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山歩きは好歩(スキップ)して四季折々・・・登山日和のFOOTMARK

山歩きは好歩(スキップ)して四季折々・・・登山日和のFOOTMARK

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令和の歴史散策

2023.11.28
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カテゴリ:令和の歴史散策
11月15日 娘ファミリーとの旅の始まり。神戸空港へは新千歳から直行便だった。三宮で若者2人が神戸観光となり念願だった姫路城には娘と二人で向かう。夕方、5時半に舞子の高速バス乗り場で再び合流するまで時間勝負です。

上矢印15時過ぎの姫路JR駅を出ると1.6㎞先にお城が既に大きい。

上矢印旅先では気になるマンホールもやはり姫路城。美しくて踏む気分になれない。

上矢印これは姫路城の別名で白鷺の柄。

上矢印城内に足を踏み入れたらお城の大きさに改めて感激。なのに入場料がたったの1000円!!!この金額で天守閣まで登れてしまうけど観光客が多いのでスムーズに見る事が出来るか心配。

上矢印駅から歩いて来る時、広い歩道は観光客で一杯。しかも外国人が多くて此処は何処?

上矢印圧倒される…見上げる首が・・眩暈しそうなほど。そして人波に娘を何度も見失う。

上矢印素晴らしい・・・観光客が多くて進まない細い通路。敵に襲われたら此処で全滅です。

上矢印複雑な歴史がある姫路城ですが次々と代わった城主が眺めた景色だろうかと・・覗いたのは鉄砲うちの穴?狭間と言うらしい隙間から失礼。

上矢印内部は時代を感じる昔からの広い板敷の廊下が続き感動する。何百年も前の武士の手が触れ息が聞こえそうな錯覚がする。秀吉の手形も付いてるかも・・・階段は細いので年輩の団体さんが多くなかなか進まない。天守閣に辿り着く前に時間の関係で途中下山にしました。それでも十分、堪能できた。

上矢印ギョ!!! 怪談「播州更屋敷」でお馴染みのお菊さんの井戸が此処にあったなんて全然、知らなかった。頑丈な金網で蓋をしてあるけど中を覗いたら結構深く底にはお賽銭が沢山、投げ込まれていた。回収?するのだろうか。ちなみに播州は「播磨の国」である兵庫県の事。

上矢印とにかく広い広いお城でした。後ろ髪を引かれつつ城外へ。帰路はJRではなく山陽電鉄なので駅を先に探してからお城に向かったのでした。少~しだけ時間がある。山陽デパートの中が乗り場なのでデパ地下でお買い物。肉まんがとても美味しかった。更にお城模様の練り物は半日しか鮮度が持たないと言われたけど保冷剤を頂いたのでホテルで冷やしながら持ち帰り~これまた数日間、ビールおつまみにピッタリ。さて舞子の駅で若者グループと合流し彼らは中華街で食事を楽しんだらしい。18時発の徳島行き高速バスは明石海大橋と舞子トンネルの間の高架線上だった。バスを待つ間は舞子でビールビールビアタイム。瀬戸内海の美しい夕陽を見てウトウトしたら夜の徳島市だった。それはそれは寒くこの夜、山に雪が降った。名物の徳島餃子をおつまみに24時までビールビールビール部屋で宴会。






Last updated  2023.11.30 10:35:20
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2022.12.27
カテゴリ:令和の歴史散策
やっと訪れるチャンス到来。無料高速道路の白滝インターからすぐ・・・いつもの北海道文化財センターは無料だけど比のセンターは入館料300円。その分、価値がある事、半端ない。

上矢印白滝にある遠軽町埋蔵文化財センターは外観も素晴らしい。館内のスタイリッシュな展示には息を吞むほど・・・

照明を落とし圧倒される膨大な石器群の展示。

ボケてしまったけど床にも石器群の展示。他にこの画像が無いので致し方ない。

ネットでは全国一との情報もあったのでどうしても見学したくなり数年来の念願が叶った。白滝地区は1万年以上も石器作りが続いたと資料に書いている通り石器群の展示は想像以上に充実している。当然、石器となる黒曜石の埋蔵量も多い。
 氷河時代が終わった後の北海道が旧石器時代になり縄文時代と続く。そんな風景がここの石器群から十分、想像出来る。そして縄文時代の後期は北海道独自の続縄文、擦文、アイヌ文化と展開するのが本州と全く違うのも面白い。自分が昔、歴史で習った平安時代に北海道はまだ縄文の延長である擦文時代だった事実。昨今、温暖化、温暖化と騒がれるけど地球は大昔から気候変動を繰り返している事。その影響で津軽海峡の深さが都度、変わった事。そのブラキストン(発見した人の名前)線で北海道に猿、猪が居ない事。かつての暮らしを再現させたジオラマ展示を見る度、ロマンを感じる・・・次は何処を訪ねようかなぁ。






