いわゆる『理系ミステリ-』と言われる作家・森博嗣のS&Mシリ-ズは、工学部助教授の犀川創平(S)と、犀川の教え子である学部4年生の西之園萌絵(M)が、難解な殺人事件を『理系の頭脳』で論理的・物理的に解き明かしていく、人気の異色ミステリ-です。
そう聞くと普通であれば読んでいるうちに頭痛がしてきそうですが、森博嗣のこのシリ-ズだけはそんなことは起こることはないようです。少なくとも私には起こりませんでした。
実は森博嗣の他のシリ-ズの作品を何冊か読んで見たんですが、当然ながら犀川と萌絵は登場しません。彼ら二人が登場しないと、どうも会話内容が面白くないんです。もちろんこれは好みの違いだよ、と言われればそれ迄なんですが、私にとっては犀川と萌絵という登場人物がいない作品は、会話にもう一つ『キレ』が無く味気ない気分になってしまうんです。
そう思う理由はいくつかあるんですが、このシリ-ズには犀川と萌絵の間に微妙な距離感があり、『磁石』のように急接近するかと思えば反発し合う、くっついてしまいそうでそうはならない、そういう適度なじれったさと期待感が混ぜ合わさったような
、まあ恋愛小説によくある要素がある訳です。
また、『理系ミステリ-』と言われる大きな理由には、当然ながら『理系の頭脳』で謎を解決していくアプロ-チから来て入るのですが、この要素は実は多くのミステリ-小説にはつきものです。このシリ-ズに特徴的と言っていい要素は、犀川と萌絵の会話の内容と雰囲気にあると言ってもいいと思います。
情熱的直情的な萌絵のアプロ-チを、論理的な思考で答える犀川が、一瞬にして話題を飛ばす彼独特の『ひょうきんな』会話術(人によっては、自分の話を聞いていない、と誤解し憤慨する人もいる)により、萌絵の会話の的を巧みに外してしまう展開が、理系ミステリ-の理屈っぽさを優しく『中和』してくれるからかもしれません。
言い換えると、萌絵の『剛』と犀川の『柔』の会話が際立つスト-リ-展開となっているのです。犀川は『超論理的に』物事を考える人なので『変わった人』と見られがちですが、実ははにかみ屋で紳士(かなり広い意味での)でもあるのです。

S&Mシリ-ズ第6作目の『幻惑の死と使途』は、一人の偉大なマジッシャン有里匠幻が衆人環視のショ—の最中に殺されてしまいます。
しかもその遺体が葬儀後に多くの参列者が見送る中で、霊柩車の中から消失してしまうという、まるで『脱出ショ—』を得意としていた有里匠幻が演出するマジックショ-のように、現場に居合わせた萌絵(彼女は棺の近くに居たのに!)と刑事はキツネに包まれたように呆然自失となってしまいます。
この物語には有里匠幻の弟子である3人のマジッシャンが登場しますが、そのことがこの事件の解明をより複雑なものにしていきます。
殺人のみならず遺体消失も、全て匠幻と弟子たちによって巧妙に仕組まれたショ—なのではないのか…、と疑惑が疑惑を呼ぶのですが、徹底した執拗な警察の捜査にもかかわらず、事件の真相は全く明かされることはなく、謎は深まるばかりとなります。
犯人の目星以前に、どのようにして犯行が行われたかも全く理解不能なこの2つの事件に、いつものように萌絵が観察された現象から、物理的な意味で矛盾点のない『仮説』を作り上げていき、事件の真相の最深部までのめり込んでいってしまいます。
そのことによって『あわや』という命の危険にさらされるのですが、犀川の天才的な閃きによって萌絵は救われることになります。いつもながらの萌絵の『無鉄砲さ』にはヒヤヒヤイライラさせられてしまいましたよ
。
今回は萌絵の推理と奮闘により、全ての事件のカギと真相が萌絵によって解き明かされ、今度こそは萌絵自身が主役だとが確信した最後の最後、犀川が発したある一言で、それまでの見えていた『景色』が一変することになります。匠幻の弟子でさえも全く予想だにしていなかった結末が待っていたのです。
まあ、ミステリ-によくある『どんでん返し』の類ですね。
実はこの巻末の「あとがき」は、二代目引田天功(プリンセス天功)が寄せたものなんですが、「マジック(の魅力)はミスディレクション」あるいは「マジックはイリュ-ジョン」などと、演出者の側から見たマジックについて語っているところは、マジックの裏側を覗き見るようで実に興味深かったですが、実はそれこそがこの小説のテ-マと重なるものがあったように思います。
さて、いつものように犀川と萌絵の軽妙で楽しい会話についてまとめてみます。
1)事件に深くかかわるにつれ、暗いところが急に怖く感じられた萌絵。
電話に手を伸ばす。いったい、自分は、何をしようとしているのだろう?
犀川「はい、犀川です」
萌絵「先生、こんばんは」
「なに?どうしたの? 元気がないようだけど。何か用事?」
「用事はありません」
「そう…。どうしたのさ」
「用事が無かったら、電話しちゃいけませんか?」
「イヤ、そんなことはない。別に…、いけないなんて言ったことはないよ」
萌絵は黙っていた。
「西之園君? 具合が悪そうだね。言ってごらん?」
「来てください」
「君の家かい?」
「はい」
「わかった」
犀川は理由をきかなかった。萌絵は受話器を戻してから、そのことにようやく気がついた。

2)犀川の『素敵な話』の後に出てくる会話。
萌絵「金魚すくいって何ですか?」
犀川「え、知らないの?」
「言葉は聞いたこと有りますけどまえから不思議で…。テレビゲ-ムですか?どうして金魚を助けるんですか?」
「西之園君」犀川は微笑む。「すくうっていうのはね、セーブする救うじゃなくてスク-プのすくうだよ。君って、常識のエアポケットみたいな子だね」
「年代の差じゃないかしら?」
「君、小さいときに、何か呪文をかけられたんじゃないの?」

3)「ものには名前がある」という犀川の考えについて。
犀川「人間のすべての思考、行動、創造も破壊も、みんな名前によって始まる。ヘレン・ケラ‐を知っているだろう?三重苦の。物心がつく以前から盲目で耳も聞こえなかった人が、何を最初に理解したと思う?そういう人に言葉を教えるには、何が必要だろう?」
萌絵「実物に触れさせて、言葉を感触で教えたのでしょう?」(私はそう思っていました)
犀川「それ以前に重要なことがあるんだ。それは、ものには名前がある、という概念なんだよ。すべてのものに名前がある、ということにさえ気付けば、あとは簡単なんだ。ものに名前があることを知っている、あるいは、ものに名前を付けて認識するのは、地球上では人類だけだ」
犀川の天才的閃きを愛する萌絵は、単なる『恋人』を超えた、犀川にとってなくてはならない『人生の理解者』、パートナ-になっていくのです。犀川の天才ゆえに破滅的でもある精神を救えるのは、自分しかいない、という強い願望をもって。
ここまで書いて内容を読み返してみると、結構『理系っぽい』ことを書いてしまいました
理屈っぽいところ(特に犀川)はありますが、そこは飛ばしていけばいいわけで(ああそうなの、という程度でいい)、650ページある割にはサクサク読める内容で、とにかく退屈しません。私は理系人間じゃあないから、といって読むのを諦めてしまうのは惜しい気がしますね。
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