散歩生活

2006/01/19(木)23:23

神はサイコロを振らない

タイプスリップものは珍しくもないのだろうが「10年」先の未来という設定が妙にリアルである。飛行機がフライト中に白い光に包まれ10年後に突如現れるのであるが、単に「帰ってきてよかった」ではすまされない。5年後ならば恋人なら「行方不明」の相手多分待っている。20年なら年が離れすぎてモウ仕方がない、あきらめもつく。ましてや戦国時代や22世紀だったら知る人もいない。しかし10年ならどうか。知ってはいるが10年間の間に何があったのか、微妙に疑心暗鬼になれる年月である。 タイムスリップした男はそのまま若いが、待つ女は28歳から38歳になっている。男は10年歳を積み重ねてしまった女を受入れるのだろうか。黒木瞳なら結論は早い、そのまま行ってしまえ、である。ここが小林聡美というのがまたいい、丁度判断の瀬戸際にうまく均衡して乗っているのである。本人もまだ十分開き直るには色気を残している。理性は「向こう側」を受入れろと言っているのであるが、心はまだ精神のルビコン川を渡り切れていない。 ドッグイヤーなどという言葉が生まれ「10年一昔」、ということ自体が大昔になってしまった感があるが、どうして、10年の短さと長さを改めて我が身に置き換えて振り返るとやはり何か、一つの単位である気にさせられる。外為ディーラーの間では「10分一昔」とも言うらしいが、人生における「単位」とは一つの不可逆的不連続感を納得せざるを得ない長さ、なのだろう。

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