Last updated  2022.12.31 09:48:10
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2022.12.26
カテゴリ:令和の歴史散策
10:56 スタート 晴れ 連日の雪、自分で運転出来そうな道は野幌森林公園かなと・・・その敷地内にある北海道埋蔵文化財センターと北海道博物館を散策がてらハシゴしました。

上矢印「開拓の村」駐車場から歩き出すとトンカン、トンカン・・・と音がする。ナ、ナ、ナント百年記念塔が解体されている!!!自宅の3階東窓からはいつもと変わらぬ姿だと毎朝、眺めていたのに気が付かなかった。てっぺんがすでに消えている。そして白い工事用の壁がぐるり囲んで雰囲気が全く違う。

800m位の丘陵なので振り返ると百松3山など近郊の山々が連なり雲が乗っている。広場から森を抜けるとすぐ埋蔵文化財センターに着くが解体作業中は遠回りになる事を散歩の方が教えてくれた。

1㎞歩いて瑞穂連絡線に合流。更に1㎞で大沢口に着いたら百年記念塔の駐車場より車が多い。すぐ先に「自然ふれあい交流館」がある。ブランチしないとお腹がペコペコなので迷わず立ち寄る。靴を脱いでの入館だけど背に腹は代えられずソレルの冬ブーツを脱ぐ。旧品なので編み上げの紐をほどかなきゃならないしインナーブーツも脱げてくる・・・玄関に寝かせてお邪魔した。

アニマルトレースの浮かぶ森に向かって黙食。おにぎりとあったかいコーンクリームスープ。館内は幼子連れのお若いパパさんが居ただけで静か。冬期間はこのような施設がありがい。

さてエネルギー補給終えて再び歩き出す。交流館から埋蔵文化財センターまで1.8㎞。

原生林の中を大回りして百年記念塔に近くなると埋蔵文化財センターもすぐ近くに見えて来た。入館するといつもながらひっそりしている。縄文時代に暫しのタイムスリップ。中空土偶の「カックウ君」は貸し出されるので会えない事がある!ここのカックウ君は当然、複製だけど国宝に指定される前に直接、型取りされた貴重な存在と書かれていた。

文化財センターを出て現実に引き戻される。再び交流館の方向に戻り途中でふれあいコースに入る。記念塔には行けませんと道標に書かれているにもかかわらず・・・

アズキナシの実だと思う。

ふれあいコースからすぐ傍に片側が消えた塔が見える。11月から解体工事が始まったらしい。

広場の先が駐車場。本来はあの森を右に抜けて埋蔵文化財センターは近かったがこの囲いが出来て遠回り。通行止めの今回、どなたかのトレースがあったので消音壁を手前の東に巻いてから駐車場に戻る事が出来た。結局、6㎞くらい歩いたのでまた小腹がすき車中で春雨スープを作る。今度は北海道博物館に車を移動。旧石器時代から縄文時代、アイヌ文化にタイムスリップ。






Last updated  2022.12.27 10:23:27
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2021.12.07
カテゴリ:令和の歴史散策
10:51 スタート 山は雲が掛かっている。ならば久々に野幌森林公園を散策しよう。先日、同じエリア内の北海道博物館でも数時間を過ごしたばかり。北海道埋蔵文化財センターを見学してから散策、開拓の村に立ち寄り再び散策と結構いい運動。

(↑)スックと聳える百年記念塔。まだ建って居るだけでホッとする。

(↑)百年記念塔を見ながら散策路を北海道埋蔵文化財センターに向かって折れる。葉が落ちたので樹林から建物の屋根が見えている。

(↑)日陰の散策路から白い息吐いて趣のある橋を渡る。

(↑)足元はカリカリの白樺林を行くと建物が見えて来た。

(↑)大きな黒曜石が出迎える。さてと・・・此処で暫し縄文時代にタイムスリップしよう。

(↑)道内の産地別に並べられた黒曜石は縄文人の暮らしには貴重な石だった。先日の北海道博物館と重複した展示品もあるけど説明が別角度で切り込まれ判り易い。

(↑)貸し切りで1時間堪能・・・何度、訪れても解説文にフムフムと納得出来る忘れっぽい脳内。

(↑)散策路は樹林から広い笹原になり百年記念塔が遠くなる。

(↑)氷漬けの落ち葉。通り掛かった駐車場は週末なので満車に近い。散策路が交差してベンチに腰を下ろす人やジョギング姿、挨拶の声が周辺で聴こえる。案内図で行き先を確認する。

(↑)瑞穂の池に向かうと深い樹林はひっそり。そこでご挨拶したソロマダムと話しながら歩く事になる。彼女の情報では開拓の村で収穫したリンゴを格安で売っているらしくそれが目的との事。

