★ 山之内克子 『ハプスブルクの文化革命』 講談社選書メチエ 2005年9月
皆様は、ご存じでしょうか?われらが私的なものと考えている休暇や娯楽でさえ、近代において、国民国家の手によって、根本的な再編・管理を受けていることを。本日は、18世紀、ハプスブルク統治下オーストリア帝国における、余暇・娯楽の管理体制の創出をあつかった研究をご紹介いたしましょう。『ベルばら』でおなじみ、王妃マリー・アントワネットの母親マリア・テレジアと、その子ヨーゼフ2世。彼ら2名の手によって推進された社会編成原理の構造的転換は、われわれの知的好奇心を刺激する素晴らしい題材といえるでしょう。ぜひ、お読みいただきたい本なのです。オーストリア帝国。「美食の都」、演劇と祝祭の都市ウィーン。北部ドイツとはまったく違い、贅沢と浪費の生活に酔いしれていた、ウィーン。「啓蒙君主」ヨーゼフ2世に期待して訪れたドイツ人が、一様にその失敗を予感した町。プロテスタント的な合理主義・進歩主義・節制と勤勉とは対極にあって、カトリック・イエズス会系の出版検閲も厳しい、文化の廃墟とみなされていた帝都。実は、享楽のスペクタクルや食文化は、北ドイツの出版業界と読書層の緊密なネットワークが果たしたような「啓蒙の運び手」=メディアの役割を担っていたという。「民衆に広く娯楽を付与する者」としての君主像。 スペクタルがどうしても必要なのです。これがなければ、 もはや、誰もこのような巨大な宮廷に留まろうとはしないでしょう。 (マリア・テレジア)それは、都市の時間と秩序を管理しようとする、専制的な国家改革の一環であったという。厳かな宗教行事から聖祝日、誕生日、祝祭日だけでも、157日もあったウィーン。贅沢・浪費として視角化される年中行事は、身分秩序を刷りこませるためのメディアとして機能していた。そのため、既成の身分秩序を転倒させる祝祭の数々は、絶対王政期において強力に排除されていく。民衆の祝祭「謝肉祭」における、仮面着用の慣習は厳禁された。すでに19世紀初頭になると、このような仮面の着用にみられる「カーニバル」的な「逆さまの世界」は、民衆の中でさえ理解不能になってしまう。マリア・テレジア期における、雪橇(そ)りパレードの創出や、「演劇」における「即興演技の禁止」などの管理政策。これらは、祝祭空間における民衆の位置づけが、「参加するもの」から「見物するもの」へ、決定的に変容した象徴であるという議論には、唸らされるものがあるのではないでしょうか。庶民がヤジを飛ばし、風刺や諧謔をおこない、しばしば参加することもあった、反合理主義的カオス文化の象徴、演劇。これが「参加型」から「受動型」へ根本的に変容していくのです。もともと余暇・娯楽と労働は、前近代においては分離していなかった。労働と娯楽、信仰と娯楽は、未分化の状態であったらしい。朝は、みんな一斉に起床。その後、教会のミサに出向いて、日没まで13時間から17時間も仕事。ミサや礼拝を名目にして、仕事を中断するのが、慣習となっていたという。信仰と結びついた娯楽。「楽しみ」や「気散じ」は、独立した地位が与えられておらず、信仰や職業にかかわる、何らかの「名目」が必要であったらしい。「牛追い」など突発的な事態が発生すると、嬉々として参加して、公空間を突如、祝祭空間にかえてしまう民衆たち。臣民の不断の労働こそ国力増強の大前提であるならば、労働と余暇の分離は欠かすことができない。祝日を削減するとともに、日曜・祝日を神聖化して「余暇」として割り当てた、マリア・テレジア。本書によると、啓蒙専制君主ヨーゼフ2世(1765-90)は、さらにラジカルな改革をすすめたという。バロック的、イエズス会的な信仰生活の変革を目的とした啓蒙主義。それは、世俗的な快楽を啓蒙主義的価値観を通して正当化していくことで、娯楽から教会を追放して影響力を払拭するという方法をとったという。「聖なる時間」が消え、「楽しみ」が恒常的におこなわれるとともに、労働と娯楽のリズミカルな繰りかえしで営まれる日常生活。それは、「緑地散策」「アウガルテンの開放」などの緑地開放政策で頂点に達するという。18世紀、啓蒙主義の「社会的平準化の理想」のデモンストレーションをかねた、「万人に開放された場所」。こうした緑地開放政策は、ウィーンを特色づけた、美食趣味とスペクタクルでさえ変容させてゆく。アウガルテンは、近代的科学技術を用いたスペクタクル産業と庭園の結合、スペクタクル庭園―――万国博覧会から大衆遊園地・アミューズメントパークへの流れ―――実際、ウィーン万博会場を経て、今では遊園地になっている―――の先駆けとなって、一大娯楽集積施設になってゆく。上流階級まで「牛追い」に熱狂し、カーニバルでは歌い踊る、参加型の娯楽文化は、興行師による「娯楽の消費者」「節度ある受け手」として、身体のレベルまで改変させられてしまう。それは、宮廷=「公的生活圏」の頂点にたちスペクタクルの提供者でもあった皇帝が、「私的生活圏」に後退してゆく過程でもあったというから、その大風呂敷からくる面白さはとどまる所を知りません。礼儀・服装の制限を廃止して、一時的な儀典=公的空間からの離脱=「微行(お忍び)」を告げず、臣下の家に夜歩きをおこない、親密なおしゃべりを楽しんだ、ヨーゼフ2世。位階の顕示によって支えられた宮廷文化は、動揺してゆく。宮廷行事の祝祭は、貴族主導で私的に催されるものになってしまう。日常的な娯楽パターンの定着、宮廷スペクタクルの消滅、宮廷儀式の「私化」は、都市社会において未曾有の変容を産み落とす。それは流行・モードの誕生であり、多様な時間サイクル、個人の孤立化・都市コミュニティの喪失であった…いかがでしょうか。興味をもっていただけたでしょうか。なによりも、近代における文化の系譜学になっているのが嬉しい。スペクタクル、流行、演劇、緑地…われわれが見慣れたものは、近代以降、つくりあげられたものにすぎない…そう言うのは、確かにたやすい。しかし、それが史実として追跡され提示されると、やはり圧倒的な臨場感があるといえるでしょう。今もときおり見かける、突発的な娯楽や仕事と未分化の娯楽。それは前近代の残滓と言っていいのかな? なかなか考えさせてくれる歴史書なのです。ハプスブルク王朝や、絶対王政、「ベルばら【笑】」…これらに興味がある人だけが読むのでは、本当にもったいないくらいの選書というしかありません。メディア論、公共圏論などさまざまな所に目配せされており、娯楽・文化を軸とした近代の一大歴史スペクタクル(笑)が展開されているのです。こんなにすばらしい概説書と言うものは、なかなかお目にかかれるものではありません。ぜひ、ご一読いただきたい。評価 ★★★★価格: ¥1,680 (税込) ←このブログを応援してくれる方は、クリックして頂ければ幸いです