、日本人として最初期の乗客の1人でありながら、劃期性をまるで理解していなかったらしい。 「列車の王者」たるオリエント急行を利用しないことには、王のステータスを保てないとばかりに、東欧の国王たちも利用すれば、あの伝説の女スパイ、マタ・ハリも利用していたという。 インドのマハラジャたちも利用して、異国趣味に花をそえる。 なお、開通当初は、手荷物車両を2両も連結していたという。 女性の荷物の多さは、日本に限ったことではない。 


▼   とっておきの逸話を紹介しておきたい。 創設者ナゲルマケールスは、オリエント急行をシベリアをこえて東京まで延伸させたかったらしいのだ。 なんとも、残念な話ではないか。 


▼   むろん、「オリエント急行」は、政治とも密接にかかわり、むしろ政治そのものになることもマレではない。 19世紀、鉄道は、支配を維持するため積極的に建設された………チベット・ラサへ向けた中国の鉄道建設を知る人たちにとってはおなじみの図式だろう。 「列車の王者」オリエント急行の運行をめぐって、対立しあう東中欧各国。 最初は、パリ~ウィーン~イスタンブールだったが、シンプロン・オリエント急行(ミラノ・ベオグラード経由)が登場。 第1次大戦後になると、オリエント急行が百花繚乱。 ロンドン~アテネなど様々なオリエント急行が毎週走っていたらしい。 ドイツは、フランスのオリエント支配を象徴するオリエント急行に我慢ならず、バグダット鉄道を建設し、「バルカン列車」なるものを第一次大戦中走らせたものの、敗戦で水の泡。


▼    1988年、日本全国をまわって、今では箱根に鎮座する、「オリエント急行」の客車。 日本だけではない。 今では、タイ~シンガポール、アメリカ、メキシコでは、「オリエント急行」の名を冠する列車が走っているという。 「命がけの通商」から、お気楽なツーリズムへの転換こそ、「オリエンタリズム」「異国趣味」を支えていた。 オリエント急行のみが喚起させる「異国情緒」「未知の世界への憧憬」こそ、『ラインゴルト』『ゴールデンアロー』など、他の単なる豪華列車とはちがい、オリエント急行を「ツーリズムのシンボル」「最高級豪華サービスを提供する不滅のブランド」にさせた原因であるという。 ツアーに行く前に、ぜひ読んでおきたい一冊ではないだろうか。 


▼   ただ、難点をいえば、これは誰に向けて書かれたのか、いまいち分かりかねることだろうか。 「オリエント急行史」「東欧社会史」「ツーリズムの発生史」としてなら、浅いとしか言いようがない。 観光ガイドなら逆に濃くて使えない。 どっちにしろ、散漫な印象をいだいてしまう。 日本人のアジア認識につきまといがちな「知の支配の一形態」=オリエンタリズムを糾弾するならともかく、ヨーロッパ人のアジア認識(=オリエンタリズム)について、日本語で批判的記述をすることに、何か意味があるのだろうか。  旅行先で突っ慳貪な対応を受けた場合、東アジア・東南アジア旅行なら激怒する日本人も、ヨーロッパ~イスラム旅行ぐらいだと、「これが外国旅行というものね」と、借りてきた猫のように大人しい。 元から理解できないイスラムや、精神的に隷属している欧米には、ヘイコラする日本人。 他人のことより、自分のこと、だと思うんだけどね。 オリエンタリズムの解説は、まったくされていないので、「ヨーロッパ人悪い、日本人はやっぱり素晴らしいのだな」と誤解されちゃうんじゃないか? 


▼   しかし、ヨーロッパ臭が好きな人にはたまらない一品でしょう。 だいたい、日本人の好きなヨーロッパって、大方、19世紀でしょうしね。 


▼   という訳でお薦めしておきます。  



評価: ★★★☆
価格: ¥ 903 (税込)

 ←このブログを応援してくれる方は、クリックして頂ければ幸いです 

 
 


4121018818.jpg






Last updated  Apr 24, 2007 10:53:54 PM
コメント(0) | コメントを書く
Feb 23, 2007
テーマ:ニュース(86740)
カテゴリ:経済





▼   こんなひどい教養番組になるとは、思わなかったわ。 


▼   むろん、『その時歴史が動いた  鉄は国家なり ~技術立国 日本のあけぼの~』のことよ。 本編見ながら、笑い転げた挙げ句、表情が凍り付いてしまったわ。 まさか、まさか。  まさか、こんな結末で、「歴史が動いた」ことにされてしまうなんて…  まったく予想だにしなかった。 さすが、NHK。 一昨日の予想をさらに上をいく、すさまじい番組。 よくも、これ、放映できたものね。 恥を知らないとはこのことだわ。



▼   日露戦争のとき、野呂景義が八幡製鉄所を再開させたお話は、まだ良かったわ。 高炉内の仕組は、とても分かりやすかった。 野呂が、きちんと高炉の設計上の問題と、コークスの弱さを指摘したことが描かれていたし。 本当は、1880年代の工部省釜石製鉄所における、在来たたら製鉄と近代製鉄の技術選択に苦悩したことこそ、伝えて欲しかった。 また、官営八幡製鉄所の「溶鉱炉」を再開させたところで、質の低い銑鉄しか出てこなかったことも抜けおちているんだけど、まあ良しとしましょ。



▼   問題はそれ以降なのよ!!! 全体として、「技術立国日本のあけぼの」でもないことは、一昨日のをみれば分かってくれたと思う。 もう忘れかけているけど、あまりにひどかったので、5点ばかり指摘させていただくわ。

    

▼   問題の所在を勘違いしている、佐木隆三の発言


    だいたい、鉄の技術者・野呂景義は、現場の技術を取り入れて、なんて事実はどこにもないわ。 近代技術と科学的思考にもとづいて、前近代的職人的熟練を排除して、標準化された大量生産技術を確立していく過程こそが、工業化であり、そのシンボルが「官営八幡製鉄所」でしょうが!!!! 高炉設計やコークスの改善のどこに現場が入り込む余地があるのよ。 失敗しかしていないのよ?。 いったい、この人、どうして連れてきたのかしら? これでは、日本の工業化過程が、完全に誤解されてしまうわ。 教養番組にまったくならないじゃない!