(↑)瑞穂の池は昔、厚別区の此の辺りが水田だった頃の名残り。

(↑)開拓の村に入った。妙に親しみ感じる写真館。入場料は此の齢なので無料なのが嬉しい。

(↑)12月だと言うのに雪が無い・・・風も無い。何度か来ている開拓の村だけどリンゴを売っているとは知らなかった。残念ながら販売は今季終了していた。ならばリンゴ園を見て行こう。情報をくれたマダムは無いからと帰ってしまい入り口でお別れ。

(↑)週末なので見学者が多い中、連れのワンコの様に堂々と闊歩していたキタキツネ。

(↑)リンゴ園を見つけた。村の最奥に。小粒のリンゴが数個だけ・・・

(↑)リンゴ園の奥に建っていた開拓小屋。中はランプが点いているものの寒々しい。

(↑)旧開拓使札幌本庁舎 此処に入ると明治時代に全国から北海道に入植した夢溢れる人々の写真がある。数百人単位で道内の港に着いた瞬間を収めている。来る度に必ず入館、タイムスリップして先人の労苦を感じるひと時。さて・・・明治時代から抜けよう。

(↑)開拓の村を出て令和の散策路歩きが始まる。

(↑)雰囲気のいい静かな樹林。春はエンレイソウが咲く。

(↑)樹林を抜けたら先日、見学した北海道博物館の前に出た。スタートの百年記念塔が目の前。

(↑)倒木に鮮やかなキノコが張り付いている。

(↑)今度は塔の真横を見上げながら通過。

(↑)駐車場に着いた。道立自然公園の野幌森林公園は標高80メートルの長い丘陵地。眼下に札幌の街が広がり晴れて居ると近郊の山々も良く見える。当然、我が家からは取り壊し予定の塔が遙か東に見える。






Last updated  2022.12.26 12:31:47
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2021.07.08
カテゴリ:令和の歴史散策
青森市で連泊のシティホテルから近い三内丸山遺跡は今夏で世界遺産に登録される。昨年の予定がコロナ禍の影響でやっと叶った見学。緊急事態宣言が解除され色んな事が目白押しだった6月下旬、フッと時間が空いた。

(↑)開館時間前に到着した他の方々とテーブルの席について待つひと時。興奮気味に語るマダムのパーティが居たりタクシーで乗り付けたソロマダム・・館内ではガイドさん待ちの列にトップで並んだ15分間。

(↑)大きな建物の反対側に抜けると其処は縄文時代のムラ・・・

(↑)空気が違う。いつもの様に空を見上げ縄文人もこの空を見た事にロマンを感じる。

(↑)掘立柱建物。復元物は少ないけど要所要所に昔のままの遺跡を保存している建物がある。

(↑)竪穴建物の内部は函館の大船遺跡等(一緒に世界遺産登録)と似ている。

(↑)三内丸山遺跡が凄いのは大型の住居がある事。

(↑)保存建物の中には直径が1メートル以上の栗の柱のレプリカ。本物は本館で展示されていた。

(↑)栗の樹が植えられていた。

(↑)使途不明らしい大きな塔。奥は温度調整された保存建物で見学出来る。

(↑)これが大型掘立柱建物の復元。余りにも大きくて・・・

(↑)その内部は出入口が複数。

(↑)保存建物の中で見た地層。土器、石器、土偶が1000年分埋もれている。

(↑)最後に小高い所から眺めたムラの全景。此処は八甲田山から続く緩い丘の端に当たる。あの道も縄文人が歩いたままを再現し40ヘクタールの場所に大小800棟ほどの円形集落があったとされる。さて次は館内で展示物を見学。

(↑)縄文時游館内は広くシアターあり展示物も多い。高さ4メートルの壁に土器がビッシリ!

(↑)縄文犬 穏やかな性格だった縄文人に飼われていたのかと想像が膨らむ。

(↑)此処なら土偶のガチャガチャもきっと有る!・・・そして売店で発見。が・・以前と同じ縄文の女神が出て来たので子供の様にリトライ。今度は縄文のビーナスが出た。更にJOMONと書かれたTシャツを購入(笑)。栗のソフトクリームも食べてみたかったけど甘党でないのできっと捨てるよと主人に言われ我慢した。
ガイドさん曰く・・・縄文時代前期から中期(5900年~4200年前)の大規模な集落跡は野球場建設がきっかけで発見されたとの事でした。この開口一番の説明に嚙みついたマダムが居て全く先に進まず汗。開館前から熱くなっていたマダムだった。その後もガイドさん攻撃が収まらないマダムに嫌気がさし早々、自由見学に相成りました。タクシーで乗り付けたマダムも呆れて離脱。公共の場でボランティアガイドさんに対してイカガナモノカト。あのカミツキマダムの声はその後、1万年もの間、争いが無かったと言われる狭い縄文のムラをずっと漂っていた。






