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カテゴリ:令和の歴史散策
天塩町市街地の北西1.5㎞。オロロンライン道道106号線沿い。北海道では石狩川に次いで長さ2番目の天塩川。その河口に近い標高7~8m沿岸砂丘に広がる風景林の中に集落跡は発見された。北海道は当時、お米を作れなかったので狩猟民族。
(↑)道道106号線脇に20台ほどの駐車場。案内図あり。いざ!再現された住居を見に行く。 (↑)1.5㎞の長さに230基!!!そんなにも竪穴式住居があったと説明されている。オホーツク文化の竪穴もあったらしい。続縄文の土器や石器は天塩川歴史資料館に保管されているとの事。 (↑)楢の樹林に散策路は直線とカーブで繋がって居た。遺跡の住居跡が沢山、残る直線の散策路をピストンした。手入れが行き届いた広い道の両側、その樹林には確実に住居跡と思われる大きな穴が開いている。最初は数えながらその穴を探して居たけど4.5軒がかたまって居たり大木の陰だったりで訳が分からなくなった。総数230基だから凄い人数が北の地で暮らしていた事になる。 (↑)1000年から1200年の間で擦文時代のもの。擦文は7世紀から13世紀までの縄文後期で北海道だけの歴史。本州は飛鳥時代から鎌倉時代の頃。これらの知識も縄文時代に魅せられたお陰で習得。 (↑)復元された住居を覗く。復元・・・と解っていても胸がときめく。 (↑)内部の様子。寒さ対策で床は深く掘り下げられていた。ロマンで胸が一杯になった川口遺跡でした。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2020.11.25 16:56:23
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