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山歩きは好歩(スキップ)して四季折々・・・登山日和のFOOTMARK

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令和の歴史散策

2021.01.26
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カテゴリ:令和の歴史散策
近郊の低山に行こうと思っていたけど天気予報が外れた。おこもり生活で読書三昧の日々を送り過ぎ目がショボつく。遠くを見なくては・・とブランチ後にチョイスしたのは先月もやって来た開拓の村。

(↑)漁村の部 マッサンの撮影にも使われたニシン御殿を見学。週末だけど人影は少ないし広いし蜜は全く感じられないいい処。

(↑)数日前に夕方のテレビで訪れていた旧信濃神社でパンパン!先月訪れた時は野幌森林公園の散策と北海道埋蔵文化財センターも立ち寄ってからだったので途中で帰ってしまった。

(↑)今回は改めて全部見学で約4時間歩き続けいい運動になった。休憩した食事処も閑散としコロナ対策もバッチリ。屯田蕎麦も美味しかった。一息ついて見学忘れを巡ってから車で北海道博物館に移動。閉館は4:30との事で旧石器時代から明治時代までタイムスリップする事、約2時間。縄文土器もあり此処も蜜が無く大層気に入った。






Last updated  2021.01.26 15:24:51
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2020.12.16
カテゴリ:令和の歴史散策
今月も野幌森林公園にやって来た。先月、埋蔵文化財センターの国宝レプリカ「中空土偶」は道庁に貸し出され会えなかったのでリトライ。荒れる天気予報の中、散策には問題なかろうと・・・

(↑)開道100年を記念して完成した高さ100メートルの北海道100年記念塔。解体かぁ・・・眺めながら左の森に入り散策路から橋を渡ると・・・
(↑)白樺林の中に芸術的な塀が現れる。

(↑)入場無料と思えない程の立派な北海道埋蔵文化財センターにお邪魔します。入り口に鎮座するのは黒曜石の原石。旧石器時代の貴重な道具となった天然ガラス。

(↑)1時間も館内でタイムスリップ。中空土偶の「カックン」は帰宅していた。目立つ場所で箱入り娘そのものツンとすました独特の表情。帰りに縄文土器のミニサイズ用キットを頂いて超嬉しき。

(↑)散策の続き。久し振りに「瑞穂の池」を見て「開拓の村」横から「北海道博物館」経由しようと思う。日当たりの良い所は散策路が泥んこで汚いそれでもまだ天気が持っている。

(↑)無雪期の瑞穂の池は初めて。此処まで殆ど、人に出会わなかったけど休憩中の方が数名。

(↑)次は階段を上り返して「開拓の村」方向に向かう。近くにフクロウの樹があるけど今日は留守だった。代わりに鷹かトンビが小鳥を捕獲した瞬間が散策路脇の草藪に展開しびっくりした。途端に野鳥がアチコチで囀り出し耳に優しいあの声も生存競争の果てだったのかと・・・

(↑)原始的な森林公園にはキノコの予感。もっと早い時期なら楽しかったかも。

(↑)少し登り返しがあるので気温が下がっても体は暖かい。

(↑)開拓の村から時折り歓声が聞こえる。入場したのは30年位前だったような・・・その後も入ったような記憶が定かでないまま散策で柵越しに眺める処になって久しい。

(↑)開拓の村は無料なのでは?と思いつきでやって来た。800円が0円であっさりと入場。2007年に博物館相当施設に指定されたとの事。65歳以上が無料ならもっと早く気が付けば良かった。

(↑)有島武郎宅のデスク 一軒、一軒覗くと必ず「靴を脱いで下さい」と当然、書かれている。それが面倒で玄関先から首を伸ばして見学していたけど此の有島武郎宅は別。生まれ出づる悩み、或る女・・・読んだ作品を口ずさみながら靴を脱いで奥に入ると壁に大きな家族写真と年表が張られ見入る。ケースの中には最後の作品のページが開いていたのでついガラス越しに暫く読んでしまう。ハッ!見学も始まったばかりと我に返り急いで玄関に行ったら有島武郎の家に自分の靴があって驚いた。 その後も開拓当時の粗末な小屋や馬の駅舎を見学すると建物内でドラマ仕様のアナウンスが自動的に流れる仕組み。外は丁度、雪混じりの風が強くなりヒュウヒュウと唸り出して音響効果抜群だった。寒くなって来たしセンターに戻ると大根が50円。100円玉しかないので仕方なく2本買うと受付の方が走って来て小さいのはタダだからと3本差し出されたが1本頂き開拓の村を出た。車は百年記念塔前の駐車場なのに大根3本抱えて歩く羽目に。なのにシニア男性と出会い大雪山系の話に花が咲き雪が本格的に舞ってから解散した。腕が痛くなった大根は美味しく大根おろしと漬物に。






Last updated  2020.12.16 11:32:13
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2020.12.13
カテゴリ:令和の歴史散策
最終日の朝8:30。チェックアウトは混雑で時間が掛かった。熊野市の海岸沿いに世界遺産が4つあるので伊勢に向かいながらの見学。道端に柿の直売所がありご近所さんが購入中。道民には採れたてが安くて羨ましい。

(↑)道の駅「熊野 花の窟」花の窟ハナノイワヤ神社は道の駅が駐車場。茶屋を縫って進むと・・・。

(↑)世界遺産、「花の窟イワヤ神社」の鳥居。まだ9:00なので参拝する人影もまばら。

(↑)木立の中、幟は日本最古の神社をアピール。花を供えて祀ったのが神社の名の謂れで日本書紀にも出て来る。見学を楽しみにしていた神社でもあり境内の空気に身が引き締まる。

