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ココロの森

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ペンギンの涙

           



           ペンギンの涙




     I. 手紙

 
  ── ペンギンを探して欲しい。
     特徴は、青と黄金色の燕尾服。 そして 涙だ。
     詳しいことは、ラベンダー通りのパン屋の近くにいる
     すみれ色の服の少女にきいてくれ。
     2日後に彼女は街を出る。
     それまでにペンギンを探し出して欲しい。──


  こんな手紙が舞い込んできたのは、牛乳配達のロベックが僕の家に新聞を届けてくれた朝だった。
 『親愛なる トルオ=ナ=モクカ様』と青いインクで走り書きされた封筒の中には、
 手紙と一緒にペンギンの涙が一粒、同封されていた。

 「…… 誰だ?一体」

  友達、先生、親戚、ガールフレンド……
 この揺れる様な青い筆跡に 心当たりはひとりもいない。
 しかし、宛名はちゃんと僕の名前になっている。

 「ううん……。」

 僕は頬杖をつきながら、その小さな星空色に輝くペンギンの涙をじっと見つめた。
 すると、星空色の涙はくるくるとテーブルの上でワルツを踊り始めた。

   アン・ドゥ・トゥルア
   アン・ドゥ・トゥルア ──

 じっとそれを見ていると、何だか妙に寂しくなってきて、急にこのペンギンに会いたくなった。
 
 僕はラベンダー通りへ急いだ。  


  


     II. すみれ色の服の少女


  ラベンダー通りのパン屋の前に着いたのは、それから約7分後だった。
 すみれ色の服の少女は、手紙に書いてあった通り、そこに立っていた。
 まるで10年も前からそこに建てられているガラスの像のように、彼女はその風景に溶け込んでいて
 少しも動かないみたいだった。

  「……君 ペンギンを探しているの?」
  「ええ。」

 風のように透き通った声で彼女は答えた。

  「私、あの子をとても可愛がっていたんです。
   あの子はお散歩が大好きだから、毎日まいにち、朝・昼・夜の3回、
   一緒に近所をお散歩していたんですけど、それが昨夜、急にいなくなってしまって……。
   ずっと探し回っていたんですけど、どうしても見つからないんです。」
  「──ふーん、なるほどね。
   ……で、ペンギンの名前は?」
  「ラピスっていうの。」
  「ラピス、ね。」
 
 僕は忘れないように手帳にメモしておいた。

  「あの……」
  「ん?」
  「あと2日で見つかるかしら?」
  「さぁ どうだか。この町も結構広いからね。」

 彼女は哀しそうな瞳を僕に向けた。
 その瞳はあのペンギンの涙と同じ色をしていた。
 透き通った星空色の・・・

  「でも大丈夫。必ず見つけ出すよ。」

 思わず僕はそう言ってしまった。
 言ってしまってから まずいとは思ったのだが

  「本当?きっとよ。きっと見つけ出してね。」

 という彼女の言葉に、何故か力強く頷いてしまった。

  「ありがとう。」

 彼女は透き通る笑顔で微笑んだ。





     III. 香水売りの娘の証言


  「ペンギン?知ってるわよぉ!」
 
  意外にも、そのペンギンを見かけたという人は、すぐに見つけることが出来た。
 
  「あのペンギンったら本当に憎らしいのよ。
   すみれ色の香水ばかり、何処かに持っていっちゃうんだから。」

  香水売りの娘は、僕に香水の小瓶のたくさん入ったバスケットを見せてくれた。
 なるほど、桜色、レモン色、サファイヤブルー……さまざまな色で溢れかえる香水瓶の中に
 すみれ色のものだけはひとつもなかった。
 
