飛翔/アマツカゼ長艇突破せよ
長艇の操舵室は決して広くは無い。四人分の座席に急遽予備席を追加したので、余計に狭く感じるのだろう。航法士席の隣に設えたその予備席には、ダブついた予圧服を着込んだ少女が心細気に収まっている。十分な時間さえあれば、彼女の体型に合わせる事は容易い事だったのだが、直前になる迄誰一人気が付かなかったのである。 「大丈夫ですよ」アレックスは彼女のシートベルトがしっかりと装着されているかを確認しながら、力づける様に言いながら笑ってみせるが、フェースプレートの向こうから見上げる眼には、安心した様子は伺えなかった。言葉が通じない事にもどかしい思いを噛み締めながら、アレックスは遅れて入って来た航法を担当する事になるマックスに軽く頷いて、自身が担当する操舵席に着くと、途中だったシステムチェックを再開する。既に通信担当のグレアムと機関担当のベルガーは、何度目かのチェックを完了して待機していた。 「なあ、加速時のGって、どれ位になるんだ」グレアムが問いかけると、「七から十、最大で十二、といったところだな。Gキャンセラーが上手く作動するといいが」こんな事も知らないのか、と言いたげにベルガーは答えた。 「うへっ、まいったね。訓練の方が楽だなぁ」グレアムは茶化す様に言う。「心配するな、誰もお前の事は気にしないからな」ベルガーが言うと、「つれないなぁ、同じ候補生仲間なのに」グレアムは席から身を乗り出して言う。「何かの間違いじゃないのか」何時に無く険のある言い方は、それなりに緊張しているのだろうと、二人の会話を聞きながらアレックスは思うのだった。 やるべき事を済ませてしまうと、作戦開始迄の長い待機に入る。「アマツカゼのカレー、もう食べられなくなるんだなぁ」グレアムは誰にともなく言う。「なんだぁ、それっ」待ち時間を持て余していたベルガーは、グレアムに問いかける。「知らなかったのか、アマツカゼのカレーが艦隊一だって事」グレアムは大事な事だと言わんばかりに答える。「こんな時に、カレーとはな」ベルガーは苦笑する。「確かに美味かったな、カレー」アレックスも笑いながら頷いた。「そうそう、今日は金曜日だったね」マックス迄もが話しに乗って来る。 ひとしきりカレーの話しで盛り上がっている時、通話アラームが鳴った。グレアムが通話釦を押すと、正面の外部表示パネル中央に、サリヴァン大尉の姿が映し出される。 「作戦開始時間は未だ不確定だ」前置き無しに言い出すのは、何時もの大尉だったが、以前にも増して額の皺が目立つ。 「お前達には十分に教えてやる時間が無かったが、最後に一つだけ言わせてもらおう」アレックス達は、何時に無く多弁な大尉の言葉を、姿勢を正して待った。 「アマツカゼは由緒ある艦だ。その乗り組み士官の一員である事を忘れるなよ」それだけ言うと、アレックス達の返事も待たずに画像が消え、替わって通信担当士官が画面にでる。 「ったく、ネコの手も借りたい程忙しいのに」レイチェル中尉は一言愚痴を言った後に、アレックス達に笑いかけながら「お待たせ、計画変更は無しよ。予定通り本艦加速最大時に離脱、五秒後にブースター点火」手許のバインダーを読み上げながら確認していく。 「百二十秒後に二次加速、最終加速は三百四十秒後、離脱のタイミングは私が指示しますからね」そこ迄言うと、真顔になって画面からみつめる。「いい事ばかりでは無いの、先行したピケット艦からの情報では邪魔が入るらしいわ。いざとなるとマニュアル操作が必要になるかも知れないの、心掛けておいてね」そう言いながらも、笑いながら小さく手を振り「頑張ってね」と言って通話は切れた。 「へえ、初めてだな、中尉殿の笑った顔を見たのは」グレアムの台詞に「安心しろ、お前に笑いかけた訳じゃないから」ベルガーはにべもなく言う。「へいへい」諦めた様に言いながら同意を求めて回りを見回すが、皆笑うだけで返事をしなかった。 再び待機する長い時間があり、通話アラームが鳴った時には全員が安堵する程だった。 今度はアマツカゼ艦長、スギノ中佐が直接画面に現われる。緊張して姿勢を正す四人。 「諸君、いよいよである」静かに話しかける、見事な顎髭を蓄えた艦長の顔を見る機会は、士官の端くれとは言え四人にはそうそうある物では無かった。 「アレックス准尉、ベルガー准尉、グレアム准尉、マックス准尉、お前達を本日只今より少尉に任ずる。当初の計画通り、任務をまっとうせよ。以上だ」スギノ艦長の言葉に、四人は座ったまま挙手の礼で答える。「王女を頼んだぞ」<作戦開始カウントダウン三十分前> 彼等に答礼した艦長の画像が消えると同時に、無機質な声のアナウンスが狭い操舵室に響き渡った。つづく