(↑)稲荷神社もある。手水舎の横にはご神体の巨岩から落ちて来たとされる・・・

(↑)まん丸い大岩。体の痛い部分をさすってからこの石に触れると痛みが和らぐのだとか・・

(↑)此の鳥居の先にはとてつもない巨岩が聳えていた。その巨岩こそがご神体。

(↑)高さ45㍍の巨岩ご神体は視界に収まり切れない。前日参拝した神倉神社の巨岩が「陽石」でこちらが「陰石」との事。どちらも圧倒される。

(↑)巨岩のてっぺんには日本一長い170㍍の綱が渡されそこに不思議なものがぶら下がっている。縄が3本ずつ組まれ日本神話の三神で太陽の神・アマテラスオオミカミ、月の神・ツクヨミノミコト、暗黒の神・スサノウノミコトを現す旗縄でした。此の画像には見当たらないけど扇も下げるらしい。

(↑)大岩の真下には三神の生みの親であるイザナミノミコトが祀られ花の窟神社の主祭神。神話ではイザナノミコトとイザナノミコトは兄弟で共に日本の国を作った神様。確か・・淡路島が最初に出来て日本の形となり、その後に神様たちを産んだとされる。社殿が無いのは自然信仰の現れ。

(↑)その真向かいにはやはりイザナミノミコトが産んだ火の神カグツチノミコトの小さな祭壇があった。火の神を産んだ時にイザナミノミコトが焼け死んだと神話にある。高さ12㍍程の岩山。

(↑)狛犬と社務所   

(↑)黄泉がえりの日本最古のパワースポットに佇む・・・・

(↑)小さな社務所ではさらさらと素敵な御朱印を頂いた。次はすぐ近くの獅子岩に移動。

(↑)七里小浜に高さ25㍍の奇岩。国道脇に小さな駐車帯があり案内板を斜め読み。

(↑)世界遺産 獅子岩 海岸は日本一長い砂礫浜。散策している人が居る。熊野灘の荒々しい海には近づかない方がいいらしい。次は同じ海岸線の鬼が城へ移動。

(↑)工事中の鬼が城トンネル570㍍を抜けたら右に鬼が城センターと広い駐車場がある。

(↑)世界遺産 吉野熊野国立公園 鬼が城 早速、歩き出したら一人だった。

(↑)広い空間は千畳敷

(↑)波の音が聞こえてきそう。

(↑)奥の木戸 今日は此処までしか歩けない。

(↑)日本百景、天然記念物でもあり見ごたえのある奇岩景観。

(↑)その先に釣り人が居た。奇岩に沿って延々と道は西に続く。

(↑)此の景観をあの母子にも見せなくっちゃ‥そんな思いで引き返す。

(↑)崖の先にも釣り人が居る。

(↑)波が此処まで来るとは・・・

(↑)丸で鬼の横顔のような岩。迎えの為に駐車場に戻ると娘は車の中でスマホタイム。孫娘は鬼が城センターの広い売店でショッピングに余念が無い。母子を強引に誘い再び鬼が城散策。短時間で二回も見学できて幸せ気分。孫娘は大きな紙袋一杯にお土産購入。私は別棟でシラス丼と鮪丼をテイクアウト。此の時のシラス丼は翌朝、夫の朝ごはんになった。

(↑)正午に伊勢のレンタカー返却予定でピッタリ到着。列車の時間までランチに。熊野の宿から部屋に娘の洋服を忘れているとの連絡あり!私も冷蔵庫に缶ビール置いて来た雫処分をお願い。

(↑)外宮参道を再び歩き網元食堂に入る。

(↑)伊勢うどん 昔、伊勢参りに何日も歩いた旅人の胃を労わる為に柔らかいうどんとなった。

(↑)伊勢ラーメン お腹が空いて居なかったので取り分けて食べた。

(↑)13:24 伊勢志摩ライナーサロン席 時間ギリギリに買って来た娘の珈琲。またもやお土産を購入し孫娘の席は散らかり放題。名古屋まで2時間、名古屋からミュースカイでセントレア空港。

(↑)2時間のタイムラグで一旦、出発ロビーを出て空港内のレストランでビール孫娘は夕食にパクついていてもまだ忘れ物に気づいて居ない。伊勢のレンタカーから忘れ物の連絡あり。もぎたてミカンとスタイリッシュ瓶入り梅ドレッシング・・・使って下さいとプレゼント。あちらは大喜び。娘とこれで最後にしたいねと祈りの言葉も空しく・・・無事、自宅到着した夜の9時過ぎ、孫娘から大量に買ったお土産が見当たらないと泣きつかれた。画像をめくり電車と判明。サロンカーに忘れていた。後日、めでたくご帰還ヤレヤレ・・楽しかったテーマのある旅。






Last updated  2020.12.13 16:19:00
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2020.12.08
カテゴリ:令和の歴史散策
伊勢詣での次は熊野詣で。ナビがあっても見知らぬ土地はもたつく。伊勢を出て一つ先からやっと自動車道に入ったのでロスタイム発生。三重県伊勢市から娘の運転で紀勢自動車道を尾鷲に向かうと途中で高速道路が一旦、途切れていた。

(↑)12:48 熊野川に架かる橋を走行中に和歌山県新宮市に入る。熊野三山の一つ速玉大社があるので早速の参拝。

(↑)熊野川沿いの広い駐車場から歩くと世界遺産の速玉大社境内でフルーティな香りが漂う。

(↑)何やら嗅いだ事も見た事も無い大木が数本。綺麗な花が満開で香りがそこから来ていた。

(↑)その境内で目に飛び込んだのは南高梅とミカン売り。此処は紀州だった。もぎたてミカンは北海道で味わえない。一袋買ったら300円。安い!!!!そして香りの大木はやはり北海道には見当たらないキンモクセイだと教えてくれた。此の時のミカン・・・レンタカーに置き忘れた。

