ココロの森

2008/08/08(金)23:12

『池澤夏樹詩集成』池澤夏樹

読書のココロ(エッセイ・その他)(116)

池澤さんの小説のタイトルの半分ほどは、自作の詩中の一節だったのか と、 本書を読んで初めて気づいた。 処女小説『夏の朝の成層圏』をはじめ 『帰ってきた男』『星間飛行』など、 そのままを使っているものもあれば、 『真昼のプリニウス』『南の島のティオ』『骨は珊瑚、目は真珠』など 詩の世界をモチーフとしたものもある。 この詩集は 『塩の道』と『最も長い河に関する省察』という ふたつの詩集を一冊にまとめたものだけれど 特に前半の『塩の道』が印象深い。 小説同様、やはり奥深く、 選び抜かれ磨き抜かれた鋭い言の葉たちが 魂の奥へと突き刺さる。  - * - * - * -  ・・・(前略)・・・ 航跡とは少量の消える泡 水に痕跡を刻む事はつまりできない 青い第一幕から長々と続く波の喜劇に 同じ科白が二度出てくることはない すべて痕跡は卑俗な汚染 苦労のしるしが美田だろうと 山肌を削ろうと 塗料を用いようと 愚かさを映す鏡から 光は跳ね出して行ってしまう 水の方へ 波が来て濱を濡そうと試みた 水と塩が空気まで仲間にひきいれ 騒ぐ泡沫で身を飾りたて 手をのばしにのばして濱を覆いつくそうとした そして 遊びにあきた夕方の子供のように やがて帰ってしまった その遊びが 本気の攻撃にかわる時 砂の抵抗などものの数ではないのに 砂浜などは 朝ノ御霧夕ノ御霧ヲ 朝風夕風ノ吹掃フ事ノ如ク なくなってしまうのに おまえの蓄えが何になるというのだ (中略) うみからうまれたみだれ 乱れが秩序であり 秩序として乱れがあるという 永遠の相において想え            ( 塩の道「湘南海岸」より抜粋 )  * * * * * * *  ・・・(前略)・・・ かくも貴重なものを 捨てなくてはならない時 得る時と捨てる時 時が来ることを人はみな はじめから知っている 忘れたふりが通用する短い歳月 そしてその時に出会う時 波の体積と人間の筋肉は それぞれ別の暦に従う かなうはずはない 大きな愛を作りおえた肉体を やがて訪れる涼しい薄明 その方をおまえは 受け入れた (中略) 見あげれば 水面で屈折する真昼の光は 誕生の日の最初の光より なお美しかったろう だが おまえの目は もう 何も 見ない   * 五尋の深さ 珊瑚の骨 お前は死んだ 二週間 海はその肉体を 別のものに変えた       ( 『塩の道』「真昼の死」より )  - * - * - * - 「あとがき」で池澤氏はこう述べている。  『塩の道』は一人の青年が都会から海辺へ出て行って、南洋の島々へ渡り、  何かを探して島から島へさまよい、どこかで溺死して、再生する物語である。  そういう構成を考えながら細部にはめ込む作品を書いてゆくというのは  生来の詩人のする事ではない。  個々の作品が全体の構成を圧倒して突出するのが優れた詩集というものだ。  個々が突出しながらも全体としては美しい球形になっていれば、  それは一個のウニのように完璧な詩集である。 と。 氏の父親は、小説家・福永武彦氏だが 母親もまた、詩人であったらしい。 ご自身を『詩の落第生』と謙遜されるが それだけ「言葉」を見ぬく眼差しは鋭く、 その眼差しで射抜かれた言葉だからこそ この詩集は、美しい。

続きを読む

総合記事ランキング

もっと見る