カテゴリ:ヨーガ
何年か前にインナーチャイルドを癒そうと瞑想したら、抱きしめてみた小さな自分は娘のSARAそのものでした。
娘の上にかぶせてたんだなー、自分の満たされなかった思いを・・と、その時気付きました。 『メトロミニッツ』6月20日号で藤原新也さんの興味深い記事がありました。 子どもの人格を見ないで、自分の思いだけを子どもにかぶせて育ててしまうケースも多い。 母親の子どもに対する過干渉。 そして、「自分」をなくして自立できない子ども。 そんな母がでてくるのもパートナーである「父」という存在の希薄化。 母(彼女自身もその母の愛情に満たされていない)への育児に対する社会からの大きなプレッシャー。 確かに、子どものアレルギー、病気、全部、母のせい。 頑張っても頑張っても、欠点をつつかれたり、勝手に評価されて・・ やってらんない。 ヨガクラスにはそんな疲れた母もやってきます。 母は評価や物の分かったような助言を求めてるわけではない、 ただ、自分の心の拠り所を見失いかけ、何かすがりつけるものを探しているだけ。 周囲のプレッシャーに母は押しつぶされそうなのだ。 無防備になれる場所、自分と言う人間をすっぽりと受け入れてもらえる場所を求めてる。 そんな感じがする。 ともかく、可愛がりすぎが虐待と同じく、自己の満たされない思いの現れと気付いて3年余り、娘も成長し、一個の人格がはっきりしてきました。 自己主張の時期。 赤ちゃんの時って、割とこちらの一方的な思いを裏切らない。 だから、一方的に愛を押し付けても割りとすんなり受け入れてくれる。 ベビーカーに乗せれば、どこへでも母の行きたいところにガーッ。 気分のいいときに「好きよ♪チュ」とすれば、嬉しそうに「エヘ」 授乳やオムツ替え。といった「世話」がやけるだけ。 それが、成長してくると、個と個のぶつかりあいになってくる。 その辺りで、母親も飼い犬に手を咬まれたかのように、我が子に対してでも感情的になってきてしまう。それまで「自分の分身」と思っていた「我が子」の分裂、独立に対して母親が受け入れ態勢を取れなかったりするから。 自己主張は、子どもの自立に向けた大事な成長過程。 それを押しつぶさず育てたい・・と思いつつ、現実は、 ひぃひぃ・・タイヘンよ~(笑) でも、なるべく妥協点を探していくようにしている。 最近、保育園の帰り5時や6時に公園で遊びたがる娘。 「公園行くのぉ?早く帰ろうよ~」 「何で早く帰らなきゃいけないの?」 「う~、夕飯の準備があるし・・夕方は蚊が出てくるし・・」 自分で答えながら娘の強い思いに比べたら、大した理由でないな~と 「じゃぁ、10分だけ遊んで帰ろうか」 「うん」 なるたけ、お互いの妥協点で落ち着けるようにしています。 パパからすると、「キミが折れるからそれを見込んでダダをこねるんでしょ」 そうかもしれないけど、大した事柄でもないのに大人が高圧的に子どもの主張をねじふせることはしたくないな・・と思います。 子どもも自分の気持ちや思いをちゃんと親に主張できて、 お互いの考えてることを言い合って、 お互いが歩み寄れるよう考える、そんな姿勢で行きたいです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2006年07月19日 00時47分08秒
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