(↑)速玉大社ハヤタマタイシャ 鮮やかな朱色が目に飛び込む。朝から参拝して来た伊勢神宮のモノクロな雰囲気とは真逆の社殿が建ち並び荘厳さに圧倒される。

(↑)人生蘇りの熊野速玉大社は超絶パワースポット。主祭神はイザナギノミコトで男性。

(↑)即位の礼の頃

(↑)熊野権現はお隣の神倉神社が旧宮で此処、速玉大社は新宮。新宮市の名の由来。

(↑)御朱印は500㍍離れた神倉神社の分も此処の社務所で頂いた。次は神倉神社に向かう。

(↑)新宮市の市内を15分程で神倉神社の駐車場。この橋はこの世とあの世を繋いでいるとか。

(↑)538段の石段は源頼朝寄進の鎌倉式で息を飲む激的、垂直な急こう配。お賽銭箱は下にもあるので登れなくても参拝できる。

(↑)登る前、想像以上に崖のような石段で不安になった。しかも不揃いこの上ない。振り返ると下に居る人の頭のてっぺんが見える。どうやら5.6段でため息ついているらしい。

(↑)途中に千穂の峰登山道とあった。時間があって肩の故障が無ければ登って居る。ちなみに神倉神社は千穂の峰の一角にある。

(↑)標高120㍍の神倉山の山頂に巨岩。天の磐盾アマノイワタテと言われるゴトビキ岩がご神体。神話では神武天皇が東征で登ったと・・・

(↑)神倉神社はそのゴトビキ岩に密着して建っているので異様な雰囲気。

(↑)此の神社はどうしても参拝したかった。そもそも速玉大社と神倉神社はセットのような存在。神倉山は熊野三山で最初に神が降臨した場所と言われる。故に此処が超、超絶パワースポットだった。後で知った情報で御朱印に神倉神社の方は熊野三山元宮と書かれるとの事。で・・遅まきながら頂いた御朱印を確認したら確かに元宮と書かれ横に天磐盾アマノイワタテとある。巨岩信仰から始まる神倉神社のゴトビキ岩が陽石で近くにある花の窟神社ハナノイワヤの大岩が陰石と言われる。日本神話も歴史もとても面白い。

(↑)神倉山から新宮市を一望。太平洋と熊野川を見下ろす。

(↑)左が火神社で右が中の地蔵堂の画像 登りも下りも撮影したけど右横の木が全体に白い煙に包まれているように見える。特に登りが顕著で此の神社に向かう孫娘を煙が包み込むように写っていた。これは下りの画像。調べてみたら神倉神社は「火の祭り」で有名だった。火の無い所に煙が立つ筈。

(↑)下りは鎌倉式石段を避けて女坂を利用。ところが階段が無いだけで勾配はやや同じ。草付き坂にロープがあっても石につまづき孫娘は派手に転んだ。此処は登山並みの体力が必要。

(↑)神倉神社の橋を渡ってこの世に戻ったら道路脇で地元民が寛いでいた。「あの学校の体育館、日本一古い木造だよ」と仰りながら指差した。後日調べたらスタジオ・ジブリ時代の宮崎駿が見て感激した建物とあった。確かに味がある。神倉神社からは一路、本宮町の熊野本宮大社に向かう。

(↑)熊野本宮大社クマノホングウタイシャ 新宮市から熊野川に沿って50分。駐車場近くには食事処もあり一層、人が多い。杉木立ちの中に158段の石段と凄い数の幟。

(↑)熊野三山は浄土への入り口とも言われ参拝する事で人生の蘇りの地とされている。

(↑)檜の皮葺き屋根 第1殿から4殿まで横並びで案内板に拝殿順序が書かれていた。

(↑)第4殿 天照大神が祀られている。

(↑)第3殿がスサノウノミコトで主祭神。

(↑)亀石 パワースポットで触ると金運が上がる と言われる。

(↑)大黒石 亀石と同じパワースポット。

(↑)八咫烏はより良い方向に導いてくれる。お参りの後、小腹も空いたのでお食事処に立ち寄る。此処で甘党の孫娘は北海道ソフトクリームをオーダー。此処で?いかがなものかと・・。15:00最後の那智山に向かう。一旦、新宮市まで戻り那智勝浦に向かう道にはミカンの無人販売があり気になる。

(↑)16:51 熊野那智大社に到着。那智山スカイラインはくねくね道なので娘から運転のバトンタッチ依頼。肩の故障でバックは出来ないけど前進なら問題無しで交代しパーキングで乗り捨てした。駐車場はもう無人で料金も掛からない。

(↑)拝殿 拝殿の奥に本殿が第1殿から第5殿まであり普段入場参拝は出来ず正式参拝のみ。

(↑)世界遺産の御本殿域。イザナミノミコ(女性)が主祭神。明治の大洪水で大斎原に今の8倍あった社殿が流されこの地に移動。大齊原オオユノハラには今でも大鳥居が残っている。

(↑)導きの神様3本足の八咫烏が祀られる御縣彦社ミアガタヒコシャ。御朱印は那智大社にて御縣彦社の分も頂いた。17:00 ギリギリでも社務所が空いていたのでホッとした。

(↑)右は第6殿かと・・・

(↑)八咫烏は初代天皇を奈良まで道案内し終え那智山で石になった。との事で「烏石」が本殿の境内にあるらしい。今回の熊野三山詣での中、一番、気持ちを込めて参拝した記憶あり。

