May 9, 2005

★ 石井宏 『反音楽史 さらば、ベートーヴェン』 新潮社

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カテゴリ:音楽・文化


この人は、いったい誰にむけて、こんな本を書いたのでしょう。
読了後、こんな疑問がぬぐえない。

この世には、相対性理論といい、南京事件といい、アカデミズムの通説に反逆したがる人がいるもんです。こんな人は、たいてい相手を曲解し、的を外してしまうことが多い。死人数しか意味しない中国側「30万人」説に(当然戦死者を含む)、「日本軍虐殺写真」とやらを検証して一体何がしたいのだろう…いや、失礼。バカは、とかく方法論を間違えやすいし、騙されやすい。

音楽史は、ドイツ人に歪曲されてきた。

18世紀、音楽はイタリアのものであった。
ヴィヴァルディ、スカルラッティ、チマローザ、メタスタージョ、パイジェッロ…
しかも音楽の中心は、イタリアにあった。音楽教育はイタリアで生まれた。
そのオペラは、市民のものとしてイギリス・フランスなど欧州全域に広まった。
ドイツは、音楽が教会と貴族のもので、後進国にすぎなかった。
バッハ、ハイドン、モーツアルトなんて、生前は不遇といってよかった。
ドイツ人は、音楽史を「形式」として叙述するため、著名な人物を低く評価して、
知られていない人物を祭りあげてきた
前者は、イタリア人以外にも、ハイドンより低く評価されたモーツアルト。
後者はバッハであった。
ソナタ形式すらドイツ人のものではない。

こんな歪曲をささえたのは、19世紀の崇高と美を結合させた、
ドイツ哲学による美学の創出と、ベートーヴェンの出現である。
彼らは、「芸術の純粋性」と譜面の絶対性を唱え、
イタリア音楽を俗なものとして貶めてきたのだ… 
西洋音楽そのものを知らない人にとっては、それなりに意味があるでしょう。
オペラを知らない人には、お勧めしたい。

ただクラシックファンには自明すぎて、わざわざ書くほどのことか?
と、そのドイツ批判には嫌気がさしてしまう。
おまけに「歪曲」という扇情的文句で、ご自身が「クラシック」そのものを歪曲。

犯人は、ドイツの後進国ナショナリズムだ! 
これを主張するため、筆者が触れなかったのは、
クラシックは、形式から音楽をみた「前衛音楽」のことである、という根本的な事柄ではないでしょうか。

ベートーヴェンから始まり、20世紀初、リヒャルト・シュトラウスでもって終る、
ロマン派の時代。ある程度、前衛性と商売性に均衡がたもてた、
この幸福な時代に、クラシック概念が確立します。
当然、商売で成功した、前衛とは無縁の「人々を感動させる」音楽は、
世界中のどこにでも、通時代的に存在しています。
クラシック史≠西洋音楽史≠音楽史であること。
そんなのクラシックファンなら、誰でも知っていることでしょう。

逆をいえば、「形式」(科学)と「前衛」(進歩)の発見。
これこそ、クラシック概念の成立にかかせない。
それが、19世紀初、ベートーヴェンに開始されること。
それが、産業、政治、哲学、芸術などの、
全面的な西洋中心主義の成立と時をおなじくしていることの共時性の意味。
ここを問わずしてなにを問うのか??
おいらは疑問を禁じえません。

「感動」に帰ることを叫ぶ筆者。かれは、ドイツ中心主義を解体することによって、別の西洋中心主義におちいっていることに気付いていない。かろうじて、ジャズが少しとりあげられるだけで、ロックや「J・POP」の歴史は、なにひとつ語られない(演歌のみ【笑】)。クラシックファン以外の、クラシック史の素養がない人間からみれば、なぜこんな議論で反「音楽史」など不遜な形容ができるのか、まるで理解できないのではないか。むろん、西洋音楽史だから触れない、という言い訳はなりたつ。ならばドイツ人が、クラシック音楽史として「十二音音楽」をとりあげ、イタリア・オペラを無視しても、何の問題もないはずでしょう。

2004年の山本七平賞受賞らしいけど、なにかの間違いでしょう。
イタリア・オペラは、素材が抜群に面白いだけに、残念。
評価は、「イタリア・オペラ」史としてのみにしてあります。

評価 ★★☆
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