2010/09/27(月)09:26
商人の血
妹からのメールで、母が何をどう片付けたらいいか困っていると聞いて、朝から電話をした。
聞けば、父の日用品をどう片付けるか迷っていた程度らしい。
だから、ゆっくり分ければいいと説得し(放っておくと働き続けるので)他の、古道具類は、家を建て直すときまで手をつけないように言っておいた。
何しろ、嫁という身分だった母にとって、我が家の古道具や建具はゴミなのだが、私達にとっては、かけがえのない思い出だったり、古物商に売れそうなものもあるのだ。
(何しろ、我が家を設計したのは隣に住んでいた旅館のご主人で、狆を5、6頭(いやもっとかも)同時に散歩させていたような粋な人だったから。)
他にも、築100年を越えてまだ朽ちない別棟のかなり立派な梁も欲しい人は多いと思う。
それらを解体機でつぶしてしまえという母をほうっておくわけにいかない。
だいたい、お金に換えられるものをただで捨ててしまうという考えに賛同できないのだ。
これはきっと最後まで家を建て直すのを嫌がった父(元米穀仲買会社勤務)や、大店の絹の仲買商の一番番頭だった曽祖父の血を引き継いでいるからかもしれない。
私は普段は穴が開いた服も捨てられないほどのケチなのだが、理由のあるお金を使うときは大盤振る舞いをする。
先祖から受け継いだ商人の振る舞いを、自分の中に感じ、それを指針に動かなければ、いまはまだ父の不在に耐えられそうにない。