(↑)樹齢850年の欅はご神木で胎内巡り出来る県の文化財。余りの太さと地下室に通じるような胎内巡りのトンネルのような根元に驚いた。時間が無くて出来なかったのが心残り。

(↑)那智山熊野権現 熊は上と同じ意味でこの地は上座との案内板があった。

(↑)大黒天堂の龍の細工が素晴らしい。

(↑)青岸渡寺セイガントジも世界遺産。7世紀に仁徳天皇創建・・・織田信長の焼き討ち・・・豊臣秀吉の再建で桃山時代のよき香りがする。是非とも見たかった建物。那智大社の社殿も同じ運命。

(↑)青岸渡寺と右奥の朱色は大黒天堂。娘も孫娘も熱心に見学している。

(↑)時間も押しているのに青岸渡寺から離れられない。

(↑)那智の滝と三重塔 手前に巨大な枝垂桜。

(↑)青岸渡寺前の巨木はタブノキ 県の天然記念物。名残惜しくそろそろ那智の滝へ。

(↑)17:28 薄暗くなった参道の階段を下って行く。

(↑)落差133メートルの世界遺産 那智の滝 この滝の上には数え切れない滝があると言う。此処は一の滝。時間切れで御朱印は頂けず残念。独り占めで那智の滝を見上げていた。何故かあの母子は車から降りなかった。歩き疲れたらしいが代わりに何処かで見ていたらしい駐車場の管理人が現れて500円徴収されていた。17:33 今夜の宿は熊野の「K〇〇〇」夕食の時間変更までして頂いた食事がハ〇゛レだった。呑み放題のbeerも普段苦手なモルツだったのに、それはそれは…水の様に呑めた。






Last updated  2020.12.16 09:40:16
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2020.12.04
カテゴリ:令和の歴史散策
時は令和になり、予てから計画して居たらしき「お伊勢参り」は娘の発案。大学生の孫娘も同行の三世代女子会?で新千歳からセントレア空港に向かう。長野県上空辺りで台風の爪痕が眼下の河川に見受けられた。12:38到着。空港の矢場とんで味噌カツランチ。孫娘が驚きのわらじカツをオーダー。名古屋までは岐阜行特急ミュースカイ。名古屋からは14:50発の鳥羽行き特急ビスタカー。広い個室で娘が予約していた超快適空間・・・

(↑)伊勢市に約2時間で到着。お宿は目の前。部屋風呂付きで居心地良さそうだけど即、外出。

(↑)外宮ゲクウに向かう。ゲートは5時で閉まる・・・灯り始めた参道を足早に抜ける。

(↑)防火用の日除け橋を渡る時はすでに16:44。お伊勢参りは外宮が先。明日は内宮の予定。

(↑)まがたま池 奥の「せんぐう館」は台風21号の影響で浸水被害に遭い臨時休館の張り紙。

(↑)外宮の正宮 豊受トヨウけ大御神を祀る。2000年前、天照アマテラス大神が奈良からこちらに越して以来、豊受大御神が衣食住を司る事になったとの事。閉門ギリギリでもお参りする方が後を絶たない。

(↑)風宮カゼノミヤ 風雨を司る神様を祀る。

(↑)清盛楠 平清盛の冠に枝が触れた為に西側の枝が切られたとの言い伝え。

(↑)翌朝、独りで二度目のお参り。横からの外宮正宮。ゆったりした気分で神聖な場所に・・・

(↑)古殿地コデンチ 正宮と同じ広さ。式年遷宮シキネンセングウ、20年に一度、社殿などを新しくする次回の場。神宮最大の祭事で1300年続く。昨日は時間が無くてゆっくり見学して居ない。

(↑)下御井神社シモノミイノジンジャ 中に井戸がありお祭りにお供えする御水。立ち入り参拝は出来ない。

(↑)外宮神楽殿ゲクウカグラデン 参拝記念の御朱印を頂きました。人世お初の御朱印です。

(↑)宿の食事は朝からボリューミー。伊勢神宮でお供えに出された有難きお米。昨夜からイセエビ、シマダイ、サワラ、フォアグラ、松坂牛、キンメダイ、マツタケ・・・夕食も凄かった。孫娘はチェックアウト寸前までロビーのケーキやジュース飲み放題に余念が無くカロリーオーバー。此のお宿「神泉」はもう一度、行きたい・・・内宮にはゆっくりと伊勢の景色を見ながらバスで向かう。

(↑)内宮ナイクウの宇治橋 五十鈴川の橋は日常と神聖な場所との架け橋。神路山と島路山が美しい。

(↑)大鳥居の先で黒い服の団体に遭遇。昔話の様に供物を背負った長い行列は抜き去るのも大変。

(↑)五十鈴川の御手洗場ミタライバ 神路川と島路川が合流した五十鈴川。徳川綱吉の生母が石畳を寄進。

(↑)御饌殿ミケデン 朝夕、神様のお食事を用意する。黒い行列は此処に入ったようだが。

(↑)内宮 正宮 皇大神宮コウタイジングウには太陽神と巫女の性格を持つ女神、天照大御神アマテラスオオミカミが祀られる。神話に登場する日本の主神。渋い質素な作りが非常に神々しく日本神話の色んなシーンを想像する。余りの地味さに娘があっけにとられていた。

(↑)御稲御倉ミシネノミクラ 祭事の稲を保存する穀倉

(↑)外幣殿ゲヘイデン 式年遷宮で外された神宝類、神様の生活用品の倉庫。

(↑)荒祭宮アラマツリノミヤ 数ある別宮ワケミヤの中でも一番「位」が高い。

(↑)四至神ミヤメグリノカミ これだけで・・社殿が無い神社。守護神で外宮にもある。

(↑)参拝したら内宮でも御朱印を頂く。渋くて簡素なその御朱印は高床式殼倉を宮殿化しただけの伊勢の社殿にとてもマッチしている。御朱印帖の最初のページに来るのが本当らしい。