Last updated  2022.12.27 10:42:38
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2021.01.26
カテゴリ:令和の歴史散策
近郊の低山に行こうと思っていたけど天気予報が外れた。おこもり生活で読書三昧の日々を送り過ぎ目がショボつく。遠くを見なくては・・とブランチ後にチョイスしたのは先月もやって来た開拓の村。

(↑)漁村の部 マッサンの撮影にも使われたニシン御殿を見学。週末だけど人影は少ないし広いし蜜は全く感じられないいい処。

(↑)数日前に夕方のテレビで訪れていた旧信濃神社でパンパン!先月訪れた時は野幌森林公園の散策と北海道埋蔵文化財センターも立ち寄ってからだったので途中で帰ってしまった。

(↑)今回は改めて全部見学で約4時間歩き続けいい運動になった。休憩した食事処も閑散としコロナ対策もバッチリ。屯田蕎麦も美味しかった。一息ついて見学忘れを巡ってから車で北海道博物館に移動。閉館は4:30との事で旧石器時代から明治時代までタイムスリップする事、約2時間。縄文土器もあり此処も蜜が無く大層気に入った。






Last updated  2022.12.26 12:31:03
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2020.12.16
カテゴリ:令和の歴史散策
今月も野幌森林公園にやって来た。先月、埋蔵文化財センターの国宝レプリカ「中空土偶」は道庁に貸し出され会えなかったのでリトライ。荒れる天気予報の中、散策には問題なかろうと・・・

(↑)開道100年を記念して完成した高さ100メートルの北海道100年記念塔。解体かぁ・・・眺めながら左の森に入り散策路から橋を渡ると・・・
(↑)白樺林の中に芸術的な塀が現れる。

(↑)入場無料と思えない程の立派な北海道埋蔵文化財センターにお邪魔します。入り口に鎮座するのは黒曜石の原石。旧石器時代の貴重な道具となった天然ガラス。

(↑)1時間も館内でタイムスリップ。中空土偶の「カックン」は帰宅していた。目立つ場所で箱入り娘そのものツンとすました独特の表情。帰りに縄文土器のミニサイズ用キットを頂いて超嬉しき。

(↑)散策の続き。久し振りに「瑞穂の池」を見て「開拓の村」横から「北海道博物館」経由しようと思う。日当たりの良い所は散策路が泥んこで汚いそれでもまだ天気が持っている。

(↑)無雪期の瑞穂の池は初めて。此処まで殆ど、人に出会わなかったけど休憩中の方が数名。

(↑)次は階段を上り返して「開拓の村」方向に向かう。近くにフクロウの樹があるけど今日は留守だった。代わりに鷹かトンビが小鳥を捕獲した瞬間が散策路脇の草藪に展開しびっくりした。途端に野鳥がアチコチで囀り出し耳に優しいあの声も生存競争の果てだったのかと・・・

(↑)原始的な森林公園にはキノコの予感。もっと早い時期なら楽しかったかも。

(↑)少し登り返しがあるので気温が下がっても体は暖かい。

(↑)開拓の村から時折り歓声が聞こえる。入場したのは30年位前だったような・・・その後も入ったような記憶が定かでないまま散策で柵越しに眺める処になって久しい。

(↑)開拓の村は無料なのでは?と思いつきでやって来た。800円が0円であっさりと入場。2007年に博物館相当施設に指定されたとの事。65歳以上が無料ならもっと早く気が付けば良かった。

(↑)有島武郎宅のデスク 一軒、一軒覗くと必ず「靴を脱いで下さい」と当然、書かれている。それが面倒で玄関先から首を伸ばして見学していたけど此の有島武郎宅は別。生まれ出づる悩み、或る女・・・読んだ作品を口ずさみながら靴を脱いで奥に入ると壁に大きな家族写真と年表が張られ見入る。ケースの中には最後の作品のページが開いていたのでついガラス越しに暫く読んでしまう。ハッ!見学も始まったばかりと我に返り急いで玄関に行ったら有島武郎の家に自分の靴があって驚いた。 その後も開拓当時の粗末な小屋や馬の駅舎を見学すると建物内でドラマ仕様のアナウンスが自動的に流れる仕組み。外は丁度、雪混じりの風が強くなりヒュウヒュウと唸り出して音響効果抜群だった。寒くなって来たしセンターに戻ると大根が50円。100円玉しかないので仕方なく2本買うと受付の方が走って来て小さいのはタダだからと3本差し出されたが1本頂き開拓の村を出た。車は百年記念塔前の駐車場なのに大根3本抱えて歩く羽目に。なのにシニア男性と出会い大雪山系の話に花が咲き雪が本格的に舞ってから解散した。腕が痛くなった大根は美味しく大根おろしと漬物に。






