亡き妻に暫くぶりに『会った』瞬間(とき) (後編)
『プチ体験ステイ』から帰宅した私は、娘のマンションの体験記を『良いところ』と『気に入らないところ』に分けて説明しました。『気に入らないところ』には「家から出たくない」ということは勿論言いませんでしたが、どうやって「完全な引っ越し」を考えているか質問しました。自分は体力的にできないから、それは考えてくれ、手配してくれと。すると突然娘は「パパは本当にマンションに移ることでいいの?」と訊いてきたのです。単刀直入な質問でした。妻そっくりの躊躇いの無い核心をついた『良い質問・une bonne question』といっていいものでした。私「もう決めたことだし、しようがない」娘「パパは移って後悔しない?」私「後悔も何も他に選択肢が無いだろう? 正直に言えば移りたくなんかないよ! でも他にどうしようもないだろう?」そう、いつもそこに行き着くんです。いつもならそこで黙ってしまう娘でしたが、その時は違いました。「パパが嫌なら移らなくていいよ。もう一度別の方法を考えてみるから」そこで話はお開きになりました。でもその時は「移りたくはないけれど、どうしようもない」という考えでしたから、私としてはいやいやながらも『移る』覚悟はしていよう、と考えを決めていました。心も体も動かないけど…。その夜の10時ころでした、娘が私の寝室のドアをノックしたのは。その晩は前の晩の寝不足もあり、酷く疲労困ぱいしていたので既にベッドに入って本を読んでいたところでした。勿論、あの話だな、とは分かりましたが。「彼と話したんだけど、パパが嫌なことをさせる訳にはいかない。そんな事出来ないから」そこで黙ってしまった娘。その時の私は正直いって堂々巡りの話にはウンザリしていたので(疲れていた…)、かなりつっけんどんな対応だったかもしれない、と後で後悔することになりましたが。「そう思うんだったらそれでいい。そっちが決めてくれ。パパはそれに従うから。今のパパには気力がない」つまり娘に『決断を丸投げ』してしまったのです! 酷いことをしたもんだ、と後で後悔しましたが、その時はもう疲れていたので早く寝たかった、それだけでした…。異変は翌朝、ハッキリと感じました。あんなことがあった手前、私は何か後ろめたい気がして、いつものように朝の挨拶が出ませんでした。娘からもありませんでした。これはかなり気まずい雰囲気でしたねぇ。不思議なことに孫たちも静かでした。静かというより、異様な場の雰囲気を肌を通して感じ取っていたのかもしれません。誰からも言葉が出ない異様な雰囲気の朝食、よく言う「お通夜の雰囲気」見たいでした。凄く居心地が悪かったです。でもそれは単なる序曲でしかありませんでした。その日の昼前から彼らのアパ-ト探しが本格化したのです。申し訳ない気がしましたが、私にもできることとできないことがあります。譲れることと譲れないことがあるんです。4時過ぎに子供たちと帰宅した娘夫婦の表情はこわばっていたし、子供たちも愚図ったりして泣いていました。それは夕食中も寝静まるまで続いていたように記憶しています。前にも書きましたが、これは二人で決めることであり、出来る限り私が口を出すべきではない(妻もそう思ったはずです)と決めていたので、気分は良くないけれど静観することにしました。そして翌日、嵐のピ-クがやってきたのです!昼過ぎにアパ-ト訪問から戻って来た二人の雰囲気が、ぴんぴんに張り詰めているのを、二階で聴いていた私にもはっきり分かりました。お互いにせせら笑うような口喧嘩をしているのです。正直これはやばい、と感じました。激しく言い合いをしている声も聞こえてきました。その中にかなり不穏な言葉が混じっているのを、暗澹たる思いで聞いていました。それが十分くらい続いたでしょうか、玄関のドアが閉まる音がしてからは物音ひとつ聞えない静寂が戻ってきました。二階の窓から外を見ると、家の前に彼らの車が置いてあります。ということは、先ほど出て行ったのは旦那で(どうも腹を立てて家を出て行ったらしいい)、娘は家にいることは確実の様です。私は思い切って1階に降り、サロンのソファに横になっている娘に声を掛けました。この時、丸一日以上娘に声を掛けていなかったことに気付きました。どうしたのか、と訊いてみても「一人にしておいて!」とぞんざいで厳しい返事が返ってくるだけでした。でも彼女の顔を見て『ぞっと』したのをはっきり覚えています。そこにはいつもの明るく陽気な娘の顔ではなく、まるで○○○のような恐ろしい顔が私を睨んでいたのです。この顔には覚えがあります。