(↑)神馬シンメ 名は草新号 大人しくて美しい神に仕える馬。

(↑)少し散策タイム。

(↑)おかげ横丁 タイムスリップした気分。10時頃までのんびりと見学してタクシーで戻る。何ごとも無くと思いたかったけど朝から宿で孫娘の財布が無い、無い、騒動にしばしの混乱。これが第一弾。
10:20 レンタカーで伊勢を出て新宮市に向かう。次は熊野三山。






Last updated  2020.12.06 15:42:24
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2020.12.01
カテゴリ:令和の歴史散策
上ノ国町から10分でニシンの繁栄と函館戦争ゆかりの地、江差に着いた。今日でテーマを持った道南の旅も終わり。縄文で始まり羆でお開き。明治維新に興味がある分、奥の深い数日間を堪能。

(↑)白い山が段々近くなる。多分、遊楽部岳と思いながらソーランラインを北上。

(↑)開陽丸記念館 開陽丸は実寸大に復元され探さなくても国道から目に飛び込んでくる。この写真は旧幕府海軍の指揮官、榎本武揚と旧幕府指揮官の土方歳三。彼は近藤勇の右腕として有名。

(↑)チケット買って中を見学。開陽丸は戊辰戦争で大活躍で鳥羽伏見の戦い・徳川慶喜の大阪脱出など。榎本武揚は旧幕府兵を此の艦に収容して蝦夷地に向かい五稜郭を占領。共にしたのは咸臨丸、神速丸含め7隻。其処で祝砲上げても開陽丸の役目は終わらず江差に向かった榎本武揚。

(↑)甲板の後方からの景観。江差沖に着いた榎本武揚は松前藩から江差を無血占領し下船した翌日、地元特有の防風タバ風が発生し艦は座礁。救助に向かった神速丸も二次被害。人的被害はないものの榎本武揚、土方歳三の目の前で数日後に沈没した開陽丸。その名前の由来は夜明け前。

(↑)「寝ています、起こさないで下さい」ハンモックの乗務員が再現されそんな館内を歩いて居ると榎本武揚や土方歳三にも出会える。貸し切りの広い館内壁面は写真や説明文で埋め尽くされ目を通しながらで前に進まない。大砲も玉も大量に置かれ開戦中のような雰囲気。

(↑)開陽丸は江戸幕府がオランダに発注した軍艦。しかしその運命はたった1年と数か月で此処、江差の沖合で幕を閉じた。明治元年11月15日の事。その途中で停泊した蝦夷地鷲の木には最初に榎本武揚らが下船したとの史跡があり今回、見学して来た。忠実に再現された広い甲板も見る価値あり。

(↑)沈没した翌年、五稜郭で榎本武揚が倒れ函館戦争に終止符。慶応元年にオランダで造船が始まり慶応3年、150日掛けて日本に入港。勝海舟が喜んで出迎えた開陽丸でしたが何だか涙モノ。

(↑)甲板から見る「海の駅」「開陽丸青少年センター」 開陽丸は函館戦争直後から遺留品引き揚げ作業があり3万点以上が見つかっている。昭和50年日本初の海底遺跡に登録されて展示。

(↑)静かな甲板から眺める鴎島には人影が見えて散策意欲が突如沸いた。

(↑)鴎島の入り口は獅子岩と鳥居。こんな時期で無ければ観光客も多いらしく閉じた売店が並ぶ。

(↑)今度は鴎島から開陽丸を見る。気持ちのいい散策で眼下の岩場に釣り人が目立つ。

(↑)⁈・・・何と無く前月訪れた熊野市の世界遺産、鬼が城に似ている。海がとても美しい。

(↑)キネツカ台場跡 鴎島には松前藩が置いた砲台の跡があり歴史の続きを見た。

(↑)南北に長い鴎島は空から見るとカモメが飛んでいる姿に似ているのが名の由来。

(↑)素晴らしく風光明媚で陽気も札幌の季節先取り。正面奥が大千軒岳。ホッケ釣りをしてのんびり過ごす地元民。もう採れたてギョウジャニンニクも道の駅で販売していた。

(↑)日本一小さい道の駅「えさし」豊かな気持ちになれた江差から乙部町に。

(↑)シラフラ 乙部町の高瀬海岸で4㎞の砂浜に500mに渡り高さ30mの白い崖が続く観光名所。アイヌ語の白い傾斜地が語源との事。簡素な駐車場があり無料でまだ知名度が低い分静か。 

(↑)同じ駐車場からの名所でくぐり岩。穴場スポットなので今回是非とも見たかったエリア。

(↑)白亜の断崖は東洋のグランドキャニオンと呼ばれているようですがスケールは小さい。

(↑)鮪(シビ)の岬も乙部町 トンネル出たら此の景観。柱状節理の上部の岩が横方向、下部が縦方向。黄金山の山頂付近で観た景色が同じかと・・・シラフラ、くぐり岩、シビの岬は3点セットで今回の旅のテーマ。上ノ国、勝山館跡の学芸員さんは昔、此の辺りは海の中だったと仰っていた。乙部町で郷土資料館に立ち寄る予定だったのにナビを入れても迷走しまくり。仕方が無いので役場で聞いたらそのロビー横だった・・・しかも照明が落とされコロナウイルスの関係で明日から閉館です、良かった、良かったと。一転、煌々とした貸し切りの展示場をひと巡りして乙部町を出た。 