Last updated  2020.12.16 11:32:13
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2020.12.13
カテゴリ:令和の歴史散策
最終日の朝8:30。チェックアウトは混雑で時間が掛かった。熊野市の海岸沿いに世界遺産が4つあるので伊勢に向かいながらの見学。道端に柿の直売所がありご近所さんが購入中。道民には採れたてが安くて羨ましい。

(↑)道の駅「熊野 花の窟」花の窟ハナノイワヤ神社は道の駅が駐車場。茶屋を縫って進むと・・・。

(↑)世界遺産、「花の窟イワヤ神社」の鳥居。まだ9:00なので参拝する人影もまばら。

(↑)木立の中、幟は日本最古の神社をアピール。花を供えて祀ったのが神社の名の謂れで日本書紀にも出て来る。見学を楽しみにしていた神社でもあり境内の空気に身が引き締まる。

(↑)稲荷神社もある。手水舎の横にはご神体の巨岩から落ちて来たとされる・・・

(↑)まん丸い大岩。体の痛い部分をさすってからこの石に触れると痛みが和らぐのだとか・・

(↑)此の鳥居の先にはとてつもない巨岩が聳えていた。その巨岩こそがご神体。

(↑)高さ45㍍の巨岩ご神体は視界に収まり切れない。前日参拝した神倉神社の巨岩が「陽石」でこちらが「陰石」との事。どちらも圧倒される。

(↑)巨岩のてっぺんには日本一長い170㍍の綱が渡されそこに不思議なものがぶら下がっている。縄が3本ずつ組まれ日本神話の三神で太陽の神・アマテラスオオミカミ、月の神・ツクヨミノミコト、暗黒の神・スサノウノミコトを現す旗縄でした。此の画像には見当たらないけど扇も下げるらしい。

(↑)大岩の真下には三神の生みの親であるイザナミノミコトが祀られ花の窟神社の主祭神。神話ではイザナノミコトとイザナノミコトは兄弟で共に日本の国を作った神様。確か・・淡路島が最初に出来て日本の形となり、その後に神様たちを産んだとされる。社殿が無いのは自然信仰の現れ。

(↑)その真向かいにはやはりイザナミノミコトが産んだ火の神カグツチノミコトの小さな祭壇があった。火の神を産んだ時にイザナミノミコトが焼け死んだと神話にある。高さ12㍍程の岩山。

(↑)狛犬と社務所   

(↑)黄泉がえりの日本最古のパワースポットに佇む・・・・

(↑)小さな社務所ではさらさらと素敵な御朱印を頂いた。次はすぐ近くの獅子岩に移動。

(↑)七里小浜に高さ25㍍の奇岩。国道脇に小さな駐車帯があり案内板を斜め読み。

(↑)世界遺産 獅子岩 海岸は日本一長い砂礫浜。散策している人が居る。熊野灘の荒々しい海には近づかない方がいいらしい。次は同じ海岸線の鬼が城へ移動。

(↑)工事中の鬼が城トンネル570㍍を抜けたら右に鬼が城センターと広い駐車場がある。

(↑)世界遺産 吉野熊野国立公園 鬼が城 早速、歩き出したら一人だった。

(↑)広い空間は千畳敷

(↑)波の音が聞こえてきそう。

(↑)奥の木戸 今日は此処までしか歩けない。

(↑)日本百景、天然記念物でもあり見ごたえのある奇岩景観。

(↑)その先に釣り人が居た。奇岩に沿って延々と道は西に続く。

(↑)此の景観をあの母子にも見せなくっちゃ‥そんな思いで引き返す。

(↑)崖の先にも釣り人が居る。

(↑)波が此処まで来るとは・・・

(↑)丸で鬼の横顔のような岩。迎えの為に駐車場に戻ると娘は車の中でスマホタイム。孫娘は鬼が城センターの広い売店でショッピングに余念が無い。母子を強引に誘い再び鬼が城散策。短時間で二回も見学できて幸せ気分。孫娘は大きな紙袋一杯にお土産購入。私は別棟でシラス丼と鮪丼をテイクアウト。此の時のシラス丼は翌朝、夫の朝ごはんになった。

(↑)正午に伊勢のレンタカー返却予定でピッタリ到着。列車の時間までランチに。熊野の宿から部屋に娘の洋服を忘れているとの連絡あり!私も冷蔵庫に缶ビール置いて来た雫忘れ物の処分を泣く泣くお願いしたのでした。