  「昨日知らないうちに すみれ色のやつ全部取られちゃったのよ。
   今日こそは捕まえてやろうと思ってるんだけど、なかなか来ないのよね。全く…。」

 彼女はかなりイライラしている様だった。

  「僕も一緒に ペンギンが来るの、待っててもいいかな?」
  「ええ、もちろん。 捕まえるの、手伝ってくれたらね。」

 僕は彼女の隣に腰を下ろした。

  「ところで、あなたは何であのペンギン探してるの?」

 ライムの香水を耳の後ろにつけながら 彼女は尋ねた。

  「頼まれたんだよ。ある女の子にね。2日以内に見つけてくれって。」
  「ガールフレンド?」
  「いや、全く知らない人。」
  「変わった人ね。」

 彼女は笑った。
 
  「なんで?」
  「だって全然知らない人のために2日も棒に振るなんて。
   見つからなかったらどうするつもり?」
  「そしたら仕方ないさ。」

 彼女は大きな溜息をついた。
 僕も大きな溜息をついた。
 本当に見つからなかったらどうしようか。
 それにしても何で僕がこんな……

  「あらっ!もうこんな時間!」

 彼女は慌てて立ち上がった。
 
  「どうしたの?」
  「もう次の町にいかなくちゃいけない時間なの。ごめんなさい。
   今日はペンギンさん来なかったから これ、あなたにあげるわ。」

 そう言って彼女はさっきひとつもなかったはずのすみれ色の香水瓶をひとつ、僕に手渡して行ってしまった。





     IV. ロベックの殺意


   「あのペンギンを探してるんだって?」
 
  夕刊の代わりに牛乳を配達に来たロベックは、僕を見るなりそう言った。
 彼は香水売りの娘と仲がいいから、多分彼女から僕の話をきいたのだろう。

  「頼むよ、早く捕まえてくれよ!
   もうこっちは えらい迷惑なんだから。」

 彼も香水売りの娘と同じくらい、いや それ以上に怒っている。

  「今日の夕刊、全部喰われちゃったんだよ、アイツに。全部だぜ!
   俺、店長に何て謝ればいいんだよ。
   『全部ペンギンに喰われました』なんて言ったって 誰も信じちゃくれないよ。」
  「僕だって信じないさ。
   本当に あのペンギンが? 青と黄金色の燕尾服を着た?」

 ロベックが夕刊代わりに持ってきてくれた牛乳瓶のキャップのフタを開けながら僕は尋ねた。

  「ああ本当さ。俺はいつものように自転車の荷台に新聞を積んで店を出たんだ。
   暫く走ってふと後ろを見てみたら、あのペンギンがちゃっかり荷台に乗っかっていやがってさ、
   新聞喰ってんだよ。
   そりゃあ頭にきて捕まえようとしたさ。そしたらアイツ、空飛んで逃げちまいやがった。」
  
  「え? 空を飛んだのかい?」

 僕は驚いて聞き返した。

  「ちくしょう!アイツ、今度見つけたら焼き鳥にして喰ってやる!」
  「ちょ、ちょっと待てよ!おい!!」

 僕の声も耳に入らないほど怒っているのか、ロベックは荒っぽくドアをバタン!と閉めて出ていってしまった。
 部屋には 3分の1ほどの大きさになってしまった、食べかけの夕刊が残っていた。

  「まずいことになったな。 早く捕まえないと……。」

 牛乳を飲み干すと僕はベットに横になり、暫くペンギンを捕まえる方法を考えてみたが
 気がつくと もう夢の中を漂っていた。





     V. ペンギンと手紙の謎


  翌朝、僕はあのすみれ色の服の少女に会うことにした。
 ラベンダー通りには 2,3人の客、あるいは通行人の姿が見えるだけで、いつも通り静かだった。
 少女は昨日と同じ場所に、同じ姿勢で立っていた。
 まるで昨日別れた時から 少しも動いていないみたいに──。