▼   無意味な八幡製鉄所の研究員たちのインタビュー


    元八幡製鉄所の研究員で、鉄道レールの国産化に邁進した人物と面識のある、90歳代の生き残りのお爺ちゃんにインタビューしていたわね。 番組では、オリジナル性が研究で求められたことを言わせてる。 結局、何がオリジナルなものだったのか、技術に関する説明がとうとうなかったことをあわせると、「おじいちゃんの技術開発部署における雰囲気の証言→日本オリジナル技術」と誤解させたいのかしら。  本当に悲惨な番組よね。 人をなめないで欲しいわ!!!ぷんぷん!


▼   番組のウソ 野呂景義は、鉄道レールの破損の原因を
    とっくに知悉していた?!!



   この番組は、1923年、野呂景義が関東大震災で死んだので、1922年前後、鉄道レールが破損する事件相次いだ原因の解明は、弟子に委ねられた、とされているわ。 そして、弟子はレールが壊れた地域を回って、詳細に分析。 イギリス製のレール鋼材が壊れていないこと、寒冷地でレールが壊れていることを発見。 イギリス製のレールを切断したら、日本製レールとちがい、粒子が均一だった。 そこで、粒子を均一化される技術をみがき …… という筋書きになっていたわ。 真実なら、お涙頂戴ものかもしれない。


   しかしね。 1919年、官営八幡製鉄所が「低珪素銑・塩基性平炉鋼」生産を始めるまで、官営八幡製鉄所の鉄道レール生産は、「低燐銑・酸性転炉鋼」を素材にしていたのよ。 しかも、大量に燐をふくむ、中国の大冶鉄山から入手した鉄鉱石を使い、おまけに燐除去技術がまったく不十分なままでね。 


   ところが、燐が0.1%以上含まれると、酸性鋼は脆くなってしまうわ。 寒い地域では、「冷間脆性」によって、レール折損することが広く知られていたのね。 ところが、当時の鉄道省のレール規格では、燐含有量は0.12%までOK。 八幡製鉄も、基準ギリギリのレール鋼材しか、作れなかった。 野呂景義は、しばしば燐分が0.15%にもなる鉄道レールが、とんでもない代物で、早急に生産の改善が行われなければならないことを語っているのよ。 1919年、八幡製鉄所では、「低珪素銑・塩基性平炉鋼」生産が始まった。 そして、1927年、酸性転炉鋼(ベッセマー転炉)生産が打ち切られた。 これは、とうとう、八幡の技術者が燐除去技術を開発できなかったのね。 なにがオリジナルよ。 


   1922年~23年頃、頻発したという、破損事故。 1918年まで続けられていた、多燐の酸性鋼鉄道レール生産。 始まって3~4年の塩基性平炉鋼レール生産。 塩基性平炉鋼レールによる破損事故と、酸性転炉鋼レールによる破損事故。 いったい、どちらが多いのか、考えてみたら誰だってわかるはずじゃない。 前者の事故原因なんて、とっくに知られていたわよ!!!


▼   結局、何がオリジナル技術なのか、さっぱり分からない番組構成


   だから、野呂景義や弟子たちが知らなかった鉄道レールの破損原因とは、後者の「塩基性平炉鋼レール」についてなのよ。 実際、番組では、日本産のレールとイギリス産のレールの、切断面を比べていたでしょ。 日本は、粒子が集まっていたのに対して、イギリスは粒子が均一だったよね?  手の込んだ成分調整をする必要がない酸性鋼に対して、塩基性平炉鋼は、手の込んだ成分調整や化学反応をさせなければならない製鋼方法なの。 塩基性平炉鋼は、軟鋼で圧延に向くんだけど、これでは鉄道レールにまったく向かない。 だから、おそらく、炭素を浸透させて、硬度を高めることを行ったはず。 だけど、浸炭技術がいまいちで、圧延工程も未成熟。 そのため、粒子が均一になる鉄道用レールを作ることができず、破損事故が相次いだのね!!


   ところが、そのとき「歴史が動いた」って言いながら、どんなことをやって乗りこえたのか、まるで語らないのよ!!!! いったい、何なの?これ。 どうみても、番組として成立していないじゃない! 


   何がオリジナルなのよー!!!!!! 
   キー!!!


▼   1929年の鉄道省の新レール規格の施行が、「そのとき」???
   