(↑)外宮参道を再び歩き網元食堂に入る。

(↑)伊勢うどん 昔、伊勢参りに何日も歩いた旅人の胃を労わる為に柔らかいうどんとなった。

(↑)伊勢ラーメン お腹が空いて居なかったので取り分けて食べた。

(↑)13:24 伊勢志摩ライナーサロン席 時間ギリギリに買って来た娘の珈琲。またもやお土産を購入し孫娘の席は散らかり放題。名古屋まで2時間、名古屋からミュースカイでセントレア空港。

(↑)2時間のタイムラグで一旦、出発ロビーを出て空港内のレストランでビール孫娘は夕食にパクついていてもまだ忘れ物に気づいて居ない。今度は伊勢のレンタカーから忘れ物の連絡あり。もぎたてミカンとスタイリッシュ瓶入り梅ドレッシング・・・泣く泣く使って下さいとプレゼント。あちらは大喜び。娘とこれで最後にしたいねと祈りの言葉も空しく無事、自宅到着した夜の9時過ぎ、孫娘から大量に買ったお土産が見当たらないと泣きつかれた。画像をめくり電車と判明。サロンカーに忘れていた。これらは後日、めでたくご帰還ヤレヤレ・・楽しかったテーマのある旅。






Last updated  2022.12.27 10:39:37
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2020.12.08
カテゴリ:令和の歴史散策
伊勢詣での次は熊野詣で。ナビがあっても見知らぬ土地はもたつく。伊勢を出て一つ先からやっと自動車道に入ったのでロスタイム発生。三重県伊勢市から娘の運転で紀勢自動車道を尾鷲に向かうと途中で高速道路が一旦、途切れていた。

(↑)12:48 熊野川に架かる橋を走行中に和歌山県新宮市に入る。熊野三山の一つ速玉大社があるので早速の参拝。

(↑)熊野川沿いの広い駐車場から歩くと世界遺産の速玉大社境内でフルーティな香りが漂う。

(↑)何やら嗅いだ事も見た事も無い大木が数本。綺麗な花が満開で香りがそこから来ていた。

(↑)その境内で目に飛び込んだのは南高梅とミカン売り。此処は紀州だった。もぎたてミカンは北海道で味わえない。一袋買ったら300円。安い!!!!そして香りの大木はやはり北海道には見当たらないキンモクセイだと教えてくれた。此の時のミカン・・・レンタカーに置き忘れた。

(↑)速玉大社ハヤタマタイシャ 鮮やかな朱色が目に飛び込む。朝から参拝して来た伊勢神宮のモノクロな雰囲気とは真逆の社殿が建ち並び荘厳さに圧倒される。

(↑)人生蘇りの熊野速玉大社は超絶パワースポット。主祭神はイザナギノミコトで男性。

(↑)即位の礼の頃

(↑)熊野権現はお隣の神倉神社が旧宮で此処、速玉大社は新宮。新宮市の名の由来。

(↑)御朱印は500㍍離れた神倉神社の分も此処の社務所で頂いた。次は神倉神社に向かう。

(↑)新宮市の市内を15分程で神倉神社の駐車場。この橋はこの世とあの世を繋いでいるとか。

(↑)538段の石段は源頼朝寄進の鎌倉式で息を飲む激的、垂直な急こう配。お賽銭箱は下にもあるので登れなくても参拝できる。

(↑)登る前、想像以上に崖のような石段で不安になった。しかも不揃いこの上ない。振り返ると下に居る人の頭のてっぺんが見える。どうやら5.6段でため息ついているらしい。

(↑)途中に千穂の峰登山道とあった。時間があって肩の故障が無ければ登って居る。ちなみに神倉神社は千穂の峰の一角にある。

(↑)標高120㍍の神倉山の山頂に巨岩。天の磐盾アマノイワタテと言われるゴトビキ岩がご神体。神話では神武天皇が東征で登ったと・・・

(↑)神倉神社はそのゴトビキ岩に密着して建っているので異様な雰囲気。

(↑)此の神社はどうしても参拝したかった。そもそも速玉大社と神倉神社はセットのような存在。神倉山は熊野三山で最初に神が降臨した場所と言われる。故に此処が超、超絶パワースポットだった。後で知った情報で御朱印に神倉神社の方は熊野三山元宮と書かれるとの事。で・・遅まきながら頂いた御朱印を確認したら確かに元宮と書かれ横に天磐盾アマノイワタテとある。巨岩信仰から始まる神倉神社のゴトビキ岩が陽石で近くにある花の窟神社ハナノイワヤの大岩が陰石と言われる。日本神話も歴史もとても面白い。

(↑)神倉山から新宮市を一望。太平洋と熊野川を見下ろす。

(↑)左が火神社で右が中の地蔵堂の画像 登りも下りも撮影したけど右横の木が全体に白い煙に包まれているように見える。特に登りが顕著で此の神社に向かう孫娘を煙が包み込むように写っていた。これは下りの画像。調べてみたら神倉神社は「火の祭り」で有名だった。火の無い所に煙が立つ筈。