  「ラピスは? 見つかりまして?」

 彼女に尋ねられて、僕は静かに首を振った。
 
  「そう……」

 彼女は下を向き、それきり黙り込んでしまった。

  「…… あの、さ。 あのペンギン…ラピスは、空を飛んだり新聞を食べたりするの?
   何かあちこちで イタズラしているみたいなんだけど ……。」
   
 彼女はうつむきながら静かに答えた。

  「ええ。空も飛ぶわ。お散歩の時もよく飛び回っていたのよ。
   新聞も食べるわ。きっとおなかが空いているだろうし。
   それに貴重な情報源なのよ。」

  ─ 情報源? コンピューターじゃあるまいし、データをインプットするみたいに
    ペンギンが新聞を食べるとでも言うのか? ─

  「じゃあ 香水も食べるのかい?」
  「いえ、香水は… 香水は わからないわ。」



  あちこち町中を歩き回ったあと、僕は町を一望できる丘の上に登った。
 ひょっとしたら、あのペンギンがまた何処かを飛んでいるかもしれないと思ったからだ。
 とにかく歩いて探すには、いくら小さな町でも広すぎる。
  一時間くらい、町の様子やその空を眺めていたけれど、ペンギンの姿は見えなかった。
 すっかり疲れ切ってしまった僕は 溜息をついて草むらの上に寝転がった。
  
 吸い込まれるような青い空を見つめながら、昨日からのことを思い返してみる。

   揺れるような青い文字の手紙、
   すみれ色の服の少女、
   新聞を食べるペンギン ──

 僕はポケットに手を突っ込んで、香水と涙を取りだすと太陽にかざしてみた。
 すみれ色の香水瓶の中で乱反射する太陽の光は まるでペンギンの涙のようだった。

  ──元はといえば、あの手紙を寄越したヤツがいけないんだ。
    変なペンギンを探す羽目になったのも、昨日の夕刊が読めなかったのも、
    疲れ果てて丘の上に寝転がっているのも、みんな…… ──

  「ヤツ自身も あのペンギンを探しているのだろうか?」

 僕はふと つぶやいてみた。
 そうだ、なにも僕一人でペンギンを探すことはないんだ。
 ヤツと一緒に探せば、意外と簡単に見つかるかも知れない。

  ──でも、あの手紙の送り主は一体誰なんだろう?
    誰も知らないよなぁ。ヤツの名前なんて…… ──

     !!
 
  僕はラベンダー通りへ走った。  
    
 
   
  すみれ色の服の少女はやはりそこにいた。
  少しだけ俯いて、さっき別れた時と同じ表情で……。

 「あの手紙の主は一体誰なんだ?」
 「手紙の……主?」

 彼女は少しだけ困った様な顔をして言った。

 「知っているけど ── 今は言えないわ。」
 「なぜさ?」
 「どうしても。でも…… 」

 彼女は 少しだけ、かなりしっかりと間を置いて続けた。

 「でも あなたがラピスを見つけてくれたら教えてあげるわ。」
 「それじゃ遅いんだよ。」

 僕は彼女に説明した。

 「僕一人ではあと一日でペンギンを探すのは無理だ。
  そいつと一緒に探せば きっとあっという間に……」
 「それは無理よ。」

 彼女は きっぱりと 囁くように言った。

 「どうして?」
 「あの方は自分で探しだすことができないから あなたに頼んだのよ。」
 「だけど……」

 僕の言い訳をきかず、彼女は涙ぐみながら言った。
  
 「お願い!早く見つけ出して!
  これはあなたの……あなた達みんなの命に関わることなのよ。」
 「いのち?! 命って、どういうことさ?」
 「お願い!! 明日中によ。明日中に必ず見つけてきて!」
  
 



     VI. 最後の捜査


   「あぁ~もう!わからないなあ。」
  
  僕はベットの上で36回目の寝返りを打った。

  ──なぜヤツは自分でペンギンを探せないのか、
    なぜ明日中にペンギンを見つけ出さないと 僕の、いやみんなの命に関わるのか──

  そんなことを考えているうちに、いつの間にか朝になってしまっていた。
 とにかく今日中にペンギンを見つけ出さなければならない。
 僕は服を着替えて外に出た。
  今日は昼間だけロベックの自転車を借りることにして町中を探し回った。
 細い路地や商店街、森の小道、川岸、噴水公園、郊外にある動物園のペンギン小屋……。
 昨日探した道ももう一度走ってみたけれど、青と黄金色の燕尾服を着たペンギンなんて何処にもいやしない。
 池で釣り糸を垂れていたオヤジさんやビラ配りの男、公園で砂遊びをしていた女の子、
 誰に聞いても青と白の燕尾服を着たペンギンのことなんて知らなかったし、
 ロベックや香水売りの少女、町一番の物知りのヌチカばあさんでさえもペンギンの行方はわからなかった。