昨年3月に妻の葬儀を執り行った直後から、娘の異変に気付きました。その時の顔にそっくりだったのです。「ああ、彼女は壊れる直前なんだ!」という思いが胸を駆け巡りました。今はそっとしておくしかない、その代わり…。1時間ほどして玄関のドアが開き締まる音が聞こえてきました。どうやら旦那が返ってきたみたいです。娘が1階にいないのを確かめてから、私は旦那を捕まえてキッチンに連れ込みました。別に彼をとっちめようというのではなく、事の成り行きを出来るだけ詳しく知りたかったからです。ここで彼の話を纏めてみると次のようであることが判りました。ほぼ私が思っていた通りです。1)臨月間近の身(双子合わせて4キロ以上)である娘は、ただでさえも神経が過敏な時期に、先週までは車探しに奔走し(無事解決した模様)、今度は更に難易度の高いアパ-ト探しということで、緊張・疲労が最高点に達している。2)物事を何でも一人で決めようとする娘に、旦那が口出しできない状況であることも分かった(これは想定内の事)。問題は、誰にも相談できずに一人で負のスパイラルに巻き込まれてしまっている様子。このまま放っておいたら娘も家族もばらばらになる、と確信しました私は率直に自分の気持ちを話しました。娘の今の姿は、母親を亡くした時によく似ており、自分だけで何でもしようとして出来ない自分に腹が立ち、その苛立ちを他人にぶつけているみたいだということ、アパ-トが見つからない場合は、自分がマンションに移ってもいいということ、などを伝えました。話をしていて気づいたのですが、激しい喧嘩の後とは思えないほど冷静に受け答えしており、ちゃんと状況判断も出来ているし、何より娘のことをいたわっている気持ちが伝わってきて、彼に対する印象が一変したほどです。ビックリするとともに彼を見直したのも事実です。話をしてよかった、としみじみ思いました。彼は最後にこう言って締めくくりました。「大丈夫。これから彼女とじっくり話し合ってみるから。アパ-ト探しは簡単ではないけどon verra!(何とかなるよ)」この『on verra』、普通は「さあ、(様子を)見てみよう」という軽い意味合いの言葉なんですが、この場合は「何とかなるよ」と解したほうが私にはピンときました。実はこの言葉、カミサンがよく使っていたフレ-ズだったんです。困難に遭遇した時も落ち着いて「On verra」って言っていましたっけ! 当初は何か軽すぎるっていう印象を持っていたんですが、それが変わったのはあることがあってから。それは、私が会社の昇級試験に落ちた時の事でした。合格を疑っていなかった私が落ち込んでいた時、彼女が掛けた言葉は「なんだ、来年も受けられるんじゃないの。来年頑張ればいいじゃん。On verra!」だったと記憶しています。この時の私は不思議と体が楽になるのを感じました。人に慰められて、それを素直に受け止めることが出来る自分に驚いたほどでした。初めてだったように思いました。その時、彼女が特別な人になった瞬間といっていいと思います。今の彼の「On verra」は、久しぶりに妻の「On verra」を思い起こさせるには充分の説得力や威力を持っていたみたいでしたね。思わず彼とハグしていたほどでしたから。彼には「話をしてよかったよ」と、今度は握手をしていました。久し振りに妻に『会った』ような気がしましたね、何故か。もしかしたら私の窮状を見かねた妻が、『彼に言わせた』ように私には思えました。いや、そうではなく、むしろ『私にそう思わせるように仕向けた?』と解釈する方がしっくり納得がいくかもしれません。何か妻から勇気をもらった気がしてきました。思わず口にした言葉は「ありがとう」でした。それしか思い浮かびませんでしたね。この時私は涙を流した、と思います。勿論うれし涙です。私は決心しました。やっぱりこの家を出るのはやめよう、と。 因みにというか、今朝娘が子供たちと降りてきたときは、私も娘も普通の挨拶を交わすことが出来ました。そればかりか、子供たちも泣くこともなく食卓はかつてのような笑いに満ちたものとなりました。 良かった!改めて「ありがとう」と心の中で口にしていましたよ。これは妻だけではなく、家族みんなに対してでした。でも妻にはこうお願いしました。大変なのはむしろこれから。だから私たちを見守っていて欲しいと。今度会えるのは一体いつなんだろうか?にほんブログ村の住民で、3つのブログランキングに参加しています。↓ポチッと押していただけたら嬉しいですありがとうございますにほんブログ村にほんブログ村にほんブ