(↑)下りは鎌倉式石段を避けて女坂を利用。ところが階段が無いだけで勾配はやや同じ。草付き坂にロープがあっても石につまづき孫娘は派手に転んだ。此処は登山並みの体力が必要。

(↑)神倉神社の橋を渡ってこの世に戻ったら道路脇で地元民が寛いでいた。「あの学校の体育館、日本一古い木造だよ」と仰りながら指差した。後日調べたらスタジオ・ジブリ時代の宮崎駿が見て感激した建物とあった。確かに味がある。神倉神社からは一路、本宮町の熊野本宮大社に向かう。

(↑)熊野本宮大社クマノホングウタイシャ 新宮市から熊野川に沿って50分。駐車場近くには食事処もあり一層、人が多い。杉木立ちの中に158段の石段と凄い数の幟。

(↑)熊野三山は浄土への入り口とも言われ参拝する事で人生の蘇りの地とされている。

(↑)檜の皮葺き屋根 第1殿から4殿まで横並びで案内板に拝殿順序が書かれていた。

(↑)第4殿 天照大神が祀られている。

(↑)第3殿がスサノウノミコトで主祭神。

(↑)亀石 パワースポットで触ると金運が上がる と言われる。

(↑)大黒石 亀石と同じパワースポット。

(↑)八咫烏はより良い方向に導いてくれる。お参りの後、小腹も空いたのでお食事処に立ち寄る。此処で甘党の孫娘は北海道ソフトクリームをオーダー。此処で?いかがなものかと・・。15:00最後の那智山に向かう。一旦、新宮市まで戻り那智勝浦に向かう道にはミカンの無人販売があり気になる。

(↑)16:51 熊野那智大社に到着。那智山スカイラインはくねくね道なので娘から運転のバトンタッチ依頼。肩の故障でバックは出来ないけど前進なら問題無しで交代しパーキングで再び交代した。駐車場はもう無人で料金も掛からない。

(↑)拝殿 拝殿の奥に本殿が第1殿から第5殿まであり普段入場参拝は出来ず正式参拝のみ。

(↑)世界遺産の御本殿域。イザナミノミコ(女性)が主祭神。明治の大洪水で大斎原に今の8倍あった社殿が流されこの地に移動。大齊原オオユノハラには今でも大鳥居が残っている。

(↑)導きの神様3本足の八咫烏が祀られる御縣彦社ミアガタヒコシャ。御朱印は那智大社にて御縣彦社の分も頂いた。17:00 ギリギリでも社務所が空いていたのでホッとした。

(↑)右は第6殿かと・・・

(↑)八咫烏は初代天皇を奈良まで道案内し終え那智山で石になった。との事で「烏石」が本殿の境内にあるらしい。今回の熊野三山詣での中、一番、気持ちを込めて参拝した記憶あり。

(↑)樹齢850年の欅はご神木で胎内巡り出来る県の文化財。余りの太さと地下室に通じるような胎内巡りのトンネルのような根元に驚いた。時間が無くて出来なかったのが心残り。

(↑)那智山熊野権現 熊は上と同じ意味でこの地は上座との案内板があった。

(↑)大黒天堂の龍の細工が素晴らしい。

(↑)青岸渡寺セイガントジも世界遺産。7世紀に仁徳天皇創建・・・織田信長の焼き討ち・・・豊臣秀吉の再建で桃山時代のよき香りがする。是非とも見たかった建物。那智大社の社殿も同じ運命。

(↑)青岸渡寺と右奥の朱色は大黒天堂。娘も孫娘も熱心に見学している。

(↑)時間も押しているのに青岸渡寺から離れられない。

(↑)那智の滝と三重塔 手前に巨大な枝垂桜。

(↑)青岸渡寺前の巨木はタブノキ 県の天然記念物。名残惜しくそろそろ那智の滝へ。

(↑)17:28 薄暗くなった参道の階段を下って行く。

(↑)落差133メートルの世界遺産 那智の滝 この滝の上には数え切れない滝があると言う。此処は一の滝。時間切れで御朱印は頂けず残念。独り占めで那智の滝を見上げていた。何故かあの母子は車から降りなかった。歩き疲れたらしいが代わりに何処かで見ていたらしい駐車場の管理人が現れて500円徴収されていた。17:33 今夜の宿は娘が期待して取った熊野の「熊野〇〇ブ」で丘に点在する戸建てにマイクロバスが送迎してくれる。部屋は素晴らしかったが楽しみだった夕食はハ〇゛レ。呑み放題のbeerも普段苦手なモルツだったのに、それはそれは…水の様に呑めた。朝、お腹がすき過ぎて早く目が覚めがっつくような朝食に・・・