   そんで、いきなり、番組最後で持ち出されるのが「鉄道省の新レール規格」。 「そのとき」は、1930年1月とされているが、どのようなことが起きての「そのとき」なのか。 最後までとうとう説明されない!!!!! …… いったい何よ、これ。 この日付は、レール規格の施行日な訳?  呆れ果てて言葉を失ったわ。 


   番組によれば、世界最高品質のレールを日本が作れて、国産化達成できてメデタシメデタシらしいわ。 たしかにこの頃の重軌条(レール)生産は、八幡製鉄がほぼ独占していたけど、特殊軌道のレールは、海外から輸入していたわ。 ナレーションは、若干不正確ね。 おまけに日本には、「低珪素銑」を作る技術も後れていたし、「低珪素銑」は、インドを中心に、相変わらず、海外依存していたわ。 本当にいい鋼材を作るなら、良い原料銑はかかせない。 鉄道レール国産化を言いたいなら、良質な鉄道レールを作るのに、官営八幡製鉄所がインド銑鉄に依存していなかったことを証明しないといけないんじゃないかしら? むろん、番組はなにも語ってくれない。 


▼   フィナーレ
    「技術後進国日本」をわざわざ宣伝する爆笑モノの映像ナレーション



   この番組、「そのとき」の解説のあと、ナレーションが続くわ。 戦争のあと生き残った八幡製鉄所は、戦車などの軍需兵器を溶かして、平和に役立て戦後復興を支えた……。


   鉄製品を溶かしている映像が出て、私は笑いが引きつってしまった。 
   結局、スタッフは、何も製鉄のことを分からずに作っているらしい。


   だって、このシーンは、日本最新鋭の「銑鋼一貫生産」を誇ったはずの八幡製鉄所が、実は銑鉄設備が不十分で、「銑鉄・屑鉄」を海外に依存していたことを赤裸々に言っているんですもの。 実際、八幡製鉄所は、膨大な銑鉄・屑鉄を蓄積するための区画が、敷地内に設けられていたわ。 戦車にしても、武器にしても、そこに集められ、平炉の中に入れられたんでしょうね。 敗戦直後、銑鉄生産量と鋼鉄生産量は、「1:2」を上回り、「1:4」の年さえあったわ。 たしかに、最新鋭を誇っていた八幡製鉄所が、熱経済の面で圧倒的に優位な、「銑鋼一貫生産」を完成できなかったのは、歴然たる事実かもね。 

  
   でもさ、こんなナレーションと映像を流して、どこが「技術立国 日本のあけぼの」なのよ?  ウソをつくんなら、最後までつき通しなさいよ。 「技術後進国 日本のシンボル」として、八幡製鉄所の遅れていた部分をわざわざ宣伝して終了。 いったい何なのよ、これ。 八幡製鉄所、さらしもの? ノータリンというか、最後で破綻しているじゃない。 いったい、だれが監修したのさ。 責任者でてこーい。 


   もはや処置なし。
   もうNHKには、絶対、受信料を払ってはいけないようね。




NHKふざけんな!と思う人はクリックお願いします
↓↓↓↓↓↓↓
 
 ←このブログを応援してクリックしてくださいませ










Last updated  Feb 23, 2007 11:37:08 PM
コメント(2) | コメントを書く
Feb 21, 2007
テーマ:ニュース(86740)
カテゴリ:経済



▼   みたみた?本日の番組紹介欄。 NHK総合で、こんなことやるらしいの。 本当に大丈夫かしら。

次回の『その時歴史が動いた』は…

鉄は国家なり ~技術立国 日本のあけぼの~

放送日 平成19年2月21日 (水) 22:00~22:43 総合
ゲスト 佐木 隆三(さき・りゅうぞう)さん(作家)
番 組 内 容
その時 … 昭和5(1930)年1月
出来事 … 鉄道レールの輸入が終わりすべて国産化された


イギリス、ドイツ、アメリカなど、鉄を制した国が近代国家として胸を張れる時代に、明治政府は国家の威信を賭けて福岡県八幡村に官営製鉄所を建設する。しかし当初の製鉄技術は海外の設備と技術者をそのまま持ってきた「鉢植え」の技術。日本の原料や燃料に合わず、日本人技術者にも使いこなすことができなかった。巨費を投じた溶鉱炉は鉄を作れないまま、停止されてしまう。このままでは日本は文明国の仲間入りができない…。その時立ち上がったのが、鉄の技術者・野呂景義とその弟子たちだった。

彼らは徹底した現場へのこだわりと調査で、海外から移入した技術を日本の風土に合わせて改良・改善していく。やがてようやく日本の近代製鉄は軌道にのり、課題であった鉄道レール作りが始まる。しかし野呂亡き後、国産レールの破損事故が相次ぐ。野呂の教え子たちは技術者としてのプライドを賭けて、鉄とレールの質の向上に心血を注いでいく。そしてついに日本は借り物だった製鉄技術を我が物とした。技術者たちが鉄とレールの国産化に挑む道のりを通して、のちの技術立国・日本につながる日本オリジナルの「技術力」誕生のドラマを描く。



▼   「“あるある大辞典”納豆捏造事件」のNHK版、っぽいわよねー。 
    番組見ていないうちに語っても仕方がないんだけど、
    いったい、何がやりたいのかしら。


▼   銑鋼一貫生産を目指した官営八幡製鉄所。 でも、燐の含有量が低い鉄鉱石にめぐまれず、高炉から良質の銑鉄(原料銑)が生産できなかったわ。  だから結局、八幡製鉄所にあったベッセマー転炉は、1927年に廃止に追いこまれてしまう。  これによって、酸性鋼 ――― 燐・硫黄がない鉄鉱石に限られるけれど、機械や兵器生産にむいた良質の鍛鋼・鋳鋼ができる ――― の大量生産技術は、日本から消滅してしまうのよ。 日本では「低珪素銑 塩基性鋼」 ――― 燐/硫黄はたくさんあってもいいけど、珪素があってはダメ、軟鋼だから圧延鋼材・高張力鋼に向く ――― のみになってしまい、それすらも一貫生産体制を築けなかった。


