安岡正篤一日一言f 10月30日 生きた学問
すべて学問というものは、根から養分を吸収して、
幹が出て、枝が伸びて、それが分かれて小枝、
その先端に葉がつき実がなる。そしてそれが又落ちて、
肥料になって、新しく芽を吹いてゆく、というように
自然に伸びてゆくべきもの。
自然に伸びていって、それが分裂せずに自ら一つの
体系をなしてゆく。これでなければ本当の学問ではない。
われわれは先ず『大学』から始まって、
四書五経を教わった。それがある年齢に達した頃に、
自分から面白いなあ、なる程なあと考えるようになる。
最初は与えられたものだが、だんだんそれが生命化して来て、
よし、一つ儒教を勉強してみようと今度は自発的に読み出す。
孔子の伝記をやるうちにどうしても孟子をやらねばいかぬ。
今度は荀子(じゅんし)をやらねば気が済まぬ、
というようにだんだん枝葉に分かれて来る。
そうすると孫子・呉子(ごし)・韓非子(かんぴし)
などというものまで関連して来て、今度はそれに道楽をする。
斯様(かよう)に儒教を研究しながら、
年季をかけて道楽していると、自然とあらゆる
教学に入って来る。桃栗三年柿八年と言うが、
人間の学問はやはり二十年、三十年と
年季をかけて初めて生きた学問になる。
*安岡 正篤 おすすめの本(名言集):一日一言
六中観 [正篤 ]
忙中 閑有り。 苦中 楽有り。
死中 活有り。 壺中 天有り。
意中 人有り。 腹中 書有り。
甲寅正月 無以会同人 敬しんで呈す
亀井老契 座右
「私は平生窃(ひそ)かに此の観をなして、
如何なる場合も決して絶望したり、 仕事に負けたり、屈託したり、
精神的空虚に陥らないように心がけている。」と。
安岡 正篤(やすおか まさひろ)
1898年(明治31年)2月13日-1983年(昭和58年)12月13日)
陽明学者・思想家。
安岡には政界だけでなく、財界にも多くの心酔者がおり、
三菱グループ・近鉄グループ・住友グループ・東京電力など
多くの財界人をも指南していたとされる。
終戦時、昭和天皇自身によるラジオ放送の終戦の詔書発表(玉音放送)に加筆し
原稿を完成させたことから皇室からも厚い信頼を受けていた。
数々の伝説を残し、政界・財界・皇室までもが安岡を頼りにしていたことから
「昭和最大の黒幕」と評される。
安岡正篤一日一言 心を養い、生を養う
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人物を修める [ 安岡正篤 ]
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