(↑)15:35 日本海に沿って長い瀬棚町の道の駅で採れたてフノリの冷凍品を購入。極上の風味で少しずつお味噌汁に割り入れては道南の旅を懐かしむコロナ禍。海上に奥尻島が見える。

(↑)夕方5時前の島牧村。 国道脇に羆発見!!! 島牧村はニュースで羆騒動が多い。

(↑)しばしの見学、本当に居る。通過する車は数知れずなのに全く動じなく、むしろ自然体。

(↑)17:49の画像 今夜の宿はどうするのかと思っていたら札幌まで帰ると言い出す主人。いい宿が見つからなかったらしい。日没近い海岸線から内陸に入ると道路の両脇に雪が多くなって来た。夜遅く自宅到着。待っているペットはもう居ないのが淋しい。翌日、起床して開口一番、「何処かに泊れば良かった」とのたまう主人。横に乗っているだけでも疲れました。






Last updated  2020.12.04 10:01:19
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2020.11.29
カテゴリ:令和の歴史散策
夕方5時過ぎの松前城は貸し切りで係りの方が車で観光してもいいとの事。今年はコロナウイスの影響で松前桜祭りも中止。それでは遠慮なく乗ったままの観光。

(↑)日没近い松前城 別名は福山館 国内最後の日本式城郭 明治元年に旧幕府に・・翌年は新政府に・・天守だけになり後に国宝となる。昭和24年役場の火事の飛び火で焼失。約10年後に再建され現在に至る。

(↑)早咲きの桜が満開

(↑)美しい南殿

(↑)冬桜

(↑)紅白で満開の桜

(↑)お堀に映る松前城。昭和59年頃、桜見物に来ているので今回は36年振り。城下通りは江戸時代の松前藩の街並みを200mに渡り再現し2006年の完成。今回初めて知った事の一つ。

(↑)松前神社 松前藩の祖である武田信広を祀る。

(↑)松前藩の墓所と大欅 欅は此の前月、筑後市の船小屋温泉に泊まった時、傍を流れる矢部川辺りを散策したら巨大な欅の林が延々と続いていた事を想い出した。欅?・・・樟?

(↑)孟宗竹の林があるのは北海道広しと言えども此処くらい。5時半になるのでチェックイン。

(↑)消失前の松前城 宿のロビーが資料室の様だった。松前藩の本物の甲冑、生活用品、家紋入り提灯と目を見張る。廊下も然り・・・部屋も二部屋続きでまあまあ、食事は地元の食材が美味しく大満足した前夜、緊急事態宣言が出た。朝食頂くレストランには今週末から臨時休業しますの張り紙。食後7時過ぎには松前町の城下通りを眺めながら出発。  

(↑)ヨシ島と大島 大島で採れた海苔が宿の食事に出ていた。しばし海岸線を進む。

(↑)10時前、展望が日本一のキャッチフレーズ「道の駅もんじゅ」は素晴らしい眺め。

(↑)国史跡 勝山館跡ガイダンス施設 若い学芸員さんの丁寧な案内に感激。貸し切りです。

(↑)200分の一勝山館のジオラマ ガイダンス施設はほぼ山頂の夷王山直下にある。施設内はかなり濃密でアイヌ人や中世和人の暮らしが忠実に再現されている。特にお墓はリアルな型取りで主人の夢に出るほど刺激的だった。館とは山城を意味し道南には12あったがアイヌとの「コシャマインの戦い」で残ったのは此処ともう一ヵ所だけ。ガイダンスの後は実際に史跡の散策です。

(↑)かなり下って来て振り返るとガイダンス施設横の夷王山が砦越しに見える。

(↑)発掘調査は20年にも及び中国の陶磁器、アイヌ人の木製品など膨大な数の出土品。更に、建物、井戸、橋、空濠と中世都市の重要な役割を果たしていたようです。15世紀後半に築城したのは松前の祖、武田信広と上ノ国町のホームページにある。この方は松前神社に祀られている。

(↑)客殿跡と白い遊楽部岳 日本最北の交易拠点となって居た勝山館。同時期にアイヌ人とも暮らし至る所にお墓が混在しているのが特徴。散策路に白い杭が多数並びそれらは全てお墓との事。

(↑)搦手門からガイダンス施設を振り返る。 大手門は表で搦手は裏。勝山館の両側は深い沢で天然の堀の働き。15世紀から16世紀にかけて空堀が沢山掘られ厳重な作りになって居る。  

(↑)散策路に入って居ない遺跡を見下ろしながら坂道を登り返して行く。

(↑)登り詰めて今度は夷王山を目指す。登山道と変わらない踏み跡を200m。

(↑)夷王山から見下ろす勝山館跡。山頂の夷王神社に見守られた暮らしぶりが想像できる。

(↑)ネコヤナギ満開の夷王山斜面。主人も遅れて到着した夷王山の山頂。夷王神社はあの鳥居から4.5mしか離れていないのに足が止まり息を弾ませて勝山館跡を見ていた。神社に辿り着かないもどかしさと良く登ってきたもんだと感心する気持ちがごちゃ混ぜ。

(↑)1時間滞在の勝山館跡。学芸員さんに野幌の北海道埋蔵文化財センターに度々、訪れる話をしたら彼はそこに居ましたと言う。見知らぬ土地で身近な話題を共有出来て嬉しいひと時でもあった。

(↑)上国寺 1560年建立 北海道最古のお寺で国の重要文化財。

(↑)11:57 上ノ国町を出る。振り返ると小高い丘の上に勝山館跡がジオラマの様に見えた。朝、松前からソーランラインを走り上ノ国町で正午と有意義な半日。






Last updated  2020.12.07 14:40:20
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2020.11.27
カテゴリ:令和の歴史散策
道南の南茅部町大船遺跡から垣の島遺跡まではとても近い。元地主さんに教えられたまま海岸沿いの道を離れ坂を上る。標高を保ったままの綺麗な道はまるで高規格道路かと思う程で海の景色も素晴らしい。今日は渡島半島の二日目で朝から鹿部町の道の駅に立ち寄ったり大車輪。