▼   となると、銑鉄や屑鉄は、輸入に頼らざるをえなくなってしまうわ。 「スウェーデン鋼」とか聞いたことないかしら?  日本は銑鉄は、酸性銑をスウェーデンやイギリス、低珪素銑をインドから輸入せざるをえなかったのね。 この銑鉄部門の低生産性は、「一貫生産」ではない、単独でマルチン平炉による小規模「塩基性鋼」部門の出現とあいまって、戦前の日本製鉄業の足かせになるわ。 


▼   とにかく、銑鉄生産が弱いのに、鋼鉄生産だけは盛んなの。 武器にしても、鉄道レールにしても、国家が欲しがれば欲しがるほど、銑鉄生産技術の弱さが、どうしても致命的欠陥になってしまうのよね。


▼   たとえば1941年、「ABCD包囲網」で、日本が追い詰められたときを思い出してみて。 その中に石油輸入だけじゃなく、「屑鉄の輸入ができなくなった」ことを記憶している方、いるのではないかしら。 何の意味があるのか、分からなかった人、絶対いるでしょう。 


▼   実は、タネを明かすと、これが原因なのよ。 日本では、銑鋼一貫生産は結局、完成できなかったわ。 だから製鋼業者は、屑鉄と銑鉄を外国から買って、それらをまぜて「塩基性平炉」に入れて、鋼鉄生産していたの。 日本鋼管とか神戸製鋼とは、そんな業者なのね。 


▼   当然、1930年1月には、本来「何もおきていない」し「動いても」いないのよ。 というか、1930年頃の日本の銑鉄生産量は、たしかアメリカの2~3%よ。 借り物からの脱却、ってどうみてもインチキだわ。 だいたい、鉄の国産化は達成されていません。 あきらかに捏造でしょう。 ありもしないものをどうやって「動いた」としてデッチあげるのか。 これくらいしか、楽しむ方法が、ないのよねー。


▼   いったい、どんな事例をあげて動いたことにするのかしら。
    何個か、考えられないことはないわね。


▼   番組案内には、野呂景義の弟子たちの苦労なんてあるわ。 それなら、のちに日本鋼管の社長にもなった、今泉嘉一郎の「日式トマス転炉」 かしら。 たしかにオリジナルなものよ。 でも、これって、ドイツ・ヘルデ製鉄から直輸入したトマス転炉の改良版だわ。 おまけに、日式トマス転炉を作っても、上流部門 ――― 原料銑(低珪素銑)生産部門 ――― にますます負荷をかけるだけよ。 それでなくても日本では、低珪素銑だってまともに作れなくて、鋳物銑になっちゃうというのに。 それに,日本鋼管の日式トマス転炉の稼動は、1938年から。 とても、1930年1月の「そのとき」にはならないわよね。 


▼   それとも平川良彦を中心とした、低珪素銑製造方法の改革をあげるつもりかしら。 でも、どうして鉄道レールといった鋼材が日本でできなかったのかといえば、たんに技術が未熟だったからにすぎないわ。 


▼   だいたい、低燐で酸性銑をつくるベッセマー転炉なのに、それにあわない中国の鉄鉱石で銑鉄をつくろうとしたのよ?  これですめば良かったけれど、八幡製鉄所は、ベッセマー転炉で消費しきれない銑鉄を、塩基性平炉にいれて鋼鉄生産していたわ。  できた鋼材は、どんなものになるか、想像付くでしょう? 酸性鋼でも塩基性鋼でもない、ただの「不良品」よ。 現実は、1924年頃まで、低珪素銑と低燐銑の区別を知らなかっただけなのよ。 ひどい出来のため、鉄道省も陸海軍も困り果てたわ。 だから、軍艦や兵器でさえ、銑鉄をわざわざ輸入して作らなければならなかったのよ。 1924年以降、八幡製鉄所では、低珪素銑・塩基性平炉鋼の組み合わせによる、銑鋼一貫体制が完成するけど、平川良彦の研究は、この路線の上にのって、進められたものなのね。


▼   もともと、野呂景義の弟子である平川良彦は、高炉操業が手探りの状況であった1910年代、「鎔解層」なる概念を提示した人なの。 とくに、鉱石とコークスの配合方法をかえることで、「生鉱降り」現象をなくして、有名になった技術者。 たしかに、面白い研究をしているのよね。 それも大規模な実験装置をわざわざ作って何度も試験を繰り返す、今の科学そのものを感じさせるやり方で。 


▼   八幡製鉄の銑鉄部門は、彼の手によって、1920年代を通して、高炉の操業方法がどんどん改善されていくわ。  高炉冷却水の海水使用で、鉛管を使うことを余儀なくされる羽口を、「アルミニウム製」にしたりね。 アメリカやドイツでは、1000トンの銑鉄が生産できる高炉が主流の時代に、200トン規模の高炉しか作れなかったことを除けば、かなりのことをやっている技術者なのね。


▼   一番有名なのは、「鎔解層アーチ説」と、それによる適切な高炉の形の≪原理的解明≫ね。


▼   欧米では、「朝顔の位置を低く、その角度を大きく、湯溜の径を大きく」という、高炉建設の3条件は、広く知られていたわ。 しかし、経験で練り上げられたもので、理論的背景が分かっていなかったのよ。 欧米と日本は、鉄鉱石の品位、コークスの灰分と硬度、操業方法がちがう。 だから、日本の技術者は、どのようにするべきか、分からなかったのね。 それを日本でも適用・援用できるように、原理的裏付けを明らかにした人なのよ。 かれは、日本における「低珪素銑製造法」を明らかにして、鉱石・コークスはどのようなものを使い、どのように装入したらいいか、適切な送風方法・温度・圧力、などを詳らかにしたわ。 職工の勘や技能ではなく、理論的操業方法を明快にして、完成させた人なの。 平川良彦は、良い技術者だわ。 会社が与えた状況の中で、最高の選択肢をえらびだし、それを理論化したわけだから。 