  
   西の空が 茜色からすみれ色の夕闇に変わる頃、
   僕はひとり、とぼとぼとラベンダー通りに向かっていた。
  
   一体、すみれ色の服の少女に何と言えばいいんだろう?
   命に関わる、一大事かもしれなのに …… 。

   僕の足取りは 自然と重くなっていた。



  ラベンダー通りに着く頃には、もう空には星屑が一面に敷き詰められていた。
  あのペンギンの涙と同じ色の空 ──。

  パン屋はもう店を閉めかけていた。
 シャッターが半分だけ降りている店の オレンジ色の灯がすぅっと伸びて、
 すみれ色の服の少女の足元だけを照らしている。
 その7軒ほど先にある街灯の淡い青白い光に ぼんやりとシルエットを映しながら
 彼女は佇んでいた。
  
 瞬間、僕は逃げ出したい気持ちをやっと抑えて 彼女に声をかけた。

  「 …… あの …… 」

 彼女は静かに顔をあげた。
 そして僕を見ると 嬉しそうににっこりと微笑んだ。

  「ありがとう。 やっぱり探し出してくれたのね。」

 驚いてあたりを見回すと、僕のすぐ後ろに青と白の燕尾服を着たペンギンがちょこんと立っていた。
 星空色の涙が、通りにポツポツと散らばっている。

  「本当にありがとう。助かったわ。」

 僕は何が何だかわからなかったけれど、一応彼女に笑顔で応えておいた。
  
 彼女はペンギンを抱きかかえると、星空色の涙の粒を拾い集めた。
 ひとつひとつ、丁寧に拾い集めていたので、僕も手伝った。
 全部の涙を拾い終えると彼女は言った。

  「約束ですものね。手紙の主のこと、お話します。」
  




     VII. ヤツの正体


   「あの方は私の父です。 ──というより『サウィタ=ミネリ』です、と言ったほうが解りやすいかしら。」


    ── サウィタ=ミネリ ──
 
 この町に古くから伝わる神様の名前だ。
 
  町の北の方にある高い山の頂にはいつも笠雲がかかっていて、そこにはこの町の守り神である
   サウィタ=ミネリが住んでいる……
 
 ──僕がまだ子供の頃、ヌチカばあさんからそんな話を何度となく聞いた。
 子供の頃はみんなヌチカばあさんのこの昔語りを信じていた。
 未だにあの山には 不思議と誰も入ったことがない。
 しかしそれは 伝説が今でも信じられているからではなく、
 大昔からそこに必然と、当然のごとくある山に対して 今や誰も興味ひとつ示さなくなってしまっていただけだった。
 でも僕は 密かに本当かも知れない、と思っていたのだ。
 あの北の山の笠雲の中に 神々が住んでいることを ……

 「あの山の頂の雲の中には7つの泉があって、
  その中のひとつに『沈みの泉』っていう、病や災いの源が閉じこめられている泉があるの。
  その泉にラピスの涙をひと粒落とすと、泉の水はたちまち凍って、
  病や災いの源が下界にこぼれ落ちるのを防ぐことができるのよ。
  去年、隣町で悪い病が流行ったでしょう?あれがこの町に流行らなかったのも、みんなラピスのお陰なのよ。」

