テーマ:保育園のこと(731)
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今朝、新聞を開いて愕然とした。ニュースを観て、また愕然とした。
帰宅して、ネットで色々な新聞記事を読んで、涙が出た。 今日のニュース、新聞紙上を賑わせている、「中学三年生虐待事件」。 なんて可哀想に、なんてひどい親だ、周りはどうして何もしてやらなかったんだ・・・・・・そんな言葉が、空々しく思えてしまうほどの、悲劇。 虐待は、今、決して珍しい事じゃない。だから逆に言えば、少年の年齢が15歳に達していたからこそ、生きた状態で救出できたのかもしれない。これが幼児だったら、とっくの昔に亡くなっていただろうから。 ・・・・・・こんなひどい言葉を頭の中で考えてしまうほど、そう思わなければ、全く第三者の自分が辛くて居ても立っても居られなくなるほど、あまりにもひどい事件。 私は養護施設に勤めていたので、実際、被虐待児と嫌と言うほど向き合ってきた。向き合わされてきた。 それはとてつもなく辛い作業の連続で、どんなにどんなに愛しても、『雪の女王』で氷の破片が目に刺さった“カイ”のようなあの子達の心を、完全に救う事はできなかった。 その無力感。 実の親・・・無条件に自分を愛し、守ってくれるはずの存在から、愛されず守られず、暴力だけを与え続けられると、その傷は子どもの心の中で表面はふさがる事があっても、中の、深いところでじゅくじゅくと膿み続けてしまう。 私にできるのは、せいぜい表面をかさぶたにしてあげることくらいだった。中が膿んでいる事がわかっても、もうどうしようもなかった。 私は今幼稚園に勤めていて、だからこそ、少なくとも、わかる事がある。 それは、「学校や福祉の、職務怠慢」ということ。 近所の人がどうして通報しなかったのかとか、同級生の親がひとりでも警察に相談しなかったのかとか、別れた母親はなにやってたんだとか、今の世の中、そんな夢物語みたいな事に期待するのは間違ってるのかもしれない。 でも、せめて学校は。児童相談所は。 親から食ってかかられて、ビビってしまったのか。 面倒くさかったのか。 どうせ両方だろう。今更、学校の先生になんか何も期待していない。 ハッキリ言って、私は学校の先生というもの全般が嫌いである。 可愛がって可愛がって送り出した子どもが、学校で粗末に扱われて表情を無くしていく、その気持ちが彼らに少しでもわかるだろうか。・・・きっと、そうでない先生もどこかには居るんだろうけど。 でも、せめて生徒の命くらいは守って欲しい。それは、必要最低限の仕事でしょう? 反省しても、後悔しても、間に合わない事ってあるんです。 児童相談所の人は、「反省してます」って言ったけど、取り返しのつかないことって、あるんです。 宗教によると、「悪人正機説」というのがあるらしい。 どんな悪人でも、南無阿弥陀仏を唱えれば極楽浄土に行ける・・・だったかな? ある本によると、「人間は何度失敗してもやり直せる」らしい。 赦してはいけない人間って、いるんじゃないだろうか。やり直してはいけない・・・一生罪を背負って石礫を投げられながら生きなければいけない人間って、いるんじゃないだろうか。 意識不明の少年は、今一体どんな夢を見てるんだろう。 せめて、幸せな夢ならいいけど、と願うけど、きっとそれは幻想だろう。 虐待の連鎖という言葉がある。 虐待をする人間も、自分の親から虐待を受けていた、いわば被害者のひとりである、そして虐待は繰り返される・・・というもの。 少年の親も、継母も、その連鎖の、いわば犠牲者なのかもしれない。 それでもなお、私は思い、そして願う。 生きながら殺されつづけた少年のために。 どうぞ、お願いだから地獄に堕ちてください。 あなたたちを待つ天国はありません。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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