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山歩きは好歩(スキップ)して四季折々・・・登山日和のFOOTMARK

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syokann@ Re[2]:5月の山・・・手稲山 シラネアオイ満開(05/23) ロンリーザックさんへ 2021年11月6…

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2024.11.16
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カテゴリ:令和の歴史散策
10月20日 新宿で札幌からの娘と合流しキッズ2名大人4名のパーティでロマンスカーに乗る。午後2時過ぎ箱根湯本駅に到着したら観光客で温泉街は凄い賑わい。早々に坂の上の宿に向かい早目にチェックインだけ済ませて解散。一人で大好きな散歩に飛び出たら背後から夕食までに戻るようにと声が聞こえた。

(↑)そんな宿の玄関先で勝海舟邸の灯篭を見た。歴史が至る所で反映される都度、感動する道民。宿を出てすぐの曲がり角に「早雲禅寺」の案内板を見た。坂を下ると人ごみに押し潰されるので標高を保ったまま歩く事、数分で・・・

(↑)早雲禅寺 小田原城主・北条早雲の為に息子の氏綱が1521年に創建したとの事。石庭も素晴らしいが御朱印は頂けなかったのが少し残念。本堂襖絵が有名10月4日に公開されていた。

(↑)北条5代の墓 広い墓地に足を踏み入れたら外国人が何人か居たがそれでも静寂に包まれている。

(↑)白山神社 早雲寺のやや向かいにある。天照大神の叔母に当る姫が降臨し地域を守ったと書いてある。縁結び、芸能の神様としても信仰されている。

(↑)白山神社の大岩 鳥居をくぐった先の斜面に大きな岩が鎮座している。太閤秀吉が小田原攻めの折り大岩で休息して1566年の石垣山一夜城の構想を練ったとの事。そんな大岩を素手で触れてみた。ちなみに此の大岩はどんな震災でもびくともしなかったとある。・・・深い森が迫るそれは静かな空間。

(↑)坂を少し下り温泉街には近寄らず須雲川の右岸、滝通りを登って行く。玉簾神社に行こうと思い玉簾橋を渡ったらすぐホテルの中に吸い込まれ戸惑ったままピストン。戻って滝通りを又、散策。

(↑)箱根観音福寿院 此処は石段が長い。そのてっぺんに旗が派手にひらめく小さな寺院があった。

(↑)箱根旧街道の入り口 福寿院の石段を登り詰めた先に看板が立っていた。!!!目的地の一つで此処からも歩けると知りワクワク・・・

(↑)これが!!!!・・・旧箱根街道 此の石畳の道は江戸幕府が1680年に石で舗装し現存している255m!!!苦労して完成させたであろう歴史の刻まれた道で国の史跡。

(↑)一枚一枚に息吹を感じる。不思議な感覚で一歩一歩進む。

(↑)横の石垣も往時のまま・・・どれほどの人々や駕籠や馬が歩いた事か・・・

(↑)道幅は林道より狭くて斜面でもある。たった255mの浪漫だったけど何よりも素晴らしい経験が出来て嬉しい。縄文時代も好きだけど実在した名前の残って居る時代の暮らしに触れるのは一味違う。

(↑)馬の飲み水桶 最後に石畳を抜けたら目に入った井戸・・・と思ったら当時、山から引いた水で常に満たされていたとの事。

(↑)馬立場 飲み水桶の辺りは昔、街道を往来する馬立場で馬子が休息した処。

(↑)石畳を逆走して来た事になる。上の道は旧東海道・・・

(↑)箱根の山越えした馬の気分を想像しながら見上げる。さて今度は此処で早雲通り(旧東海道)に沿って緩く下って行く。次は正眼寺を目指す。

(↑)正眼寺(しょうげんじ) 3大仇討ちの一つ曽我兄弟の伝説を伝える古刹。鎌倉時代の1193年・・・18年振りに父の敵を討った曽我兄弟は2歳違いで享年22歳と20歳。桜が有名らしい。

(↑)槍突き石や裏山に回れば観る事が出来た曽我堂。石造大地蔵は大きくて(ハッと思い浮かんだのは湯婆婆の坊に似てる)驚いたが何故か画像が無い。水場は記憶にあるけど足湯が有るらしい。多分、あの水場が足湯だったのか・・・

(↑)一旦、宿に戻りまだ時間が早いので温泉街に下る。歩いていたので喉が渇きちょい飲みしたくて目が勝手に探す。するとショーウインドウに素敵な茶碗を見つけた。丁度、主人のお茶碗を探していたので店内で買い求めると「波佐見焼」との事。軽いしデザインもいい素敵なお土産。再び雑踏にもまれていると我がメンバーに見つかった。一旦は巻いてみたけど向こうは人数が多い。観念して一緒に宿に入る。それでも若干、時間がある。夕食は5時半!と叫ばれながら表に出たらナント宿の目の前にbarがあった。灯台下暗しでカケツケ2杯ビールビール30分後の夕食コースが約2時間で再びあのbarに戻ったら外国人で一杯だった。めげずにビール・・・充実してたあ~





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Last updated  2024.11.16 14:47:20
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