昭和から平成に変わる一年前に交通事故で入院していた頃、
連日報道されてましたのが時の政権の中曽根総理から、
時期総理を3人の候補から指名し禅譲する模様でした。
もちろん馴れ合いで中曽根さんに、
振り回された感は否めなかったのを覚えています。
3人は安倍さん竹下さん宮沢さんでした。
既に現首相の父上も含めこれで3人ともこの世を去りました。
皆さん自民党の重鎮として戦後日本と共に働いてきました。
昨日逝去された宮沢さんは戦後GHQの占領から
復帰を果たすサンフランシスコ講和会議に臨む日本全権のメンバーだった人です。
文字通り墓場にもって行った事もあったでしょう。
この時代の方はそれが当然と教育され、自ら律する事が出来る方々です。
宮沢さんは先の総理の小泉さんとは両極の人でした。
小泉さんは安倍総理が頼んでも財務大臣は引き受けないでしょう。
宮沢さんは頼まれればなんでもやったかも知れません。
晩年の風貌は特殊メイクなしでスピルバーグの映画に出演出来そうでした。
国会で「フォースを使うのじゃ」と言いそうな雰囲気だったのを覚えています。
特段スキャンダルはありませんでしたが、
実務派の政治のプロとでも評するような方でした。
PKOの法制定が一番の仕事でした。
既に政界からは引退してましたので、
政治評論家としてマスコミに出てました。
安倍総理の言う所の戦後レジームの生き証人の一人でした。
総理は戦後レジームを終わらせ戦前でも始めようかと思ってるのかも知れませんが、
考えようによっては永遠に戦後であって欲しい気がします。
アメリカで戦後と言うとヴェトナムの事でした。
最近はきっとイラクを指す様になるでしょう。
宮沢さんが墓場にもって行った事が気になりますが、
日本の情報公開が進んで公文書が世に出るようになれば、
未だに期限が来ても公開しない安保条約の文書に絡む話が見えてくるでしょう。
今となっては既に賞味期限が切れている可能性が大いにあります。
激動の昭和を語る人が又一人去りました。