|
カテゴリ:令和の歴史散策
夕方5時過ぎの松前城は貸し切りで係りの方が車で観光してもいいとの事。今年はコロナウイスの影響で松前桜祭りも中止。それでは遠慮なく乗ったままの観光。
(↑)日没近い松前城 別名は福山館 国内最後の日本式城郭 明治元年に旧幕府に・・翌年は新政府に・・天守だけになり後に国宝となる。昭和24年役場の火事の飛び火で焼失。約10年後に再建され現在に至る。 (↑)早咲きの桜が満開 (↑)美しい南殿 (↑)冬桜 (↑)紅白で満開の桜 (↑)お堀に映る松前城。昭和59年頃、桜見物に来ているので今回は36年振り。城下通りは江戸時代の松前藩の街並みを200mに渡り再現し2006年の完成。今回初めて知った事の一つ。 (↑)松前神社 松前藩の祖である武田信広を祀る。 (↑)松前藩の墓所と大欅 欅は此の前月、筑後市の船小屋温泉に泊まった時、傍を流れる矢部川辺りを散策したら巨大な欅の林が延々と続いていた事を想い出した。欅?・・・樟? (↑)孟宗竹の林があるのは北海道広しと言えども此処くらい。5時半になるのでチェックイン。 (↑)消失前の松前城 宿のロビーが資料室の様だった。松前藩の本物の甲冑、生活用品、家紋入り提灯と目を見張る。廊下も然り・・・部屋も二部屋続きでまあまあ、食事は地元の食材が美味しく大満足した前夜、緊急事態宣言が出た。朝食頂くレストランには今週末から臨時休業しますの張り紙。食後7時過ぎには松前町の城下通りを眺めながら出発。 (↑)ヨシ島と大島 大島で採れた海苔が宿の食事に出ていた。しばし海岸線を進む。 (↑)10時前、展望が日本一のキャッチフレーズ「道の駅もんじゅ」は素晴らしい眺め。 (↑)国史跡 勝山館跡ガイダンス施設 若い学芸員さんの丁寧な案内に感激。貸し切りです。 (↑)200分の一勝山館のジオラマ ガイダンス施設はほぼ山頂の夷王山直下にある。施設内はかなり濃密でアイヌ人や中世和人の暮らしが忠実に再現されている。特にお墓はリアルな型取りで主人の夢に出るほど刺激的だった。館とは山城を意味し道南には12あったがアイヌとの「コシャマインの戦い」で残ったのは此処ともう一ヵ所だけ。ガイダンスの後は実際に史跡の散策です。 (↑)かなり下って来て振り返るとガイダンス施設横の夷王山が砦越しに見える。 (↑)発掘調査は20年にも及び中国の陶磁器、アイヌ人の木製品など膨大な数の出土品。更に、建物、井戸、橋、空濠と中世都市の重要な役割を果たしていたようです。15世紀後半に築城したのは松前の祖、武田信広と上ノ国町のホームページにある。この方は松前神社に祀られている。 (↑)客殿跡と白い遊楽部岳 日本最北の交易拠点となって居た勝山館。同時期にアイヌ人とも暮らし至る所にお墓が混在しているのが特徴。散策路に白い杭が多数並びそれらは全てお墓との事。 (↑)搦手門からガイダンス施設を振り返る。 大手門は表で搦手は裏。勝山館の両側は深い沢で天然の堀の働き。15世紀から16世紀にかけて空堀が沢山掘られ厳重な作りになって居る。 (↑)散策路に入って居ない遺跡を見下ろしながら坂道を登り返して行く。 (↑)登り詰めて今度は夷王山を目指す。登山道と変わらない踏み跡を200m。 (↑)夷王山から見下ろす勝山館跡。山頂の夷王神社に見守られた暮らしぶりが想像できる。 (↑)ネコヤナギ満開の夷王山斜面。主人も遅れて到着した夷王山の山頂。夷王神社はあの鳥居から4.5mしか離れていないのに足が止まり息を弾ませて勝山館跡を見ていた。神社に辿り着かないもどかしさと良く登ってきたもんだと感心する気持ちがごちゃ混ぜ。 (↑)1時間滞在の勝山館跡。学芸員さんに野幌の北海道埋蔵文化財センターに度々、訪れる話をしたら彼はそこに居ましたと言う。見知らぬ土地で身近な話題を共有出来て嬉しいひと時でもあった。 (↑)上国寺 1560年建立 北海道最古のお寺で国の重要文化財。 (↑)11:57 上ノ国町を出る。振り返ると小高い丘の上に勝山館跡がジオラマの様に見えた。朝、松前からソーランラインを走り上ノ国町で正午と有意義な半日。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2020.12.07 14:40:20
コメント(0) | コメントを書く
[令和の歴史散策] カテゴリの最新記事
|