▼   ただ、これをもって「歴史が動いた」というのは、明らかに行きすぎよね。 


▼   だって、経験的に知られていたことで、技術自体、かれのオリジナルでもなんでもないわ。 それに、平川良彦の理論にもとづいて八幡製鉄所の銑鉄生産が始まるのは、1930年の2月。 平川理論採用なんかよりも、絶対、八幡製鉄の銑鋼一貫体制の建設の方が重要でしょうに。 やっぱり平川良彦でもないのかしら。


▼   それにしても、NHKの番組案内は、読めば読むほどひどいしろものよね。 近代技術の定着は、「日本の風土」が阻害していた訳じゃないわ。 そもそも科学の問題じゃない。 だいたい、競争力のある低珪素銑鉄の大量生産は、戦後にならないと実現しませんよ。 どれをとっても捏造の臭いがするのよね。 どうみても、針小棒大にされそうよ。 


▼   どのようなお話になるか、確かめてみなくちゃ。 
    みんなも、変な話になってるかもしれないので、確認して欲しいわ!


 ←このブログを応援してくれる方は、クリックして頂ければ幸いです 






Last updated  Feb 23, 2007 11:30:06 PM
コメント(9) | コメントを書く
Jan 24, 2007
カテゴリ:経済
2007-01-24 18:45:45

▼   とても良い本だわ。 何よりもメッセージが明快。 定義できるはずもない「国益」「国策」によって翻弄された、戦前日本を病理を徹底的に暴き出しているの。 満鉄創立100周年の2006年。 時宜をえた本ね。 これを読んだ貴方は、「国家戦略」などと語る奴を信用しなくなるでしょう。 とても良いことだわ。


▼   みんな知ってる通り、満鉄は国策を体現する会社だったはず、でしょ。 でもね。 日露戦争時、満鉄の元になった東支鉄道南部支線は、なんの位置づけも与えられていなかったの。 負担を考えて、鉄道王ハリマンに手放す意見もあったんですって。 でも、経済的収益をどうやってあげるのか、経営的成功の見通しもないまま、「血と犠牲」でえられたものだからというエモーショナルな観点で、講和条約では譲渡要求せざるをえなかったのよ。 会社作りという話だけ、先行してしまったの。 また、関東都督府だけでなく、領事館警察を掌握して邦人保護にあたる外務省、満鉄のいわゆる「満州の三頭政治」が始まってしまうの。 役所の縄張り争いのひどさは、今の非じゃないわね。 


▼   満鉄は、初代総裁後藤新平が経営を軌道にのせるわ。 しかし、満鉄の位置づけの曖昧さに我慢ならなくて、後藤は桂太郎に接近して中央政界に進出するの。 目指すは、全植民地経営を統括する機関の設置ね。 しかし原敬が、立ちふさがるの。 満鉄「経営」を前面に押し出して満州を安定化させたい後藤と、あくまで政府のコマとしか満鉄をみない原。  経営は、2代総裁中村是公の手腕で安定化するんだけど、長州閥と個人的つながりしかない後藤は、政党政治家原敬に屈服する運命にあったのよ。 原以降、満鉄には政党勢力が浸透していって、草刈り場のようになっちゃうのよ。


▼   ひどいわよね。 寺内内閣は、3頭政治を解消するために、「満鮮一体」の統轄機関をつくることを考えて、関東都督府に満鉄監督権限を与えるわ。 ところが、原内閣では、都督府を解体して民政(関東庁)・軍政(関東軍)に分割、満鉄中心の植民地経営に舵を切るの。 それは、政治では張作霖を押し出して、経済では満鉄を押し出す政策だったわ。 一〇年間、日本の満蒙政策のスタンダードになるくらいなんだから、やはり立派な政治家みたいね。 政党で政権をえる原敬は、満鉄を政友会の利権にしなければならないの。 満鉄を舞台とした政治資金捻出がばれたのもキッカケとなって、東京駅で暗殺されてしまうわ。 田中内閣になると、今度は「拓務省」による統一的植民地政策の遂行が指向されるの。 いったい、どこまで制度をいじって遊んでいるのかしら。 どっかの国の、首相補佐官制度みたいよねー。 恥ずかしいったらありゃしない。(笑)


▼   結局、満鉄の歴史で一番重要なのは、松岡洋右らしいの。 「満鉄中心主義」が採用された後、理事に入って、副総裁・総裁と一〇年間つとめるから。 とくに、この時代は、ロシア革命以降、満州南北分割の密約が反故にされて、東支鉄道と満鉄が競合する時代に突入したとき。 満鉄拡大政策の陣頭指揮をおこない、支えたらしいわ。 松岡って、国際連盟脱退、日ソ中立条約のバカイメージしかないのけど、ソ連と手をむすぶためには、ソ連を可能な限り満州から駆逐しなければならない、と考えていたんですって。 へー。 この拡大路線をめぐって、外務省と満鉄は激しく対立。 「満鉄―関東軍―張作霖」ラインが形成されるわ。 これは満州事変の時の、軍と満鉄二人三脚の遠因になるそうよ。 山本条太郎社長時代には、副総裁昇格。 満鉄による「製鉄・製油・肥料」の三大国策・重工業化を指揮するの。