 彼女はペンギンの頭を軽く撫でてやった。
 ペンギン──ラピスは彼女の言葉を解っているのかいないのか、じっと彼女を見つめていた。

 「でも一昨日の晩、ラピスが過って雲の切れ間から下界に落ちてしまって……。
  ラピスの涙の効き目はたった3日間。
  3日のうちにまたひと粒、涙を泉に落とさないと 閉じこめておいたものがみんな下界に流れ出してしまって
  この町は流行り病と災いに侵されてしまうわ。
  それで父は考えたの。下界に暮す人間にラピスを探させようって。
  人間はもう、あの山の頂の伝説のことなど 忘れてしまったように暮しているわ。
  昔の賢者が、後々の世まで絶やすことなく伝えようと、苦心して作り上げた伝説を
  みんな嘘だと笑い飛ばしているわ。
  それが嘘ではないことを 父はどうしても伝えておきたかったのよ。
  でも伝説が嘘だと頭から信じ込んでいる人はダメ。
  かといって伝説をやたらと言いふらしたり、むやみにあの山に分け入って調べようとしたりする人もダメだわ。
  伝説を信じつつ、『真実』を『伝説』として受け継いでくれる人。
  それがトルオ ── 古代の言葉で『真実』の名を持つ、あなただったのよ。」
  

 「それならそうと初めから言ってくれればいいのに。」

 すみれ色の服の少女は黙っていた。

 すみれ色のハンカチに拾い集めた星空色の涙と短いメモを包むと、それをラピスの背中に背負わせるように括りつけた。
 そしてもう一度 ラピスの頭を軽く撫でながら、何かおまじないのような言葉をささやきかけて空に放した。

 ラピスは彼女の上空で ゆっくりと大きく円を描くと、
 北の山の笠雲の彼方へと 高く高く飛んでいった。
 
 僕たちは ラピスが見えなくなるまで見送った。

 
 ラピスが行ってしまうと 僕は尋ねた。
 
 「君もあの雲の中から来たんだろう? 一緒に帰らないのかい?」
 「── わたし、もう あそこには帰れないの。」

 彼女はそう言って 微かに微笑んだ。
 愛(かな)しすぎる笑顔が 僕の胸の奥を打った。

 「あの山の頂の雲の中のことを人間に話すということは、わたしたちにとって一番重い罪なのよ。
  …… ほら、私の足元を見て。」

  僕は自分の眼を疑った。
  彼女の足が、足元からまるで砂のようにさらさらと崩れ落ちていくではないか!

 「あなたには、いろいろ迷惑をかけてしまったわ。ごめんなさい。
  親切にラピスを探して下さって ありがとう。
  父も喜んでいるに違いないわ。」
 「君は… 君はどうなるのさ。君の命は… 」

 知らないうちに 僕の頬に涙が伝う。

 「私は神の遣いよ。神のお役に立てたのだから、私はちっとも悲しくないのよ。」

 砂はどんどん崩れていく。
 こぼれ落ちたすみれ色の砂が 急に吹いてきた北風に乗って高く舞い上がってゆく。

   ── そんな、そんなことって…… ──

  
 「最後にきっと、約束してね。
  このことは、『真実』は 誰にも言わないって。」

 彼女の姿は、もう霞のようにしか見えなくなってきている。
 崩れ落ちてゆく砂のせいか、それとも 流れ落ちる涙のせいか ……。

 「あなたなら、きっと… 約束を… 守ってくれるって、信じてる…… 
  だから ── 

 
   行くな!!

 
 声にならない声で 僕は叫んだ。
 風に流されていく最後の彼女を 必死で捕まえようとしてしがみついた。
 でも やっと掴んだ一握の砂も、僕の掌の中から水のように溢れ、
 そしてやがて 風の中へと消えていった。


  すみれ色の服の少女は もういなかった。


 パン屋のシャッターも いつの間にか閉じられていた。
 町はいつも通り、いや、いつもよりもずっと静かだった。


  彼女のいなくなった空を見上げると、眼の奥に残っていた涙がひと粒、こぼれおちた。
 
  それと同時に 流星が東から北の空へ
  あの北の山の笠雲の中へと消えていった。

 僕は思いだしたようにポケットを探ってみた。
 ポケットの、奥の奥に突っ込んであった、あの星空色の涙は
 いつの間にか消えてなくなっていた。

  僕の掌には すみれ色の香水瓶だけが ぽつんと取り残されていた。






                    - fin -


※ 高校3年 晩秋: 作  
    (2004.5.12 加筆修正)







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