Last updated  2022.12.27 11:01:36
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2020.12.04
カテゴリ:令和の歴史散策
時は令和になり、予てから計画して居たらしき「お伊勢参り」は娘の発案。大学生の孫娘も同行の三世代女子会?で新千歳からセントレア空港に向かう。長野県上空辺りで台風の爪痕が眼下の河川に見受けられた。12:38到着。空港の矢場とんで味噌カツランチ。孫娘が驚きのわらじカツをオーダー。名古屋までは岐阜行特急ミュースカイ。名古屋からは14:50発の鳥羽行き特急ビスタカー。広い個室で娘が予約していた超快適空間・・・

(↑)伊勢市に約2時間で到着。お宿は目の前。部屋風呂付きで居心地良さそうだけど即、外出。

(↑)外宮ゲクウに向かう。ゲートは5時で閉まる・・・灯り始めた参道を足早に抜ける。

(↑)防火用の日除け橋を渡る時はすでに16:44。お伊勢参りは外宮が先。明日は内宮の予定。

(↑)まがたま池 奥の「せんぐう館」は台風21号の影響で浸水被害に遭い臨時休館の張り紙。

(↑)外宮の正宮 豊受トヨウけ大御神を祀る。2000年前、天照アマテラス大神が奈良からこちらに越して以来、豊受大御神が衣食住を司る事になったとの事。閉門ギリギリでもお参りする方が後を絶たない。

(↑)風宮カゼノミヤ 風雨を司る神様を祀る。

(↑)清盛楠 平清盛の冠に枝が触れた為に西側の枝が切られたとの言い伝え。

(↑)翌朝、独りで二度目のお参り。横からの外宮正宮。ゆったりした気分で神聖な場所に・・・

(↑)古殿地コデンチ 正宮と同じ広さ。式年遷宮シキネンセングウ、20年に一度、社殿などを新しくする次回の場。神宮最大の祭事で1300年続く。昨日は時間が無くてゆっくり見学して居ない。

(↑)下御井神社シモノミイノジンジャ 中に井戸がありお祭りにお供えする御水。立ち入り参拝は出来ない。

(↑)外宮神楽殿ゲクウカグラデン 参拝記念の御朱印を頂きました。人生でお初の御朱印です。

(↑)宿の食事は朝からボリューミー。伊勢神宮でお供えに出された有難きお米。昨夜からイセエビ、シマダイ、サワラ、フォアグラ、松坂牛、キンメダイ、マツタケ・・・と夕食も凄かった。孫娘はチェックアウト寸前までロビーのケーキやジュース飲み放題に余念が無くカロリーオーバー。此のお宿「神泉」はもう一度、行きたい・・・内宮にはゆっくりと伊勢の景色を見ながらバスで向かう。

(↑)内宮ナイクウの宇治橋 五十鈴川の橋は日常と神聖な場所との架け橋。神路山と島路山が美しい。

(↑)大鳥居の先で黒い服の団体に遭遇。昔話の様に供物を背負った長い行列は抜き去るのも大変。

(↑)五十鈴川の御手洗場ミタライバ 神路川と島路川が合流した五十鈴川。徳川綱吉の生母が石畳を寄進。

(↑)御饌殿ミケデン 朝夕、神様のお食事を用意する。黒い行列は此処に入ったようだが。

(↑)内宮 正宮 皇大神宮コウタイジングウには太陽神と巫女の性格を持つ女神、天照大御神アマテラスオオミカミが祀られる。神話に登場する日本の主神。渋い質素な作りが非常に神々しく日本神話の色んなシーンを想像する。余りの地味さに娘があっけにとられていた。

(↑)御稲御倉ミシネノミクラ 祭事の稲を保存する穀倉

(↑)外幣殿ゲヘイデン 式年遷宮で外された神宝類、神様の生活用品の倉庫。

(↑)荒祭宮アラマツリノミヤ 数ある別宮ワケミヤの中でも一番「位」が高い。

(↑)四至神ミヤメグリノカミ これだけで・・社殿が無い神社。守護神で外宮にもある。

(↑)参拝したら内宮でも御朱印を頂く。渋くて簡素なその御朱印は高床式殼倉を宮殿化しただけの伊勢の社殿にとてもマッチしている。御朱印帖の最初のページに来るのが本当らしい。

(↑)神馬シンメ 名は草新号 大人しくて美しい神に仕える馬。

(↑)少し散策タイム。

(↑)おかげ横丁 タイムスリップした気分。10時頃までのんびりと見学してタクシーで戻る。何ごとも無くと思いたかったけど朝から宿で孫娘の財布が無い、無い、騒動にしばしの混乱。これが第一弾。
10:20 レンタカーで伊勢を出て新宮市に向かう。次は熊野三山。






Last updated  2022.12.27 11:07:07
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