(↑)道端にピンク色のキクザキイチゲ?札幌では白色しか自生していないと思う。

(↑)垣の島遺跡に到着してあまりの立派さに驚く。元地主さんは大したモンは無いけどさ!と仰っていたがナンノ、ナンノ。此の垂れ幕を見て世界遺産に登録中と知ったし・・・しかも有料。広い館内は入館料以上の価値が満載で世界最古の漆塗り土器や幼児の足形付き石版に感動。ガラス窓の向こうには縄文時代が広がる。見学者はそれなりに多いけど広い館内は密な感じが無かった。

(↑)そして一番驚いたのは・・・↑上の画像にある世界遺産への下にプリントされている土偶。此の土偶は何度も野幌にある北海道埋蔵文化財センターで見学している「中空土偶」のレプリカの本物。それがガラスケースの中でにっこりしていた。横には国の重要文化財であるとの証明書も張られ威厳が凄い事・・この上ない。「中空土偶」さんは3500年前のもの。貴重な貴重な歴史的遺物に出会えるとは思っても居なかったのです。・・・大したモンがありました!!!

(↑)外は7000年前の国内最大コの字型盛土遺跡が広がる。コロナウイルスの影響では無いが外の見学は自由に出来なかった。やはり集落跡は海の見える台地で同じシーン。館内には全国初の国宝がある道の駅「縄文ロマン南かやべ」が併設。其処で中空土偶の形をしたクッキーを購入。更にガチャポン発見!中身は全て土偶のレプリカと齢に関係なく胸ときめかせるシロモノ。300円投入~

(↑)出て来たのは「縄文のビーナス」様で親指姫サイズ。本物は当然ですが国宝です、4000年から5000年前の物。あと2.3回ガチャガチャしたくなりやっと孫の気持ちが分かったのですが此処は大人。6種類入っているらしいけど同じ型が再び現れてもと我慢。未練たらたら、一つだけ握りしめて出ました。

(↑)振り返る函館山。函館観光は今回の旅のテーマに入って居ないのでスルー。郊外のラッキーピエロでランチしたのが唯一の函館らしさ。次の目的地は真っすぐ日本海に抜けて乙部町界隈の予定・・・

(↑)午後2時過ぎ木古内町亀川地区のサラキ岬に咸臨丸の大きなレプリカを発見。明治4年、咸臨丸は戊辰戦争で負けて北海道移住になった仙台藩401名を乗せ函館経由で小樽に向かう途中、此処で座礁した。全員救助された数日後に沈没。開陽丸の見学が予定に入っていたので一瞬、混乱・・・

(↑)咸臨丸は司馬遼太郎の「坂の上の雲」を読んだ時に出て来た。もう50年位前、確か6巻までの長編小説だったが当時の上司が初版を買って来て随時、回してくれたのでタダ読みだった。幼少期から本好きだったせいか漢字には強かった筈なのに船の名前が読めなくて印象に残っている。咸臨丸は日本で初めて外国に行った船で勝海舟、ジョン万次郎、福沢諭吉ら偉人を沢山乗せた歴史のシンボル的存在。ちなみに当てずっぽうに読んでいた「かんりんまる」で正解だった。

(↑)咸臨丸が最後に見た景色の案内板があった。左から下北半島、陸奥湾、津軽半島、竜飛岬、右端は北海道の矢越岬。栄光の船出と不運な最期。ちなみに咸臨とは君臣共に仲良くとの意味。

(↑)木古内町の新幹線駅。道の駅「みそぎの郷」は活気があり和の雰囲気も良かった。次の立ち寄りは知内町で40分位。初めてのドライブコースなので観るもの全てが刺激的。

(↑)知内「北の道の駅」展望塔から1㎞先が北海道側新幹線の出入り口で時間が合えば見る事が出来る。此の日は15分くらい前に通過済み。
 そして駐車場には大きなモニュメント。ナント!日本最古の墓が出土されたのが此の敷地内。
14000年前、旧石器時代の装飾品が国の重要文化財として郷土資料館で展示されているとの事を偶然、知った。前日、鷲の木跡を見学。鷲の木跡も見学したかったのですがトンネルの上にあるらしく諦めていたら偶然、道路脇に案内板を見つけたので史跡に立ち寄る事が出来た。

(↑)箱館戦争の際、榎本武揚率いる艦船が上陸した場所が茅部郡森町鷲の木。明治維新関連は縄文同様に興味津々。今回、遺跡、史跡を何回、見学出来るのか楽しみになって来た。

(↑)16:17 矢越岬はすでに松前町。 道立自然公園で日本屈指の野鳥飛来地として有名。此処は北海道最南端で本州の最北端竜飛岬まで19.5kmしかない。その津軽半島には風車も見える。下北半島の大間町までは15㎞。ハンドルを握っているのは主人。走った事の無い海岸線がいいとの理由で勝手に行き先変更し松前に向かっている。すでに今夜の宿も予約したとの事。我が家はいつも走りながら主人が宿をとる。私がうらうらした企画を担当・・さて本日最後の松前に向かう。






Last updated  2020.11.29 15:36:41
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2020.11.26
カテゴリ:令和の歴史散策
11月25日 天気はいいけど午前しか時間が空かない。少し歩けて縄文土器も見学出来るから今日こそ野幌森林公園に決定。久し振りの太陽サンサンで運転が眩しい。