▼   そんな満鉄全盛期を築いた「山本―松岡」体制だけど、パートナーの張作霖が、全国政権的になってくると、日本の言うことをばかりはいられないのは当然よね。 そんな当たり前のことを理解しないで、関東軍が逆恨みして殺してしまい、ジ・エンド。 バカはどこにもいるものよ。 おかげで、満鉄はパートナーを失い、怒りに燃えて、「国権回収」をめざす張学良に、「満鉄包囲線」で追い詰められるわ。 本当は、銀安によって、安い鉄道運賃の中国側路線に貨物が行っちゃった上、大不況で購買力が減少したためなんだけど、満鉄は逆恨み。 満州事変をおこす関東軍に、満鉄は協力してしまうの。


▼   満州事変以降の満鉄は、「猿回し」の猿のよう。 悪の親玉は、十河信二。 元々中堅・若手は、張学良などへの不満を鬱積させていたのね。 彼は、後に「焦土外交」でしられる時流に便乗しか能のない、内田康哉社長をうまくのせて、満鉄と関東軍の完全な一体化に成功させてしまうわ。 1935年には東支鉄道がソ連から譲渡されて、懸案の1つは解決。 また関東軍は、領事館権限を外務省から接収。 1934年には、満鉄改組騒動を巻き起こしながらも、関東軍は、関東庁権限と満鉄監督権を拓務省から奪っちゃうわ。 これによって関東軍の権力が確立。 満鉄は、事変後、鉄道会社としては絶頂期を迎えるけど、もはや政治的役目は終わって、ただの関東軍・満州国が要求する「国策」を実行するだけの組織に成り下がるの。 満鉄は、自分の死刑執行命令書にサインしたのね。


▼   そんなとき、松岡が今度は総裁として戻ってくるわ。 今度は、中国進出なんていうんだから笑っちゃうわ。 そんな野望もむなしく、満鉄は最後のトドメをさされちゃう。 1934年以降、中央から満州に革新官僚がどんどん送りこまれたの。 そうなると、満鉄は産業開発・企画立案でも、用済みになっちゃうわ。 1937年、日産の満州移転にともない、「満州重工業」が発足するわ。 改組しちゃえ!! 鉄道事業以外の付属事業は、切り離しがすすみ、満州重工業などに譲渡させられるの。 これを主導したのは、何あろう、松岡の親戚で、アベ首相の祖父、岸信介。 岸に背後から松岡ちゃん刺されちゃったのね。 やることが違うわ、長州人。 


▼   第二次大戦になると、大豆流通は壊滅。 大連は衰退するわ、自由闊達な空気は無くなるわ。 「大陸=満州=朝鮮半島」経由で日本に物資輸送を命じられるけど、港湾と停車場設備が未整備のままだから、物資が朝鮮半島で野ざらしなのよ。 おまけに対ソ戦に備えるべく北満向輸送を強化するべきなのか、内地向輸送を強化するべきなのか、迷走しまくり。 結局、どっちもまともにやれていないまま、戦争に負けてしまう。


▼   満鉄の最後は、笑うしかないわ。 満州国も8月18日に消滅。あれほど偉そうにふるまった関東軍が、満鉄に150万人の日本人の命運をすべてを押しつけて、45年9月5日に消滅。 ソ連軍は、満州国の旧日本資産を没収・移送をおこなうなど、12億ドルの大損害を東北地方に与えたのに、没収した資産は、ドイツのも含めてみ~んな野ざらしなのよ。 インフラなしでは鉄くず同然。 いい気味よね。 本書の最後では、満鉄の国策性を忘却してノスタルジーとして扱われることに警鐘を鳴らしているわ


▼  「国策」なるものがいかに無責任か。 満州国がいかに「官僚にとっての天国」にすぎないものであったか。 権力の割拠性がどれほどの被害をもたらしたのか。 日本社会の病理のシンボルこそ「満鉄」であって、今こそ病理に向き合わなければならない。 なかなか格好良くて、痺れるわねー。

 
▼   なにより新鮮なのは、田中義一内閣の評価かしら。 陸軍随一のロシア通は、ソ連と満州の利権分割によって取引可能と見ていたらしいの。 政策立案できる有能な軍人で、政党の重要性を理解していた最後の長州閥らしいわ。 また、あの中国残留孤児を生んだ「満州移民政策」は、実は権限は大きいのに組織がなく、リストラされる危機にあった、拓務省の組織拡大・防衛策のため案出されたものなんだって!! 許せないわよねー。 高橋是清なんか、松岡同様、移民で苦労したから、「移民なんて可哀想だから止めとけよ」で予算計上しなかったらしいの。 苦労人がいない、アベ内閣に爪のアカでも煎じて飲ませてやりたいわ。 豆知識も、いっぱい。 複線と単線では、輸送力に3倍以上の差が出るらしいの。 満鉄東京支社は、今、アメリカ大使館になってるそうよ。


▼   ただ、やっぱり弱点があるように思うのよねー。 なんといっても、満鉄「全史」のため、政治「事件史」に堕してしまい、満鉄経営の部分や中国ナショナリズムとの衝突など、肝心の部分を把握できかねてしまうわ。 いくら、「国策」と満鉄の絡みを描いているとはいえ、「満鉄」をとりまく満州の状況をもう少し説明して欲しかったわ。 


▼   それに、「権力の割拠性」とか同床異夢の状況などをとりあげて、無責任さが問題視されているけど、これって日本だけの現象かしら。 「国策」「国益」「国家戦略」なるものは、当事者各々が勝手に定義できるがゆえに、徹底的に無責任なものだったのではないかしら。 満鉄と日本をとりあげること自体、あらゆる時代、あらゆる国家の「国策」は、無責任で不統一でテンデバラバラであるという構図を取り逃がしてしまうのではなくって? この次元でこそ、誰も厳密に定義できないがゆえにめいめいが勝手に描いている、「国策」「国家戦略」「国益」の幻想性を批判できるのではないかしら。 また、鉄道線路拡大のときの路線図説明が本当に分かりにくくて腹がたったわ。 それぞれの日中交渉別に色分けするなり図に工夫がほしかったと思う。


▼   それでも通史的な価値は、相当なものね。 講談社選書メチエにしては、いい本だと思うわ。 講談社現代新書に買う本がないぶん、すすめておきたいわね。


評価  ★★★☆
価格: ¥ 1,680 (税込)


 ←このブログを応援してくれる方は、クリックして頂ければ幸いです 






Last updated  Sep 2, 2007 02:19:23 PM
コメント(1) | コメントを書く
Oct 18, 2006
カテゴリ:経済
414091064X.01._SS500_SCLZZZZZZZ_V59126721_


▼  悪いのは僕だ、ということは分かってる。 でも、しばしば、「これはあんまりではないか」と言いたくなるような事態に、人は遭遇することがあるもんだ。 さぞかし、この書物との出会いは、そんな不条理さに満ち満ちたものであった。 時間と金を返して欲しい。


▼  そうなんだ。 もとはといえば、「立岩真也って、どんなことを言ってるんだろう」「手際よくまとめられた本があれば、とても便利なのにな」と、下心丸出しで、本書に飛びついたのが悪かったにちがいない。 稲葉振一郎氏と立岩真也の対談とくれば、立岩真也が理解できる上に、稲葉氏と立岩氏の、スリリングな対談になるんじゃないか。 「一粒で2度おいしい」。 ええ、胸を躍らせて、飛びつきましたよ、わたしは。 その結果は、言うまでもない。 立岩真也って、結局、何を言っている人なのか、最後まで分からなかったのだ。


▼  とりあえず、気を取り直してまとめてみよう。


▼  稲葉振一郎氏によれば、立岩真也氏とは、「分配する最小国家」「冷たい福祉国家」―――加害の防止と、分配だけをおこなう国家―――を提唱されている方らしい。 稲葉さんは、ケインズ主義的福祉国家の自明性を解体して、干渉国家・管理国家という批判を封じるため、「ケインズ主義的最小国家」=古典的最小国家に金融政策をプラスしただけの国家像を提起する。 一般的に現代では、外部経済を内部化することで、環境問題などに対応していく方向性に対して、「外部」の存在、市場の限界を強調する議論が多かった。 ところが立岩氏は、「所有する能動的な主体」から議論を始めない。 所有の主体は、理論の主人公にとっての他者として現れ、「他者にとっての他者」としてしか形成されない。 私の身体は、自分にとってどうにもならないが故に、私のものだろう。 逆に、私の身体によって得られたものは、「切り離し」「譲渡」可能であるが故に、誰の者であってもいいのではないか。


▼  人は何かを所有(そして取引)する主体でありながら、同時に、取引されたり所有されたりする手段でもある。 所有を確定して市場を議論する、という方法が採られるものの、そもそも市場が、資産の商品化に見られるように、所有自体を変形させてゆく。 立岩氏の「他者にとっての他者」議論は、所有に止まれば面白いが、ダイナミックな市場に敷衍できないのではないか、「譲渡できるもの」「譲渡できないもの」の区分は、苦しい時は絵に描いたモチにすぎないものではないのか。 その稲葉氏の批判に対して、立岩氏は後者に対して、「譲渡できないもの」を譲渡しなくて済むような基本財が一人一人確保した上で、譲渡したくないものの譲渡を人に求めてはならないという原則でどうしていけないのかと反論するものの、前者には応えていない。 両者は、厚生経済学の基本定理の初期条件が、人は市場で取引に参加する前に「生きている」、取引に参加しなくても生きていける、極めておめでたいものであることに同意する。


▼  しかし、稲葉氏が「市場は所有にフィードバックするため、自給自足に戻れない」を敷衍し、市場が絶対的な生活水準低下を招く可能性がある、すなわち「底上げしていない」「パレート最適に社会を導いてくれない」(スミス以来、経済学者の前提)ことをシステマティックに言おうとするという議論に、なかなか立岩氏が食らいついてくれない。 格差拡大は、稲葉氏にとっては、市場の前提であるコミュニケーションの透明性を損なうから是認できない。 「分配は平等か、不平等か」ではなく「パレートの意味で良い方向なのか、悪い方向なのか」を問題視する。 タガが必要であるが、どのようなタガをはめるべきかについて、なかなか見えてこない。


▼  「分配のために国家がいる」ということから始まる国家論は、なかなか面白い。 リベラリズムは、個人間の効用・価値観は比較不能であるので共存を大事にしようというと、保守主義者はそのためにも国家の役割は抑制されるべきだという。 しかし「最小国家」では、比較不能な価値の共存が掘り崩されるので、リベラリストたちは、ロールズを始めとして、「何かを予感しつつ」も折衷主義に走り「ケイパビリティ」「フェアネス」を語らざるをえない。 分配ついてどのような基準でいくべきか。 あまり具体的に考えられていないし、変更可能性・実行可能性な「合意」について語ろうとするものの、なかなか前に進まない。最後、その理論的意義を評価する「基準的な他者(として将来世代)」を持ちこむ場合、搾取論的ではなく、「他者がこの世に存在できる環境を整えておくことが現役世代の義務」という論法を採るべきである、という提案に合意する。しかし、そんな「環境」とは何だろう。