(↑)北海道100年記念塔は老朽化して見る度に侘しくなる。自宅3階の東窓から100年記念塔、西窓から手稲山を眺めるのが何十年も習慣になって居たのに取り壊されるらしい。

(↑)半周して見た・・・真ん中から近郊の山が・・・砥石山かと思う。

(↑)渋い道標に埋蔵文化財センターと書かれ真後ろの林からその建物のてっぺんが見えている。

(↑)遊歩道を回り道。ベンチや草むらに雪が残っている。散策中の方と挨拶しながら。

(↑)バードウォッチングの方が多い中、枯れ木にキノコ探す自分が居る。

(↑)記念塔が遠くなり天気も良くて背中に汗をかいて来た。

(↑)ナナカマドの実が見事。

(↑)またもやナナカマドかと思っていたら実を観察中のシニア男性がミズの実だと教えてくれた。勧められて一粒、口に含むと甘酸っぱくてリンゴの仲間との事。初めて知ったので感動したら・・・

(↑)これはネ・・・と次の樹木に移動して幹にダイヤ模様の付いたポプラの仲間だと仰る。確かに!トランプですね・・・とまたしても乗ってしまった。面白いのは葉柄(葉っぱの茎)の付き方が普通は横向きなのに対して此の樹は縦に付きそよ風が吹いても揺れて音がするからヤマナラシとの事。

(↑)更に近くの樹木で立ち止まる彼がアズキナシの説明に入る。これは実が小豆粒なので判ったけど幹が梨の皮にそっくりなんだとか。確かに似ていた。此の森林公園での楽しみ方は人様々、彼は更にススキの葉に産卵する蜘蛛の生態に興味があると言う。その説明は蜘蛛の一生が物語になりそうで楽しかった。もう目の前に埋蔵文化財センターの大きな建物。縄文時代に浸って来ますとお別れした。

 「垣の島遺跡」を訪れた時のフォルダを開いたら無性に此処にある「中空土偶」のレプリカを見たくなった。展示場の雰囲気が少し変わってイベントの準備中だったが1時間くらいマッタリ眺めて居た。肝心の「中空土偶」さんは道庁に貸し出されお留守だったのが残念。自宅から道庁の方が距離は半分なのが笑える。それでも館内は貸し切りで係の方と他の文化財施設を教えて頂いたり有意義な半日を過ごせた。






Last updated  2020.11.26 11:34:29
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2020.11.25
カテゴリ:令和の歴史散策
今春、大沼公園の宿で駒ケ岳のゲートはまだ閉じていると聞かされ肩の故障でどうせまだ登れないと思いつつも少し残念。大沼公園の美しい景観ドライブ中に見つけた日暮山を散策してから大船遺跡に向かった。モチロン、途中で大沼団子も忘れずに購入。

(↑)駐車場からの眺めも素晴らしい標高303mの日暮山。景色に見とれて日が暮れるのが名の由来。

(↑)淳祭沼と小沼の間にあるので展望がいい。

(↑)駒ケ岳 肩が全快したら来る事にして宿で勧められるままお得な前金払いの宿泊チケット購入。が、昨今のコロナウイルス感染増加で今月の予定を諦めたばかり。

(↑)日暮山を出て大沼団子を食べながら迷走し1時間半掛かって大船町にある大船遺跡に到着。貸し切りです。それもその筈、開館はあと3日後でした。

(↑)外は見学出来るので縄文時代中期、5~4000年前の600軒を超える大集落の跡を巡る。

(↑)復元されているのは1軒のみで骨組みだけが数軒。他は穴のまま。

(↑)その穴は佐賀県で吉野ヶ里遺跡を見てきた直後だったせいか掘り込みの深さに北の大地との違いを感じた。かなり深くて2メートルはありそう。

(↑)盛土遺跡の説明には長期間、同じ場所に土器、石器などを捨て続け盛り上がった場所とある。食べ物や人骨も出て来るので単なるゴミ捨て場では無いと考えられているとの事。

(↑)眼前に太平洋が広がる台地。こんなシーンに縄文人の集落跡が多い気がする。空を見上げ「縄文人もこの空を見ていたんだぁ」と感動を声に出したら主人が笑った・・・

(↑)中央に縄文人が煮炊きしたり暖をとった竈がある。竈を作るあの石は縄文時代からの物かと考えただけで興奮する。あの固くなった土の上を素足の縄文人がペタペタ歩いた…

(↑)大きな竪穴住居跡がいくつもあり覗き込んでいたら声が聞こえてきそうになる。

(↑)多分遠くで白い山は駒ケ岳。戦後、辺り一帯はジャガイモ畑だったと知った。

(↑)出て来た若い館長さんも赴任したばかりで詳しい説明も出来ないとの事。その資料館の壁沿いには発掘された膨大な数の石皿が積まれていた。石製のまな板みたいな物で見事に平べったい。

(↑)展示物が無い縄文の森を散策した。一帯は広い杉林で調査が終わった後は整備され遊歩道が充実して気持ちがいい。ミニバイクが来たので見学者かと思ったら元の地主さんだと仰る。誰か来てるかなと逆に見に来たと言う。そして遺跡発見はジャガ芋を植えていたら土器が出て来たのが始まりと教えてくれた。楽しく話も弾み「垣の島遺跡」の道順まで教えて貰う。その間、彼はミニバイクにまたがったまま。今度の館長さんが来てますよと指差したら「どら、顔見て来るか・・・」とバイク吹かしてそのまま遺跡群の中に入って行った。とても自由な方らしい。

後ろ姿を見送り車で15分ほどの「垣の島遺跡」に向かう。






Last updated  2020.11.29 15:36:01
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