▼  ノージックは、ホッブスなどとは違い、他人の承認の必要がない権利を構想し、権利は歴史的背景によって決まるとして、「歴史原理VS状態原理」の中では、仮想論敵を状態原理に入れていた。 しかし、「局所VS全域」という軸を設定すると、むしろ論敵のほうが「社会の承認」が必要なだけ「局所」的ではないのか。 ノージックの議論は、ロールズの「無知のベール」同様の、圧倒的な普遍主義を前提としなければならないのではないか。 立岩の議論も、ロールズ・ノージック同様の、否、むしろ彼等よりも「他者との関係性」が入っている分だけ、さらに複雑な操作による基礎付けが要求されるような、権利が合意を超越する議論なのではないのか。 その稲葉氏の誘いに、権利には合意が必要だが合意に回収されない権利がある、と回答。 綜合されているとはいえ、これでは議論が発展しないだろう。


▼  第4章「国家論の禁じ手を破る」では、流行らなくなった「批判理論」「規範理論」について語られるが、どうにもカタルシスが感じられない。 ブルジョア国家論も、マルクス主義的国家論も、共有してきた「道具的国家」像。 それに対して、グラムシのヘゲモニー論が一歩踏み出し、アルチュセール以降、「主体的国家」像がみられ、あまつさえヘーゲル的(?)な「主体的国家」(国家有機体説)像に本家帰りするような傾向さえみられたという。 フーコーの権力論の衝撃は、「めくらましを解除したら真実が現れる」ことの否定、まっさらなものはなにもなく、2次的な産物にすぎないことを明らかにしたことにある。 フーコーについては、人々の性格・規範でさえ権力に先立たれていて、権力批判の身振りさえ権力に与えられたもの、と、「隘路」として理解した人が多かったが、「権力者がいない」「力の流れで、主体が生み出される」「権力とは事実性にすぎない」「国家と権力は同一ではない」ことを理解していない。 格差・不平等について、自己に責任がなくて不利益を被っている場合、搾取論ではない基礎付けとしては、国家を保険会社として捉え補償するという考えかたになるしかない。 しかし、これでは「責任主体」があいまいになってしまいかねない。そこで本書は唐突に終わる。


▼  嫉妬で分配をもとめて何が悪い。 嫉妬がなければ競争が起きないだろうが!は、鮮烈であった。 アソシエーショニズムは、所詮、企業よりもパフォーマンスが落ちてしまわざるをえない。 ローマーは、遺産相続の禁止以外は資本主義と変わらない社会主義を構想しただけでなく、「搾取」論的不平等論の無効を宣告―――搾取されるほどのものも持たない人のことを考えると余計なものでしかない―――した人物であるという。


▼  この本のレビューを書くため、読み直してみた。 少し理解できたので、怒りが少しはおさまったものの、初めに読んでいる時は、むかついて仕方がなかった。 とにかく、この本の立岩真也の語り口は、紆余曲折を繰り返していて、分かりにくい。 ほとんど、対談で喋ったことが、そのまま原稿化されてしまい、まったく手が入れられていないようなのだ。 そんなバカなことをする奴が、いったいどこにいる!!!!。 いくらなんでも、こんな手抜きを許すわけにはいかない。


▼  たとえば、「譲渡し得ない資産」である「人的資本」などの議論は、いったい、結局、どう引き継がれ、どう合意ができて、どう差異が埋まらないのか。 こんな肝心なことがさっぱり分からない。 稲葉氏と立岩氏の議論が、すれ違いまくって、ちっとも対談の感じがしない。 これに比べれば『動物化する世界の中で』(集英社新書)の方が、破綻していることが示されている分だけ、遙かにマシといえるだろう。 どうやら立岩氏は、喋っているうちに、混濁していた思考が整理されてきて、終わりにはそれなりにシャープな議論にまとまる方の様だ。 それはいい。 ただ、いちいち、その全過程が収録されるなんて、ウザイことこの上ない。 読んでいて殺意さえ覚える。 稲葉振一郎氏が立岩真也の議論まで、読者のために丁寧にまとめている努力には、たとえまったく報われなかったにせよ、頭が下がる。 おそらく、この対談。 適切にまとめれば、1/3で済むような、シロモノではないか。 はっきりいって、その方が10倍くらい面白かったにちがいない。


▼  あと、立憲主義の民主主義に対する優越について、ルーマンを持ちだして語ることに、何か意味があったのか……。 そりゃ、人(そして人権)は「社会(行為)システムの外側」=環境にすぎないんだから、当然の前提なんじゃないの?。 その後をあからさまに、「立憲主義を限界づけるのは、民主主義なのか?」……という問題提起をするんだけど、なんか知ってるくせに黙ってるというか、マッチポンプというか、嫌みな感じがしてしまうゾ。


▼  要は、なにごとにも、学問に近道はない、ということか。 稲葉氏部分は、星3つ。立岩氏部分は星1つ半、平均星2つとした。ご寛恕願いたい。


評価  ★★
価格:¥ 1,176 (税込)


 ←このブログを応援してくれる方は、クリックして頂ければ幸いです 

『動物化する世界の中で』↓



評価  ★★★
価格: ¥ 693 (税込)

 ←このブログを応援してくれる方は、クリックして頂ければ幸いです 






Last updated  Apr 1, 2007 12:19:00 PM
コメント(0) | コメントを書く

全47件 (47件中 1-10件目)

1 2 3 4 5 >


Copyright (c) 1997-2020 Rakuten, Inc. All Rights Reserved.